私塾のすすめ

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Amazon.co.jp: 私塾のすすめ ─ここから創造が生まれる (ちくま新書 (723)): 齋藤孝 梅田望夫: 本

私塾のすすめ ─ここから創造が生まれる (ちくま新書 (723))
著者: 齋藤孝 梅田望夫
価格: ¥714(税込)
出版社: 筑摩書房 (2008/5/8)
ISBN-10: 4480064257
ISBN-13: 978-4480064257

how to系以外で,久々のヒット.これはすごい.☆10個を付けておきたい.2008年上半期の最良書として推しておける.間違いない.

いつもみたいに,引用しつつコメントしていきたいところなのだが,ほぼ全文を引用しなくてはならないので,割愛せざるを得ない.書籍全体から強いインパクトを受けているが,その中でも特にここだけはという部分のみを引用し,コメントしたい.本当に,全体が素晴らしく,どこがどうこうというレベルじゃない.

学ぶための条件が飛躍的に改善された今,学ぶモチベーションの強弱によって,学習の格差は広がってしまう.だからこそ,今,「私塾」というコンセプトを強調する意味がある.そう思っています.私淑ならば今すぐできる.私塾的空間もどこでも現出できる.

これが,梅田さんと私の世の中への提言が,「私塾のすすめ」となった所以です.

私塾のすすめ p.12 ll.4-7

ゆとり教育を始めとして,旧来の詰め込み教育から変革を遂げてきた今,旧来に比べ,学校で学べることは本当に減少した.それと同時に,多くの「自由な」時間が与えられた.時を同じくして,インターネットが急速に普及し,ブログやwikiといった新しいWebツールが出現し,周辺の情報環境は一変したと言える.今までは物理的に手の届く範囲からしか学べなかったことが,物理的に手が届かない範囲から学ぶことが出来るようになったのだ.それは海を越え山を越えて,遙か世界の彼方であってもだ.言うなれば,現在の情報環境は,私淑する人達との距離がグッと縮まり,簡単に「私塾」を生み出すことを可能にしていると言える.質はともかくとして,誰でもが私塾を開くことが出来,誰でもが私塾に参加できる環境が,今この世界には存在し得ている.このブログも極限られた一部の人にとっては私塾的位置付けにあるらしい.とても嬉しいことだ.規模が小さくても,大したことが無くても,それでいいんだ.私塾なのだから.

齋藤 梅田さんは「けものみち」と「(学習の)高速道路」という言葉をつかわれていますが,今の時代ですと,大学でも,「高速道路」をいかに整備するかというのが目的になってきつつあって,「けものみち」を歩かせる大学生活って,あまりないですね.(中略)整備された道路を走るのは効率もいいし,大学は徐々に良くなっていると僕は思いますけれど,ただ,たとえ整備されたカリキュラムがあっても,個人的感覚としては「けものみち」を歩いている感じをもっていてほしい.

梅田 「けものみち」だと,固有の道が歩けるわけだから.実はもう人生にレールなんてないのに,レールがあるようなことを言う人が多いので,僕はあえて「けものみち」という言葉を使ってみたのですが.

私塾のすすめ p.34 ll.2-11

この話を知るためには,梅田さんのウェブ時代をゆくを読むといい.といいつつ,手元にあるのに,2章までしか読んでないオレがいる.オレが思うには,大学は道を整備しすぎた.カリキュラム通りに取れば,卒業単位が取れてしまう.自由意志が介在しないし,選択の自由を行使する必要性がない.オレの学部時代はどうだったか.確かに必修科目はかなりの量があった.しかしながら,必修だけでは卒業単位数に満たないため,選択科目を履修する必要があるのだが,その自由度は高かった.自由度が高すぎて,情報系なのに物性や回路まで制覇し,教職課程でもないのに176単位を取るというぶっちぎりの学習意欲を見せつけてきた.それは本当に「けものみち」だった.ただ,何が違ったかといえば,「けものみち」を全て踏みならして,「遊歩道」にしてしまったことくらいであろうか.歩いてきた道は「けものみち」だった.決して「高速道路」ではなかった.でも,今振り返れば,そこは「けものみち」ではなく「道路」になっている.自分の前に広がる世界は全て「けものみち」だろうし,後ろに広がる光景は見渡しが良く,視界が開けていなくてはならないと思う.前も後ろも「けものみち」では,完全に道に迷っているのと同じだと思う.

梅田 齋藤さんが「福沢諭吉と自分が似ている」というのを,過去の無限ともいうべき人物の中から,書物を通して見つけ出されたわけですが,ウェブは,現在の生身の人間の中から探すことができる道具だと思うんですよ.

齋藤 なるほどね.福沢諭吉のように「あこがれ」とともに共感できる人物をクラスメートのなかに見つけるというのは至難ですからね.

私塾のすすめ p.43 ll.7-11

オレは当てられやすい人間なので,自己同一性を維持するよりも自他同一化してしまうことの方が多い.だから,ここで述べられているような「あこがれ」や共感できる人物を見つける必要はなかった.その時その時に与えられた環境の中で,最良の「あこがれ」に常にすり寄っているようなものであって,そういう意味では常に「あこがれ」に憧れているのかもしれない.なお,今の「あこがれ」の対象は齋藤孝である.間違いない.単純だな.

