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平成21年度第2学期の成績

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平成21年度第2学期は教育社会学('07)を受講していたわけですが,成績が出たようです.

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単位は取れましたが,B評価です.ぐふー.放送大学って,成績がシビアじゃない?GPA評価されるんだったら,悩みどころだなぁ・・・.

さーて,平成22年度第1学期もがんばるぞ!えいえいおー!

去る27日に放送大学の単位認定試験を受けてきました.受けたのは教育社会学('07)です.放送大学の単位認定試験を受けるのは2回目なので,特になにか述べるようなことも・・・.

出題は15問で四者択一問題でした.今回は問題が持ち帰り不可(インフル的な意味で)なので,自己採点ができませんが,結果は上々と思われます.というか,常識的に考えればわかる問題が大半で,テキストから出題されるのは数問でした.パーテンと高等教育の生い立ちくらいだろうか?

で.試験時間は50分で30分経過すると途中退室できるのですが,こういう形式の問題なので,時間をかけて考えれば答えがわかる類ではないので,ぶっちゃけ10分もあれば終わってしまうわけです.壮絶に暇です.感想文を書くスペースでもあれば暇つぶしができるのですが,そのようなスペースが足りない.

来学期もがんばりたいと思います!えいおー!

いよいよ最終回です.第15回は「現代の教育課題」です.最終回は今までのまとめのような流れでした.

この授業を受けてみて,自分の背景と照らし合わせると,教師教育の重要性が際立ったかなと思います.ニートが増えたり,学級崩壊したりするのは,教師の教育能力によるものではないかという見方がある.これはこれで1つの可能性で,教育者はその時代背景に対応した教育を展開していかなくてはならず,資質向上に日々努めなくてはならない.これとは別に,教育に対する家族の関わり,社会の関わり方も変わってきており,それによって社会的教育問題が起きているのではないかという可能性も否定できない.教育の問題は複数の要因が重なり合って起こるものであるので,その要因を1つ1つ潰す努力が必要になるのだろう.

ところで,最近は食事を一緒にすることが少ないから,ダイニングを作らないこともあるらしい.そういうのって,寂しいよね.家族を大事に,家庭を大事に.

さて,後は単位認定試験を受けて,合格すればよろしい.1週間丸々SCIS2010なので勉強できないなぁ・・・.ぶっつけでどうにかなるかな??

数年をかけて以下の科目を履修して参る予定.4年毎くらいでカリキュラム改訂されて科目名が入れ替わるので,将来的には受講できない可能性がある.でも,気にしない.

基礎科目(不足8単位)

  • 教育と心理の巨人たち('10)
  • 日本語表現法('07)
  • 身近な統計('07)
  • 基礎からの英文法('09)

専門科目(自コース)(不足30単位)

  • 教育社会学('07)(平成21年度第2学期履修中)
  • 生徒指導('06)(平成22年度第1学期履修予定)
  • 大学と社会('08)
  • 心の健康と病理('08)
  • 心理カウンセリング序説('09)(平成22年度第1学期履修予定)
  • スクールカウンセリング('10)(平成22年度第1学期履修予定)
  • 科目2
  • 科目3
  • 科目4
  • 科目5
  • 科目6
  • 科目7
  • 科目8
  • 科目9
  • 科目10

総合科目(不足4単位)

  • 進化と人間行動('07)
  • 消費者と証券投資('07)

専門科目・総合科目(不足12単位)

  • 科目1
  • 科目2
  • 科目3
  • 科目4
  • 科目5
  • 科目6

その他(不足8単位)

  • 日本国憲法('05)(平成21年度第1学期)
  • 科目1
  • 科目2
  • 科目3

年明けは放大から郵便ラッシュです.通信指導問題の添削結果,自習型問題の解答・解説,単位認定試験通知,そして平成22年度科目登録一式が届く.しかも,それぞれ別便で.通教の結果と自習問題解説は一緒でもいいと思うのだが・・・.

それはそれとして,来学期の受講計画を立てようかなと思います.まず,心理カウンセリング序説('09)は受けようと思っている.これはラジオ放送なのだが,ラジオを受信する設備が一切ありません.しかしながら,ラジオ放送科目はキャンパスネットワークから全部ストリーミングで聴講することができるので,問題ありません.すでに全15回をダウンロード済みで,しかもiPhoneに入れてあります.いつでも勉強できるよー♪試験実績も平均点83.8点になっているから,そんなに難しくないんだろう.序説だしね.試験日が火曜の真っ昼間ってのがちょっと気になるけど,たぶん大丈夫でしょう.きっと.

それから,生徒指導('06)を受講しようかと思っている.生徒指導は大事ですよ.大学においても学生指導として大変に重要な位置づけだと思います.この手の重要な基礎知識は早い段階に身につけておいて然るべきでしょう.まぁ,なんと言っても,3月1日~8日にかけて集中放送が行われるので,ここで全15回分を録画しておけば,計画的な学習に役立つと思われます.暇なときにまとめて消化できるとも言いますが・・・.ただ,試験日が日曜の8限というカオスな時間帯なので,やや困惑.試験実績は73.0/76.2点なので,まぁまぁといったところでしょうか.

大学と社会('08)という科目も気になりますが,集中放送に入っていないのと,試験実績が59.7/51.4点という稀に見る低水準なのが気になっています.日本国憲法のこともあるので,試験実績の平均点は当てにならない気もしますが・・・.

というわけで,来学期は心理カウンセリング序説('09)と生徒指導('06)の2科目を受講しようと思います.WAKABAでの申請期間は2月5日からだぜ!忘れないように!

放送授業も残り2回となりました.第14回は「生涯学習社会の展望」です.

内閣府が2005年に実施した生涯学習に関する世論調査によると,生涯学習として,健康・スポーツが22.1%,趣味が18.9%,パソコン・インターネット関連が12.0%の実施となっている.皆さん,色々と生涯学習を実施しているのですね.生涯学習に似た言葉として生涯教育があります.これは1981年の中教審答申「生涯学習について」で以下のように定義されている.

今日,変化の激しい社会にあって,人々は,自己の充実・啓発や生活の向上のため,適切かつ豊かな学習の機会を求めている。これらの学習は,各人が自発的意思に基づいて行うことを基本とするものであり,必要に応じ,自己に適した手段・方法は,これを自ら選んで,生涯を通じて行うものである。その意味では,これを生涯学習と呼ぶのがふさわしい。

この生涯学習のために,自ら学習する意欲と能力を養い,社会の様々な教育機能を相互の関連性を考慮しつつ総合的に整備・充実しようとするのが生涯教育の考え方である。言い換えれば,生涯教育とは,国民の一人一人が充実した人生を送ることを目指して生涯にわたって行う学習を助けるために,教育制度全体がその上に打ち立てられるべき基本的な理念である。

生涯教育について(答申)(第26回答申(昭和56年6月11日))

教員という立場であれば,こういう情報を持っていて然りだと思うけど,普通に大学にいても,この手の情報に触れることはない.やはり,教育者たるもの,どこかで教育論を学ばないとダメですよね.教育に関しては我流は良くない!

生涯学習の社会的側面として,学歴社会の是正という観点がもたれるが,それについての注目すべき指摘がある.

市川照る午氏は,「人々の自発性に任せておいたのでは,学習量の多いものがますます多く学び,客観的に見て学習する必要の大きい者が少なく学ぶことになり,その結果,教育格差がますます拡大する」(市川,1981)と述べている.

教育社会学 p.215 ll.3-6

ウェブ進化論で指摘されている学習の高速道路に近いものを感じる.実のところ,生涯学習は必要なものではないので,自発的学習意欲のある者は学び,そうでないものは学ばないという構図になるだろう.教育機関においても,学生は自発的学習意欲を失っており,学ぶ力がなくなっている.その典型は研究室であって,自発性のある者はどんどん伸びるが,自発性のない者は今までの学生生活を帳消しにするかのように堕落していく.

生涯学習に限らず,学ぶという意欲を一度失ってしまうと,それを取り戻すことは至難である.例え意欲が少なくても,失ってしまうよりはいい.意欲を継続し続けることが大事なんだろうなぁ.そういう指導が大学では必要なのだろうなぁ.よくわかりません.

また2回分積んでしまいました.第12回は「高等教育の現代像」です.高等教育の役割が時代とともに変化してきていることを説明している.

高等教育,特に大学が果たす機能としては,「教育」「研究」「社会との連携・社会への貢献」が挙げられる.うん.教育が先頭にくるのは当然のことです.重きが置かれるべきだからです.大学の歴史を辿ると,ボローニャ大学の学生組合,パリ大学の教員組合が大学の始まりとして紹介されている.後者は現在の大学へと直接繋がっている.前者はいわゆる私塾だろうか.

トロウによる高学歴社会の高等教育像によれば,エリート型,マス型,ユニバーサル型に分類することができ,現在の日本はユニバーサル化が進行している.帝大はこの分類ではエリート型に相当するが,戦後のベビーブーム等によって日本はユニバーサル型に向かっており,それを多くの私立大学が支える構造となっているのは明らかである.そういう視点から考えれば,旧帝大と私大ではその担うべき役割が完全に異なっているし,比べることすら無意味ではないかとも思う.ところで,旧国立大学は各都道府県に1つ以上あるんじゃないかと思いますが,道州制が導入された場合,どうなるんでしょうね?

なお,第12回の副講師の先生がなかなかユニークなキャラクターでした.「ありがとうございます」が口癖なのだろうか?主講師の先生が少しやりにくそうに見えたのは,きっと気のせいではない・・・.

第13回は「メディアと教育」です.放送教育とか,CAIとか,e-learningとかの話です.なお,第13回の副講師の先生はやりとりしやすそうでした.説明もわかりやすかったです.ま.説明が教科書順通りだったからですが.

メディアは古くは洞窟壁画までたどれるようです.近代的文明のところでは,15世紀の活版印刷だそうです.1746年に刊行されたコメニウスの世界図絵は初めての絵入り教科書として知られているそうです.

メディアと教育の関わりを考えるとき,テレビの教育番組は欠かせないでしょう.放送文化基金の調べでは,生後3,4ヶ月の赤ちゃんの半数が,テレビを見て笑ったり音楽に合わせるなど「立派な視聴者」であるそうだ.その反面,興味のあるところははっきりと視聴し,興味がなければそっぽを向くという「アンテナ視聴」をする.

最後にはCAIやe-learningなどの多様なメディアが利用されるようになると,メディア・リテラシーの能力が必要になってくると述べている.まさにその通りであって,勉強するための勉強,つまりメタ勉強が必要になってくる.e-learningは本当に教育を破壊的イノベーションに向かわせることが出来るのだろうか.

教育社会学第11回関連の話題から,社会における大学の位置づけについて書いてみようと思う.

義本 ただ、全国には世界で競い合う総合大学もあれば、教養教育を一生懸命にやる大学、地方で高等教育の機会をしっかりと支えている大学などさまざまな大学があり、大学での多様な学びを希望する人にその機会を保証するという観点からは、それぞれが大事な一翼を担っているわけですね。

大学特集-全入時代に変わる大学<産経新聞>

現在の大学は個々の様々な希望を受け入れるために,多様な学びを提供している.世界最先端の研究を推進する大学があれば,就職に強い大学,教養に長ける大学,国際色豊かな大学,手に職を付けさせる大学.実に様々であり,私の短いキャリアからしても,現職校と出身校では,その目的とする特色は異なっているように感じる.学生の雰囲気はそんなに違わないが.能力は違うけど.

これはこれとして,教育社会学より類似の話題を引用.

近代社会において学校教育は雇用市場への人材提供を主要な機能の1つとしてきました.しかし近年,学校の持つ人材形成機能に様々な問題が生じています.若年の失業やニート,フリーターなどの問題がその代表例です.

教育社会学('07) 第11回放送授業より

近年,ニートやフリーターが問題となっているが,その問題の一端は学校教育にあるという指摘である.高度成長期から90年代初頭にかけては,学校教育を終えれば,すぐに正社員として採用され,学校と企業の関係ができていて,学校も就職に当たった教育をそれほど行っておらず,企業に入ってからの教育に期待があった.それに対して,90年代半ば以降はこの状態が変化し,大学をいわゆる就職予備校のような位置づけにする動きがあることは否定できない.そのため,卒業すれば正社員として採用されるというキャリアパスが失われ,典型雇用と非典型雇用の2つの道ができてしまっている.

また,若者の就職状況が変化したことについて,新卒一括採用と教育の職業的意義の希薄さという点を指摘している.学校の中で職業的能力を身につけていない場合,学校から離れてしまうと,これからのキャリアに必要なスキルを身につけるのが難しくなっており,新卒の機会を失うと正社員としての雇用を受けることが難しくなっている.

私は企業人ではないので,新卒一括採用がどうなのかというのはわからない.大学人としてこの指摘の1つとして考え得るのは,社会における大学の立場だと思う.これからの大学教育においては,キャリアエデュケーションをしっかりと行う必要性があるのだと感じている.これは前期に受講した職業指導と通じるところがある.大学教育は中等教育の上を行く高等教育を施すだけにとどまらず,社会に人材を輩出する役目を担うべきところにきているのではないだろうか.教育は高等教育のみならず,職業指導をも含むべきであるし,研究のみならず,教育にも注力すべきである.そう,それは大学の役目であるのだから,各研究室の責務でもあると思う.一体何ができているだろうか.

納屋 それと関連して言いたいのは、「大学の本来の役割は教育である」ということです。昔の大学教員の大部分は「研究こそが大学の使命だ」と思っていたけれど、今の学生には、そういう論理は通用しません。大学の原点は「人材」をつくることであり、研究はもちろん大切だが、教育の場にその成果を生かす努力をしてもらわなければいけない。

教育の質を高めるためにFD(ファカルティー・ディベロップメント)をはじめ教育環境を整え、資金の裏付けなどさまざまな施策を講じましょうというのが今の大学改革なんです。

大学特集-全入時代に変わる大学<産経新聞>

常々私が主張している方向に向かいつつあるのだろうか.もしこれがこれからの大学教育改革の本流になるとするのであれば,乗り遅れたらすぐに取り残される流れだと思う.教育のできない大学教員は必要とされなくなるのだろう.

第11回は「若者と仕事をめぐる諸問題」です.内容はニートとかフリーターとかの話でしたが,説明は端折ります.これについては関連の話があるので別エントリを書きます.

なお,副講師の先生のしゃべり方が特徴的で,結構好きです.飲んだら爆弾発言をいっぱいしそうな人でした.すてき.

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申請していた既修得単位が62単位分認定されました.おーいえい.後は卒業に向けて,バリバリと単位を取得すればいいわけですね.わかります.がんばります.

関連:
平成21年度第2学期放送大学入学者の集い - 4403 is written

いよいよ第10回になりました.第10回は「教育改革と公教育問題」です.いわゆる「ゆとり教育」云々という内容.まずは定義から.ここでいう教育改革とは以下の通り.

一国の教育構造や学校体系のあり方そのものに加えられた大幅な変革を指す概念

教育社会学 p.140-141

さて,前半は教育改革として6・3・3制の見直しや非教員出身の校長任用について説明している.中盤では中曽根内閣の臨教審から始まり,歴史的,政治的,経済的背景から教育改革を説明している.後半にかけては「ゆとり教育」が実施された背景を説明しながら,TIMSS2003の結果とPISA2003の結果を紹介しつつ,現状の問題点を整理している.

特に真新しい収穫はなかった.