齋藤 子供たちについては,全体を底上げすることに使命感をもっています.

梅田 「打てば響く子」,「目を輝かせている子」を世界レベルにまで,というのが僕の一番の関心事です.

私塾のすすめ p.74 ll.11-12, p.75 ll4-5

この2人のどちらが自分に近いかといわれれば,即断で「齋藤さん」と答える.オレの考えは梅田さんのそれと全く合わない.持論だが,できる人に教えることほど,つまらないことはない.それは遅かれ早かれの問題であって,オレが教えなくても,自ずと気付くまたは知ることだからだ.だって,できるんだからね.もちろん,教え子が活躍している様を見るのは大変に気分が良い.それは当然だろう.だがしかし,オレは世界レベルではないのだから,そういう風に育てようなんて,おこがましくてできない.遠巻きに見ているのが関の山である.本当に世界レベルになる資質を持っている人は,放って置いたって,世界レベルになるはずだ.常々思っているのだが,「彼は私が指導したから,ここまでの存在になったんだ」のように本気で言っている人は一体何なんだ.水泳の北島康介も,

水着でなく、泳ぐのは自分

と述べている.その人の努力があってそうなったのであって,実のところ,誰が指導したって結果は同じだったんじゃないのかと思う.たまたまそこに自分がいただけであって,単なる棚から牡丹餅ではないのかと.だから,できる人が知らないことを教えたいなんて,微塵も思わない.そりゃぁ,訊かれれば教えるが,それによって,できる人がどうにかなるとも思わない.「世界レベルには世界レベルの指導を」という考え方は分かるが,それは遅かれ早かれの問題であって,指導無くしても,きっといずれは世界レベルになるだろう.だってそうじゃない.初めて世界レベルになった人は,どうやって世界レベルになったのか.世界レベルの指導者はいなかったのに.だから,全ては努力の成せる業だと信じている.オレはそうやって自助努力をする学生をどうにかしようとは全く思っていなくて,自助努力をしようとしない,または努力しても報われない学生たちを,ひとつ上の,たったひとつ上のクラスに上げてあげられれば十分だと思っている.

齋藤 そもそものきっかけ,モチベーションがない人がどうしたらいいかというご質問ですね.端的に言うと,「あこがれ」と「習熟」が二本柱だと僕は思っています.「あこがれ」というのは,これがすばらしいんだとあおられて,その気になってやってみるということ.もうひとつ「習熟」というのは,「練習したらできた」という限定的な成功体験だととらえています.

私塾のすすめ p.85 ll.5-9

この二本柱は本当に大事だと思う.「ああなりたい」という目標を持つことが「あこがれ」で,「あれと同じことができた」という「限定的な成功体験」が「習熟」だとするならば,オレはその両方を持ち合わせてきたことになる.教育指導的な範囲でいえば「習熟」を如何にして自己努力で実現したかと実感させることが重要になるだろうし,そういう指導をされてきたことは,とても感謝している.今思えば,オレに施されてきた教育は「時間は掛かっても構わないから」という教育だったように思える.あらゆる可能性を否定することなく,色々な道を示してくれた.そのいずれもが「けものみち」であったが,その先には必ず「目標とすべきところ」が見えるようになっていた.オレは本当に指導者に恵まれていたと言えよう.だから,オレは少しでもそういう役に立たないといけないと思う.上から受けた恩は下に返す.そうやって時代を回していかないと.

梅田 最近本当に感じるのは,情報の無限性の前に自分は立っているのだなということです.圧倒的な情報を前にしている.そうすると,情報の取捨選択をしないといけない,あるいは,自分の「時間の使い方」に対して自覚的でなければならない.流されたら,本当に何もできないというのが,恐怖感としてあります.(中略)無限と有限のマッピングみたいなことを本当に上手にやらない限り,一日がすぐに終わってしまう.

私塾のすすめ p.183 ll.8-14

全く以て,情報量は膨大だ.ネットがなかった頃は,自分の手が届く範囲,精々ニュースや新聞で取り上げられた世界を見る程度.それがネット社会の今となっては,日本中ならず世界中,老若男女問わず,様々な世界に触れられるようになった.そのため,自分にとって必要な情報もあれば,不必要な情報もある.その取捨選択は重要だと思う.でも,取捨選択なんて本当にできるのだろうか.特に若者は取捨選択をするよりも,まだまだ吸収していく年ではないだろうか.取捨選択するべきは,本当に方向性を持って,指向的な歩みを始めてからで十分ではないだろうか.その向うべき方向を見つけるまでは,取捨選択をせずに,とりあえず触れておくということが,可能性を最大限に開いておける状態になるのではないだろうか.インターネットで情報収集するときに必要なのはノイズを許容することだって意見もあるし.

まとめ:
いとも簡単に,2人の思想に当てられた.今まで,梅田望夫の著書を何冊か読んできたが,今作はヒットした.となると,オレの感性は梅田望夫よりも齋藤孝に惹かれているということだろう.

万人にお勧めしたい良書です.特に,向上心がある人とブロガにお勧めします.各々のブログが私塾化すれば,ネットの世界はどれ程に充実するんだろう.

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