第9回は「教育の病理」です.教育現場におけるルール違反などを正常な状態に対する「病気」として扱う.つまりは,暴力,いじめ,不登校,学級崩壊などの「通常」からの逸脱を取り扱う.まず,教育病理という概念は次のように定義されている.

「広義の教育領域において生じる問題状況および広義の教育の結果として生じる社会的問題状況の総称」

教育社会学 p.123 ll.16-18

広義の定義でいけば,頭でっかちや勉強に没頭して嫁が見あたらないとか,明らかに教育病理であると言えますね.これは根が深い問題だ.

閑話休題.テキストでは,暴力行為,いじめ,不登校,学級崩壊に焦点を当てて解説している.まず,暴力行為.基本的に暴力行為が多いのは中学校である.2005年度では実に全体の76%に達するらしい.高校になると減少する.これは規範を内面化できた生徒が増えることと,懲戒を意識していることが大きいらしい.

続いて,いじめ.いじめは傾向が顕著で,中学校が圧倒的に多く,特に中1が突出している.これは「中1ショック」によるものと考えられます.同じように「社会人1年目ショック」も存在すると思うのですが,いかがでしょうか?

不登校は減少傾向にあるようです.しかしながら,やはり中学校での不登校は小学校に比べて数倍に増えています.中1ショックですね.なお,不登校に関しては高校はデータに入らないそうです.これは高校が義務教育ではないことと,指導による改善が見られない場合,中途退学になるからだそうです.なるなる.

最後に学級崩壊.文科省は「学級崩壊」という言葉が一人歩きすることを恐れ,その言葉を使わず,調査も行っていないらしい.学級崩壊の調査を行っているのは独法の国立教育政策研究所だそうです.なお,学級崩壊とは「学級がうまく機能しない状態」と定義されるようです.この定義に従うなら,研究室崩壊する日も近そうです.すでにしているかも?

そして,まだ1週分積んでいる件.つんどくー!

ちょっとお勉強を積みすぎです.というわけで,連休を利用して一挙に消化します!第7回は「分岐点としての中等教育」,第8回は「教育におけるジェンダー」です.

えっと.第7回はよくわかりませんでした.中等教育の起源は「ポスト初等教育」と「プレ高等教育」の2つある.

第8回は興味深かったです.学校教育におけるジェンダー問題がいろいろ取り上げられていました.特に,「かくれたカリキュラム」が興味深かったです.名簿や席順が男女別だったり,男子が先だったり,リーダーは男子,その補佐は女子という「らしさイメージ」による役割分担だったり,教室内における「かくれたカリキュラム」が存在しているようです.

また,ジェンダーの観点から以下の指摘がありました.引用は正確じゃないです.

女性は理数系に向かないというステレオタイプが少女たちを理数系の勉強や進路選択から遠ざけている可能性がある.

その通りだと思います.オレに言わせるとよく出てくる「可能性は開く方向に」ってやつですね.狭い視野で可能性をふいにしてはなりません.いつだって,すべての可能性は開く方向に作用されるべきです.女性が理数系に向かないかどうかなんてわかりませんので,そのようなステレオタイプは可能性を閉じていると言えるでしょう.

それから制服の話.男子の学校制服は,1880年代後半に軍服をモデルに作られたらしい.へーへーへー.女子の洋装制服はブルマが先行で,その後に軍服のセーラーをモチーフにセーラー服が作られたらしい.ブルマ先行とは・・・.ブルマが消滅した現代初等中等教育は歴史を断ち切ったのですね.悲しいことです.

なお,真面目な授業のはずなのに,「ブルセラ」だとか「性的欲求の対象」だとか,なんだかすごいです.

女子高生が制服を纏うことで自らのセクシャリティを封じ込められる反面,それと同時に性的な欲望の対象として逃れられないというジレンマを背負っている.

なんてこったい!つまり,制服女子高生が性的欲求の対象なり得るのは自明であるといえるのではないでしょうか.うーん.ジェンダー論,奥深し.

やっと積むことなく消化できるようになった.第6回は「教師・生徒・カリキュラム」と題されている.内容としては学校という空間,配置,教室などの中に隠されている,見えているが気がつかない「かくれたカリキュラム」を考える.

「かくれたカリキュラム」とは,学校生活を支えているもののなかで見えてはいるが気づかれない,このような暗黙のことがらやルールのことである.

教育社会学 p.81 ll.1-3

教科内容の3Rsは以下の通りである.

  • reading
  • writing
  • arithmetic

これに対して,学校に適応していくための「かくれたカリキュラム」として,以下の3つがある.

  • 規制 regulations
  • 規則 rules
  • 慣例 routines

この3Rsを柱として学校生活を特徴付ける3つの要素として以下の3つがあげられる.

  • 集団 crowds
  • 賞賛 praise
  • 権力 power

そして,教室で生活していくために,同年齢,同地位の生徒たちの一員として行動できるような態度を学習することが必要となる.

ところで,明治8年の「小学教師必携」によると,能力によって進級させる方式(等級制度)をとることが指示されている.対して,明治24年の文部省令「学級編成等ニ関スル規則」で初めて現在のような「学級」概念に近いものが提示される.ここで「学級」とは,「1人の教員」「一団の児童」「1つの教室」「学年編成」を要素とするものとして規定されている.

今更だけど,やはり学会に出て行くときにはそれなりの勉強をしてから行くべきだと思います.振る舞いとか所作とか.なので,はじめて学会発表(卒研発表等を含む)をする人に読んで欲しいです.読みやすくはないと思うけど.

たとえば,プレゼン方法にしても,意識してできないのと,無意識でやらないのでは大きく違うと思う.発表を聞いていて大変耳について,1度気になり始めるとそればかり気になって全く耳に話が入ってこなくなることがある.冒頭の「で.」とか,「えー」である.これは強く意識すれば出ないようにできる.強く強く意識する必要があるが,止めることはできる.それをしないのは,やはり単純に練習不足だし,指導不足だと思われる.あとは知っておいて欲しいこととして,聴衆はその発表が聞きたくてその場にいるということを理解しておくべき.だから,お客様に失礼がないように.かといって「これから○○について××が発表させていただきます」なんておかしい.「これから○○について××が発表いたします」で十分.日本人らしく謙りすぎ.もっと自信を持って堂々と!

プレゼン全体で言えば,誰に向かって喋っているのだろうか.手元のパソコンだろうか?それとも大きなスクリーンだろうか.聴衆は誰だろうか?研究発表は何のためにするのだろうか?誰のためにするのだろうか?確かに,初めての学会発表で聴衆に目線を向けて語りかけるように話すなんて,簡単なことではない.だからといって,できないわけでもない.たまにチラッとでも会場に目をやるくらいはできると思う.聴衆の反応を見ながら話せるようになると,かなりグッド.

それから,レーザーポインターの使い方.人間というのは動いてるものを追いかける習性があるので,レーザーポインターがあっちこっち動いているとそれを追っかけてしまい,どこを見てるのかわからなくなる.よく考えて欲しい.指し棒だったら,その動きはできないでしょ.レーザーポインターだからこそできる動きであって,それは大変に見にくいです.レーザーポインターの使い方としては,注視して欲しい箇所を一点指し示すのが正しい.某K研究室の教えでは,レーザーポインターは腰で構えるそうです.そうすると手が震えないので点がぶれないということだそうです.

それから基本的なパソコンとプレゼンツールの使い方は学んでおくべきだろう.単純なところでは,プロジェクタに出力する方法を知らないなんて・・・.というか,セッションが始まる前に接続確認をしておくとか,基本中の基本だと思うのだが・・・.いや,それを言い始めると,セッション開始前に座長に挨拶に行くのも基本だよなぁ・・・.閑話休題.前発表者終了からPCつなぎ替えて画面出力をするところも自分の持ち時間に含むという考え方が世の中にはある.ここでもたつくのはダメです.迅速に切り替えてください.聴衆を待たせているという事実をクールに気づいてください.プレゼンツールの使い方も大事.ここではパワポの使い方を説明するが,フルスクリーンへの切り替えはF5.メニューをさがして回るとか恥ずかしい.スライド送りは→キー.戻るは←キー.現在表示しているページをフルスクリーンはShift+F5.フルスクリーン中に指定ページにジャンプするのは,数字+Enterキー.たとえば「スライド25をお願いします」といわれたら,25+Enter.発表が終わり質疑応答になったら,何を画面に表示しておくか?「スライドショーの最後です.クリックすると終了します.」という黒い画面か?「ご静聴ありがとうございます」という謎のスライドか?どちらも恥ずかしい.最終スライドに発表者のコンタクト情報を書いておいて,それを表示するとか,質問しやすいようにスライド一覧を表示するとか,気を利かせて欲しい.自分がされてうれしいことを他人にもしてやればいい.あー.それから,パワポ最大の注意点はリハーサル.リハーサルを実行するとスライドをめくるタイミングを全部記録してくれるのだが,練習回数が少ないうちは同じように話せるわけではなく,練習では口に出して練習しないので早口想定になったりして,本番ではスライドが勝手にバンバンめくられてしまったりする.そうならないように,リハーサルを実行するときは注意深く.

質疑応答も大事.研究室内部での発表練習では,質問する側もされる側も全くなにも意識していない.だから,どう立ち振る舞っていいのかわからないのだろうか.少なくとも,学会発表で質問が来るということは,その発表に興味を持ってくれたから質問していただけるわけで,それに対する対応が「今後の検討課題にします」なんて失礼千万です.いや,「今後の検討課題~」はオレも使うし,実際そうとしか返しようがない場合もあるわけだ.しかしながら,質問者に敬意を払い「なるほど.○○の××については△△で十分かと考えますが,▲▲の□□に与える影響については考慮していませんでした.おそらくは☆☆だと思いますが,まだ未検討です.今後の検討課題とさせていただきます.ありがとうございます」くらいは言って欲しいです.自分の意見を述べて欲しいです.コミュニケーション拒絶なんて,お互いにとって悲しいです.

まとめ:
しっかり練習して!

200911060004追記:
要するには学会から学ぶべきことが多くあったんじゃないのかなと.反省すべき点が多々あったんじゃないのかなと.そう思うわけです.

200911070949追記:
Twitterからいくつかコメントが!Twitterちょー便利!コメント欄なんていらないじゃんね.

@k4403 ぶっちゃけた話、指導者が知らないと誰も知らないと思うので、学会等で先生方向けに講習会やるのが一番いいと思います。本当に。

Twitter / K. Xagawa: @k4403 ぶっちゃけた話、指導者が知らないと誰も ...

そうなのかもしれません.プレゼンのスキルも学生指導の一環ですから,当然に指導教員の指導範囲だと考えられます.でも,どこでやればいいんだろう・・・.そういうセッションを設けてもらえばいいのかな?研究会ならできそう?別件ですが,論文の書き方もちゃんと指導するべきで,IS研究会はその手の活動を毎年1回程度行っています.過去の実績の一例.まだ未確定ですが,IPSJ72(2010年3月9日~11日)内の企画にも入っています(たぶん).宣伝.

@k4403 発表スタイルが一番研究室によって違う気がします(よい悪いだけでなく).意外にプレゼン発表に力を入れない研究室も多いのかもしれませんね.いや,私も下手糞なんですけどねーorz.とりあえずページ数は入れてほしい.

Twitter / るろ: @k4403 発表スタイルが一番研究室によって違う気 ...

なるほど,研究室毎に違うですね.わかります.個人的には研究室内でもさらに違うと思っていて,本当の意味で細かい分野ごとの違いによるのではないかと思っています.なかなか画一したプレゼンスタイルというのは提案しにくいのですが,基本的な姿勢は変わらないかと思っています.大きな声で堂々と.うーん.どこかで,「大きな部屋の後ろにボスが座って,前で発表をするんだけど,声が聞こえないと言われて,大きな声でハキハキと喋る練習をさせられて」というエピソードを読んだことがあって,それをリファしたいけど,見あたらないorz.

ページ数を入れておく話は書き忘れを思い起こされたので,追記.ページ数を入れておいてください.質問者が質問しやすくなります.質問の時に「えーと何ページだったかな?ページを順番にめくってください」なんて言われて,アニメーション大量で,ページ送りが大変なんて泣ける.ページ番号があれば,質問者はページ番号を記録しつつメモをとると思うので,質問の時のコミュニケーションもしやすい!

本放送に追いついた!ま.明日また突き放されるけどorz.第5回は「学校教育への参加」です.

第5回のキーワードは「通過儀礼」でしょうか.学校は儀礼の塊で,その象徴例は入学式である.式が始まると,校長先生の挨拶,校歌斉唱,上級生との対面などのプログラム進行とともに,学校という新しい世界に参入することが共有され,確認されていくようです.通過儀礼は「死と再生」のプロセスとしてとらえられ,通過儀礼を通して生まれ変わる過程は聖なるものとして受容されるとともに,またその前に立ち戻ることはできないのです.死んでるからね.

学校は通過儀礼の塊であって,それは1つの授業でも同じです.学級崩壊は学校の権威や儀礼的行動の強制に対するリアクションとしてだけではなく,学校の衰退とともに表出してきた現象と言えましょう.思うには,近年の大学生が,ここでの言葉を借りるならば儀礼を通過することなく放棄しているのは,大学という社会組織の衰退が一因であるとともに,学生そのものの意識の低さも問題の根底にあると思う.学生が大学という社会組織に入るという儀礼を乗り越えていないから,このような事態になっているのではないかと邪推する次第です.詳しくはわからん.

それからテキストにはないけど,印象的な説明があった.以下,ビデオから適当に文字起こし.正確じゃないです.

大阪市の高校生へのインタビュー.小さい頃,小学校低学年,高学年,中学校,今,そのそれぞれの時点で,自分がどうなりたかったかを尋ねたアンケート.小学校低学年までは自分が実際に見たことがある職業につきたいと考えていた.たとえば,花屋さん.しかし,今になると,その希望は変質し,自分がなりたいと思うものが目に見えるものから「とりあえず上の学校に行きたい」などと考えるようになる.特に,学校で成功を収めている人たちにその傾向が強く,具体性があっても「放送関係」だとか「公務員関係」という,それが何を指しているのかわからない抽象的なものに変質している.

ここでの先生の口調が強くなっているのが,印象的.すごくよくわかります.

教育社会学も第5回を終えたわけですが,結構面白いです.1学期に受けていた日本国憲法('05)よりも圧倒的に面白いです.てか,テキストを持ってなくても楽しめるような内容になっているので,単純に教育番組として眺めてみるのもいいんじゃないかと思います.木曜の朝9:45とかからやってる気がします.チェキラ!

大絶賛積み立て中です.あと1回分残したまま今週分の放映が明後日に・・・.第4回は「仲間との関わり」です.

幼児期は家族以外に仲間集団を形成し,子供同士で遊ぶようになる.家族集団は垂直的構造だが,仲間集団は水平的構造であり,立場が対等なので,自分の主張と他人の主張がぶつかったり,遊技活動の進め方を巡ってしばしば口論やケンカが起こるそうです.

遊びの研究で有名なパーテンは幼児の遊びを仲間との関係のあり方を基準に6つのタイプに分類している.

  1. 何もしていない行動
  2. 1人遊び
  3. 傍観者的行動
  4. 並行的遊び
  5. 連合的遊び
  6. 協同的・組織的遊び

この部分は資料映像を交えて解説されていて,大変わかりやすかった.研究室の学生の動きを見ていると,並行的か連合的であって,協同的・組織的という動きには見えない.まだまだ成長の余地はあるということか.

一種免許状を持っていないが,一足飛びで高等学校教諭専修免許状(工業)を取得したので,その過程を報告したい.ほとんどの人はこのようなイレギュラー状態にはならないと思うので,ふーん程度に読んでくれればいいと思います.誰かの役に立てばと.ちなみに,内容は専修免許状を取得する話に終始していますが,一種免許状を取得する話に読み替えられると思いますので,その辺は適宜.ただし,工業以外の免許状の場合,状況がかなり異なるので,参考にならないかもしません.工業は教育職員免許法に特例があります.

11 別表第一の規定により高等学校教諭の工業の教科についての普通免許状の授与を受ける場合は、同表の高等学校教諭の免許状の項に掲げる教職に関する科目についての単位数の全部又は一部の数の単位の修得は、当分の間、同表の規定にかかわらず、それぞれ当該免許状に係る教科に関する科目についての同数の単位の修得をもつて、これに替えることができる。

教育職員免許法 附則11

今回はこの特例を利用していますので,工業以外の人は気をつけるように.

前提
専修免許状を取得可能な大学および大学院を卒業・修了しており,教職科目の一部を残したまま卒業したために,専修免許状は疎か,一種免許状すら申請できない状況から,不足単位を補って,一種免許状取得条件を揃える.大学院での履修科目は専修免許状申請に十分な認定単位を持っているとする.つまりは,一種免許状ならびに専修免許状を申請する上で,極一部の一種免許状取得条件における修得単位の一部が足りないという状況.申請先は東京都教育委員会.申請免許状は高等学校教諭専修免許状(工業).

前準備
科目等履修生についてを参考にしてください.再度説明すると,出身大学(学士の学位を取得した大学)に連絡をし,基礎資格および単位取得証明書(もしくはそれに類するもの)を手に入れてください.これを取得しない限り,何の単位が足りないのかが明らかになりません.合わせて,専修の確認もした方が良いですが,学部からそのまま修士進学した場合,常識的な修了要件を満たしていれば,専修免許状に必要な修得単位は満たしていると思われます.一応確認してください.他大学や別専攻に進んだ場合はこの限りではありません.

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これはオレが学士の学位を取得した大学から発行された基礎資格および単位修得証明書です.後述しますが,これは新法適用です.赤枠で括った部分の単位が不足しています.つまり,職業指導4単位と日本国憲法2単位が足りません.これを何らかの方法で補う必要があるというわけです.

不足単位が明らかになったら,何らかの方法で不足単位を補ってください.一般的には,出身大学または近隣の大学の科目等履修生になることになると思います.通信課程の全科生や選科生でも宜しいと思います.とにかく,不足単位を修得してください.なお,その際は,その修得しようとする単位が,教員免許状の修得単位として認定されるかどうかを申請予定の教育委員会に確認してください.これ,絶対.

単位修得
頑張って単位を修得してください.社会人になってからの受講は格別.タイムコントロールを色々と学べます.主には睡眠時間を削る方向に.

免許状申請手続き
東京都教育委員会に免許状を申請する場合,専用の申請用紙が必要となるため,少なくとも1度は窓口を訪問する必要があります.場所は都庁第二庁舎27階です.ムラサキのエレベータです.申請用紙を入手したら,基礎資格を得た大学(つまりは出身大学)および不足単位を修得した大学に,この用紙を持ち込んで,免許状申請に必要な情報を書いてもらいます.この時,「専修免許状」であることを必ず告げてください.その上で,基礎資格と修得単位の全てを書いてもらってください.この手続きは面倒です.各大学に直接赴くか,郵送での手続きになると思います.しかも,複数の大学から証明書をかき集めるわけではなく,申請用紙を回して歩かないといけないので,なかなかに時間がかかります.覚悟しましょう.

実際には,H2大学の単位確定を受けて,9月11日に教育委員会に出向きました.この日は突然の思いつきで行ったので,何ら関連書類を持って行きませんでした.結果として,これは失敗だった(後述).まず,申請書を入手するための書類を書きます.学歴とかなんかそんな感じのを書きます.既に他の免許を持っているとか,採用に際して免許が必要だとかにチェックを入れると手続きが面倒のようです.今回は関係ないです.さて,ここで問題が発生しました.それが,適用法が新法か旧法か(旧々法ってのもあるけど古すぎ)です.私の学部在籍期間から見て,旧法適用なのだそうですが,踏んだり蹴ったりで,私は新法適用です.これも詳細は後述します.すったもんだの末,新法の申請書類を手に入れました.適用法によって書類が違います.頂いた書類は,教育職員免許状授与申請書2通,記入要領3通,取得済み免許状確認書,申請マニュアルです.授与申請書は通常1通だと思います.1通に3大学まで記入できますが,今回は4大学(T1大学×2,T1大学大学院,H2大学)を利用するというワロスワロスなくらいに特例的なへんてこりんな試みをしているので,2通です.ご配慮頂いて,上手く分けて頂いたので,効率よく証明書を集められそうです.記入要領は各大学の担当者宛で,授与申請書の書き方が書いてあります.私には関係ない.取得済み免許状確認書も今回は関係ないです.申請マニュアルはマニュアルなので,超大事.

さて,授与申請書を単位修得した各大学に持ち込みます.まずはH2大学に持ち込みました.何のことはなく受理されましたが,発行には2週間程度かかるそうです.たった1学期1単位なのに・・・.続いて,物理的な距離が問題のT1大学に申請するべく,担当部署に電話します.結果として,郵送で処理できることになりました.が,手続きは面倒で,学内校舎間手続き(3校舎をまたぐw)を含んでいるので,全く以て面倒なことになっています.「どうしたらいいですか?」ってきいたら,「こっちで調整するので,とにかく全部送って下さい」って.心強いんだか,いい加減なんだか・・・.というわけで,郵送で依頼した,返信用封筒に120円分の切手と発行手数料100円を入れて送った.

授与申請書以外に揃えるべき書類として住民票があるので,区役所に赴く.発行自体はスムーズで何も問題はない.200円でした.その後,留守電が入っていて何かと思ったら,H2大学でした.2週間かかるっていってたのに,僅か2営業日で書類が出来たらしい.もちろん,そそくさを受取に行って参りました.こちらも200円.T1大学は申請から書類到着まで2週間以上かかりました.こっちは時間がかかるかと思っていましたが,予想通りでした.と思いきや.書類を見る限り,詰まっていたのは想像していた方ではなかった.卒業式まで成績証明書を発行しないつもりだろう,と思ったら,成績証明書は15日付で発行されていた.これだからT1大学は・・・.

28日にすべての書類が揃ったので,翌日に東京都教育委員会へ申請しに行きました.

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申請は申請者本人が直接申請に行く必要があります.この時,持ち物がいくつかあります.授与申請書,取得済み免許状確認書は当然のこととして,それ以外に発行3ヶ月以内の本籍地記載がある住民票,印鑑(シャチハタ禁止),申請手数料(3300円),80円切手,A4サイズ封筒(郵送希望者のみ,440円切手を貼ること),そして申請マニュアル.持ち物が意外と多いので,要注意です.特に,住民票が必要になるので,ゲットしておきましょう.なお,申請手数料や公布日は書かれている通りなので,参照してください.不備があった場合,翌日の17時までに電話で連絡があるそうです.特に何もなければ受理されます.

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申請に際して,申請受理証兼免許状引換証をもらいます.私の場合,平成21年10月1日付けの免許状が10月27日以降に郵送で送られてきます.

新法と旧法
今回の最大の問題にして,オレの10年の努力が水泡と化すところだった,最大のパニックを引き起こした原因です.新法は平成10年度に大学入学した人から適用になるそうです.それ以前は旧法ですが,この境目近辺は旧法新法入り乱れているそうです.そんで,オレは何故か旧法適用って聞いたような気がしたので,「旧法だったような気がします.たぶん」という曖昧なことを口走りました.これが発端.教育委員会の担当さんが色々と調べ始める.T1大学は旧法適用でも問題がないと思うが,17年4月から21年3月に博士課程に在籍していたことを証明するものを持ってこいと.それは無理な相談だ.オレはダメ人間だが,運悪く3年で博士課程を修了しているので,20年4月から21年3月はどこにも(大学にって意味(あれ?語弊があるぞ?))在籍していない旨を伝えた.そうしたら,担当さん大慌て.それはまずいッスって.基本的には平成11年に入学で旧法適用でも構わないらしいんですが,免許状申請までの間に,在籍空白期間があってはならないんだそうです.つまり,オレは博士を修了してすぐに科目等履修などをして籍を残していれば良かったらしいんですが,空白の1年(働いてるよ?)を作ってしまったために,旧法適用は不可能であるとの旨.オレ,半パニ.と同時にT1大学に対してキレたのは想像に難くない.で,すぐにT1大学の担当部署に電話してくれて,確認してくれた.

結果としては,オレの場合,新法だろうが旧法だろうがどっちでも良かった(つまり新法適用)らしい.それは単位修得的な意味で.これは運が良かったというべきだろうか.今回は工業の免許状を申請しているが,工業は特殊で,「教職に関する科目」のほとんど全ては「教科に関する科目」で充当可能なのである.ここで大事なのは,新法で加わった科目がいくつかあって,「教職に関する科目」がほとんどで,それ以外では「外国語コミュニケーション」と「情報機器の操作」が増えています.ここで,後者2つは認定されていることが確認されており,残された「教職に関する科目」は「教科に関する科目」で充当されるので,実のところ,新法でも旧法でもどちらでもクリアしていました.ふへー.首の皮が繋がったぜ.裏を返せば,「教職に関する科目」がいくつか増えているので,旧法適用だと思い込んで新法適用だった場合,工業以外の教科では間違いなく不足単位が発生すると思われます.

というわけで,これ以降に免許状を申請する人は常識的に考えて新法適用だと思うので,どうでもいい話です.申し訳ない.なお,今後新制度が始まる予感ですので,その時はそれで,また考える必要があります.

取得した免許状

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CSS2009から帰ってきたら,届いていました.別になんていうことはない,高等学校教諭専修免許状(工業)です.感無量.こうして今年の目標2は完遂された.

教員免許更新制度
これ,超重要事項です.これから免許状を取得しようとする人に,裏技を伝授します.そもそも教員免許更新制度とは何かを確認しましょう.

教員免許更新制は、その時々で教員として必要な資質能力が保持されるよう、定期的に最新の知識技能を身に付けることで、教員が自信と誇りを持って教壇に立ち、社会の尊敬と信頼を得ることを目指すものです。不適格教員の排除を目的としたものではありません。

教員免許更新制度について

で,問題となるのはこの「定期的に」という部分です.「10年ごとに」という言葉だけが独り歩きしてて,正確に理解している人が少ない(現職教員でも)ので,詳しく尋ねてきた内容を要約して書く.まず,旧免許状と新免許状という言葉があり,今から取得する人は新免許状に該当する.旧免許状の話はオレには関係がないので,割愛.必要な人は適切に確認してください.よく分からないけど,学校長あたりから通知されるんじゃないですかね?さて,新免許状における「10年」というのは何なんでしょうか.これが非常に厄介であることが判明しました.

普通免許状または特別免許状の有効期間は、所要資格を得てから10年後の年度末までです。
※ 「所要資格を得て」とは、免許状の授与に必要な学位と単位を満たした状態のことをいいます。

〈解説〉教員免許更新制のしくみ(PDF/623KB)

ぶっちゃけ.この説明の通りなんです.免許状の有効期間というものが設定され,それは所要資格を得てから,10年後の年度末までなんだそうです.つまり,オレの免許状の有効期間は2020年3月までです.これは厄介です.何が厄介かって,「所要資格を得てから10年」であって,「免許状を取得してから10年」ではないのです.つまり,単位が揃った時点から10年なので,免許状申請を先送りしても,更新制度を回避できるものではありません.しかも,免許状を申請せずに,有効期間を超過した場合,更新講習を受けないと免許状が発行されないそうです.もうちょっと補足すると,新免許状の場合,免許状を得てから,教員になるとかならないとか全く関係なく,所要資格を得てから10年経過すると,更新講習を受けねばならず,受けなかった場合,免許状は失効します.ただし,失効した状態でも,更新講習を受ければ,有効な免許状を再取得できるようです.

つまり,何を言いたいかというと.今すぐに教員免許が必要でないのならば,いつでも取れるであろう単位を1つ残しておき,教員免許が必要になるおよそ1年程度前に,その単位を修得するべく動くのが,免許更新制度を回避する最良の選択と思われます.ただし,前述した適用法の範囲でやってください.通常は新法適用だと思うので問題ないですが,新々法とか出てくるかもしれないので・・・.まぁ,あれだよね.10年後にはこの制度自体が無くなっているかもしれないけど.って書いたんですけど,無くなりそうですね.いや,無くなりますね

H2大学の初回授業は4月7日になるのだが,通信制なので,別にこの日に勉強しなくても良い.良いのだが,そうやって気を抜くと貯まりに貯まって,最後に痛い目を見ることは夏休みの宿題で十分に理解しているはずなので,ここは経験を活かしておきたい.

H2大学は1コマ45分という特殊な構成になっている.短いと思うかも知れないが,これが結構にきつい.まず環境が良くない.自宅なので勉強する環境ではなく,誘惑がいっぱいである.しかも,録画してあるので,いつでも止められるという安心感が良くない.さらに,録画授業なので,脇道トークもなく淡々と進められる.板書もなければ,演習もないし,問題を解く時間なんてものも授業時間に含まれていない.正に淡々と進む.なので,45分はかなり濃密で,結構きつい.無駄はいるよぅ

で,その授業内容なのだが,ビックリである.基本的に教科書を淡々と読んでいくだけだった.教科書の章構成をみてみると,15章構成になっていて,毎授業1章ずつやっていくとちょうど収まるようにできていた.つまり,そういうことである.HDDレコーダを買った意味はなかったやもしれない・・・.

そんなある日.学生証を手に入れねばならないので,赴いてみたのだが・・・.なんと!休みだった.結構遠かったのに・・・.悔しいので,同じ週の別の曜日に行ってみた.今度は窓口業務が昼休み中orz.そんなこんなで,後日にまた赴いて,やっとこさ学生証が手に入ったのでした.

で.そうこうしている5月末.通信指導の時期がやって参りました.通信指導は小テストを郵便で送る仕組み.中身は全10問のマークシート式.提出期間は5月25日から6月9日なのだが,テスト範囲の授業は6月2日まである.しかも,「提出期限後に到着したものは,未提出とみなします」って・・・.怖いよ.というわけで,予習をしまくって,1週早く出してみた.こんな感じで,送料は15円でした.郵便局で15円って,いつの時代だよw.領収書を見ると,第四種(教科)通信教育と書かれています.色々あるんだなぁ・・・.

7月初旬,通信指導の採点結果が戻ってくる.かなり間違えているが,定期試験の受験資格はゲットした模様.2ch情報だと,1問でもあっていればいいらしい.ややもすると,全問不正解しそうだから笑えない.あわせて,自習課題の解答例も送られてきた.何故か別便で.さらに別便で,来学期の継続入学申請書も送られてきた.一括にすればいいのに・・・.バラバラに送った方が安いのかな?

で.定期試験が近づいてきたので,持込可能物である六法を買ってみた.選んだのは有斐閣判例六法.根拠は特にない.というか,法律系の試験は初めて受けるから,勉強方法も何もかもさっぱり分からない.どうしよう・・・.なお,試験はガチで難しいらしい.某巨大掲示板の情報では司法試験級のヤバさらしい.なんてこったい.選択を誤ったやもしれん.ちなみに,受験前の自信を述べておくと,全く自信がありません.そもそも,自信を持って「これが合っている!」と言い切る自信が微塵も認められません.ここまで自信がないってのも珍しいもんだ.別に,ちんぷんかんぷんなわけでもない辺りがややこしさを助長している.

学期末が近づいてきた7月中旬,受験票が届きました.定期試験には受験票と学生証が必要なようです・・・.忘れたらどうしよう?

そして,単位認定試験の日.遅刻しないように早めに家を出て,公共交通機関の影響を受けないように,徒歩で向かいました.エコ.試験開始40分前に到着したところ,自習室や廊下に人があふれています.非日常だ.いろいろな人がいますね.若い人からおじいちゃんおばあちゃんまで.1番多いのは主婦っぽい(しかもマダム級)人ですね.廊下で試験室が空くのを待ちつつ勉強してたら,「今日も暑いわねー」ってアグレッシブに話しかけられました.うーん.出会い?試験室は全54席で,席と席の間隔が狭いので,カンニング防止衝立が設置されています.図書館みたい.受験者は20名程度でしょうか.やっぱり,マダムが多いです.六法が持込可なんですが,机が狭いので,受験票や学生証を出しておくと邪魔以外の何者でもない.実際,試験では六法が本気を出すことは全くなく,マークシート用文鎮として全力を発揮していました.高かったのに・・・.

で.結果は前評判の斜め下です.遙かに斜め下です.過去のことは知りませんが,通信指導と自習課題の問題をやっていれば,ほぼ満点が取れると思います.オレのでたらめ暗記法で記憶をたぐり寄せながらやって,自己採点で78%です.ボーダーラインを越えればよいだけなので,十分といえます.勝利!

9月9日,成績照会が可能になる.結果はAでした.満足であります!こうして,ボクのH2大学での科目等履修生は終わりを迎えました.めでたしめでたし.

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とはいかなかった後日談.科目履修はこれで良かったのだが,引き続き第2学期からは全科履修生となったのだが,ここに問題が発生した.すでに書いたとおり,入学者の集いで学生証が手に入らなかった.理由は科目履修生の学生証が9月末まで有効だからだそうだ.10月1日からは全科履修生の学生証を発行できるらしい.これはおかしくて,不公平だ.引き続きの人は新しい学生証がもらえずに,初めて入学した人は学生証がもらえるのだ.ここで注意すべきは,科目履修生の学生証と全科履修生の学生証では効力が違う.科目履修生の学生証はH2大学に在籍していることを証明するものであって,いわゆる学割等の適用は受けられない.対して,全科履修生の学生証はその名の通り学生を証明するものであり,学割等の適用を受けられる.この差は大きい.だから,鳩山会館に入れなかったのだ.常識的に考えて,こういう場合,古い学生証と引き替えに新しい学生証を発行するのが筋ではないだろうか.同じ効力の学生証なら別によいが,効力が異なっている点は見逃せない.権利を平等に与えられなかった.不公平だ!

というわけで,H2大学と伏せて書いていたんですが,放送大学であることは明らかになりましたとさ.

T1大学の初回授業は4月11日だったのだが,この時点で科目等履修生としての正式な許可は下りていない.事務手続き上は進行中の状態で,事後許可という形になる.

T1大学は夜間部なので,夕方から夜にかけて授業が行われる.ちなみに,受講者はオレ1人だった.うはw人生初のマンツーマン授業w.2,3人はいるかと思ったんだけど,1人とは・・・.つまりあれです.オレが休むと休講です.だから結局,強くてニューゲームはできたけど,モテモテにはなれなかったw.ちなみに,食堂は喫煙可能なあたりが,夜間部的だと勝手に思いました.喫煙率が高そう・・・.さらに,食堂では夜なのにランチが食べられます.レアレア.なお,2週目から受講生がもう1人増えて,2人になりました.でも,学部の授業なのに,学部生が0人っていう辺りが異質で素敵.新しい学友は大学院生です♪

特に何もなく,学期は進んでいく.途中,1回だけ欠席致しました.博士の世界ではよくあること.定期試験が近くなってきたので,試験に持ち込み可の自筆ノートを作り始めました.いやいや,自筆ノートを作るのは大変ですね.最早,普通のノートを作れる気がしなかったので,普通のA4オフィスペーパー10枚に,かなり大きめの字でまとめてみました.A4勉強法の改変版ですね.なかなか上手くまとめられたと思います.

そして,定期試験は2回ありました.厳密には定期試験1回+小テスト1回です.どちらもボリュームは同じなので,定期試験2回と言って過言ではないと思います.結果としては,勝利しました.この授業は新入生募集停止の影響で,来年度から廃止なんだそうです.そういうわけで,最期の2人となりました.そんなこんなを汲んだ先生が「最期のご祝儀です」って,Sをくれました.あざーす!いや,ボクとしては単位さえ取得できれば,成績はなんであろうと構わないんですけどね.折角のご祝儀ですので,ありがたく頂戴しておきます.

さて,9月中旬を過ぎても一向に成績表が届かないので,別キャンパス経由で「成績を出せ」と言わんばかりに,教育職員免許状授与申請書を回してみた.その後,9月28日に教育職員免許状授与申請書とともに成績証明書が送られてきました.成績はSでした.ありがとうございます.こうして,T1大学での科目等履修生は終わりました.

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まずは出身校で取得するのが簡単だと思われたので,問い合わせをしてみる.以降,T1大学とする.1月中旬,電話で受講できるかどうかを確認.都内に2ヵ所あるキャンパスの片方は教職科目を開講していないことが判明.もう一方のキャンパスで取得を目指すことに.1月末,都内キャンパスに直接出向く.直接色々と訊いたところ,半期で全ての単位が揃わないことが判明.免許状申請に必要な不足単位は2つあり,1つの科目は前期開講で,もう1つは後期開講だった.これはまずい.色々と相談したところ,KG大学を薦められる.

紹介されたKG大学に電話でコンタクト.やはり,1年かかることが判明.1つの科目は夏期集中でも取得可能だが,もう1つが通年開講2単位となっている.

仕方がないので,他の大学の調査を始める.「卒業生のみ」という制限が1番痛い.他にも,工学の教員免許を扱っていないなど,種々の理由により,主たる都心大学の大半はダメであることが判明.絶望か?

この時点で,T1大学で前期開講科目を取得し,残りの1科目を別大学で取るという作戦を視野に入れる.そもそも,これが可能であるかどうかを教育委員会に確認する.結果的には全く問題がなかった.しかも,追加情報で日本国憲法は教科に関する科目ではないので,「工業」の教員免許を扱っていなくても,単位を取得しさえすればいいことが判明.これで選択肢は広がった.文系の大学でも良いということだ.ちなみに,複数の大学で単位を取りたい旨を相談したところ,「入学金等のコストが二重にかかると思いますが・・・」と言われる.そんなことは分かっていて,どうしても半期で取りたい旨を伝え,納得される.だってねぇ・・・.12月以降は怒濤の忙しさですから・・・.試験とか受けてる場合じゃねー!

実際のところ,それで選択肢が増えるわけでもなかった.社会人であるので,通学に大きな制限が付く.そのため,通える大学は事実上無かった.

仕方がないので,通信制大学の調査に乗り出す.条件が揃いそうなTH大学を見つけたので,電話で問い合わせ.結果的には,系列のTK大学が「理工系を開講している」ということで紹介された.受講料などの費用も全く変わらなかったので,ご紹介頂いたTK大学に電話で問い合わせる.受講可能であることが確認できたので,願書等を取り寄せる.

しかし,入学案内等を確認していて,ぴーんと来た.単位認定だ.電話で確認したところ,単位認定は年1回で3月である旨を伝えられる.出願前に気がついて良かった.そして,この問題で一挙に3大学が対象外となった・・・.

こうして,オレの半年で単位を取得する計画は頓挫したかに見えた.しかし,追加投資が色々と必要だから避けていた,ある大学があることを思い出した.すぐに電話で確認したところ,予想通り受講可能だった.インターネットから受講申請を出した.以降,H2大学と呼ぶ.

条件が揃ったので,2月中旬にT1大学に出向き,状況を説明すると同時に,願書を頂いて帰る.これで4月からの入学体制を整えた形となる.

3月初旬,H2大学から合格通知書が届く.学費の振込取扱票が同封されてくる.金額は17000円である.2単位で入学金等を含んで17000円は,どこの大学よりも安い.まぁ,その分の追加コストがかさむわけだが・・・.追加コストをかけなくても良いかも知れないが,社会人としては保険をかけておきたい.何が起きるか分からないから.なお,私学共済によって入学料が半額になるらしい.後から知ったので,申請は出来なかった.これからH2大学に入学予定の方は確認して下さい.

3月中下旬,H2大学から入学許可証とテキストが郵送されてくる.H2大学は通信制なので,通信指導でレポート(というかテストみたいだ)を送るための封筒も同封されていた.良く設計されていると思った.提出期限も必着で期限が決められており,さながらレポート提出の様相である.ただ単に,提出先がレポートボックスかポストかの違いしかない.なお,入学日以降に入学許可証を所属学習センターに持って行くことで,学生証が交付される.なんだか,どこの大学だか,バレバレですね.伏せる必要があるのかな?

4月1日.T1大学に科目等履修生の願書を提出しに行く.書類不備で,訂正印を3ヵ所も押すことに・・・.日付は記入日を書いたのだが,出願期間が4月1日からなので,それ以前の日付はまずかったらしい.しらんよ.なお,出願料として1万円がかかる.入学金だと思えば,そんなもんである.また,最終学歴の卒業証明書が必要となるが,最終学歴の場合,卒業証明書ではなく修了証明書のはずなので,事務さんが慌てる.しかも,何故かキャンパスを跨いで証明書の類は発行できるはずなのに,発行できなかった.あぁそうさ.そういうことをしやがるのさ,やつらは.もしくは,オレの証明書だから発行できなかったのかもねー.んで,所属していたキャンパスに発行依頼をだしたらしいんだが,それはそれでおかしいよね.在籍中に在籍証明書と修了見込み証明書を取得しようとしたときは,出願をしに来ているこのキャンパスでしか発行できなかったんだよねぇ・・・.そのときも発行依頼を出したんだよねぇ・・・.結局,オレの証明書はどこが発行できるんだろう?発行できないことになってるんじゃないの?あーやだやだ.

4月になったので,授業が始まる.H2大学は4月1日から始業なので,初回は4月7日だ.T1大学は科目等履修の許可が下りないまま,授業を受けることになる.初回は4月11日だ.

5月1日にT1大学教学課からテレフォンリンリンリン.なにやら学内手続きが完了したから,学費を振り込んで欲しいらしい.日程的にゴールデンウィーク大突入なんですが,その辺はまぁオレには関係がないことですね.そして,その通知郵便が5月7日に到着.消印は5月2日になってるけど,そんなに時間かかるのけ?封筒の中には紙切れ1枚.5月7日に届いて,納入期限が5月8日とはなかなかご機嫌だぜ.さすがはT1大学だ.5月9日に教学課に出向いて学生証を手に入れた.厳密には学生証ではなく,身分証明書となっている.

5月18日.学生証を手に入れねばならないので,H2大学に赴いてみたのだが・・・.なんと!休みだった.結構遠かったのに・・・.悔しいので,また水曜日に行ってみた.今度は窓口業務が昼休み中orz.渋々昼飯を食べて時間調整して,やっとこさ学生証が手に入ったのでした.

こうして,T1大学とH2大学への科目等履修に冠する手続きは完了したのでした.

7月末にブコメで「数ヶ月後に書く」と書いてから,数ヶ月が経過したので,書いてみる.嘘です.実はその日に書いたものを今日,公開しているだけです.追記:更新制度廃止の動きがあるので,最早イミフなことに.さらに追記:廃止予定になりました

そもそも教員免許更新制の目的は何か.

教員免許更新制は、その時々で教員として必要な資質能力が保持されるよう、定期的に最新の知識技能を身に付けることで、教員が自信と誇りを持って教壇に立ち、社会の尊敬と信頼を得ることを目指すものです。

2.教員免許更新制の目的:文部科学省

強調されているくらいなので,主たる目的は「最新の知識技術を身に付ける」ことだと思う.だとすれば,id:next49さんの受けた説明は正しいと思う.

免許更新講習に関して私が大学からもらった説明では「最新の研究成果を紹介する」という趣旨でした。

免許更新講習の位置づけがさっぱりわかりません - 発声練習

というか,大学ができることなんて,その程度しかないだろう.各教科の先生が日頃教えている授業の延長線を辿ると,一体どうなるのか?例えば,情報の先生がセキュリティ最前線を勉強して帰るなんて,その際たる例で,「教員が自信と誇りを持って教壇に立ち,社会の尊厳と信頼を得る」に十分な講習になると思われる.

では,実際に免許更新講習ではどのような講習が行われるのだろうか?

免許状更新講習の内容は大きく分けて次の2つに分けられます。

  • 教職についての省察並びに子どもの変化、教育政策の動向及び学校の内外における連携協力についての理解に関する事項(以下「教育の最新事業」という。)
    すべての教員に共通する事項を扱うものです。具体的には、「教職についての省察」「子どもの変化についての理解」「教育政策の動向についての理解」「学校の内外での連携協力についての理解」を主な内容とします。

  • 教科指導、生徒指導その他教育の充実に関する事項
    学校種・教科種などに応じた内容を扱うものです。各教科の指導法やその背景となる専門的内容、生徒指導等、幼児・児童・生徒に対する指導力に係る各論的な内容を中心に扱います。

7.免許状更新講習の概要:文部科学省

これは難しい.id:next49さんも以下のように仰っている.

こんな内容は教育学部の先生しか無理じゃないの?でも、うちの大学は理学部や工学部にも講習の開講依頼が来てたよ。

免許更新講習の位置づけがさっぱりわかりません - 発声練習

全く同感である.教育のプロフェッショナルである教員免許を持っている教員に対して,無免許教員が指導法や生徒指導を講習するなんて,おこがましい.むしろ,無免許教員である大学教員こそ,学生指導の教えを請うべきではないか.大学教員がこの免許更新講習でできることといえば,精々「皆さまが日頃お教えになっている内容は,現在ではこのような発展を遂げており,このような場面で使われています」とか,「情報分野の進展は早く,教科書に載っている内容では不十分かもしれません.最新の情報を説明致しますので」とか,むしろこれこそ大学に求められている講習だと思うし,更新講習を受ける教員の方々もそのような内容を期待しているのではないでしょうか.

だから私は教員免許を取得した.教育者としての課程を経た証として,第三者によって証明された免許状である.「私は教育に対して真摯に取り組んでいます」とは誰でも言える.だからこそ,オレの本気度合いを形で示したかった.客観的に証明したかった.そして,手始めに専修免許状(工業)を取得した.そのためには,職業指導の単位修得が必要だった.内容は生徒に対する職業指導と人生の見通しについて.これは教育者としての役割を端的に捉えた良い授業だった.そして,今は放送大学で教育心理学に関する科目を受講している.

文部科学省が免許状更新講習の概要通りの講習を本当に求めていて,大学が教育機関であるのならば,講習を受けるべきは大学教員ではないだろうか.教員免許更新制度は更新講習ではなく,最新動向勉強会にすれば良いと思う.

追記:と昔の私が書いたそうです.

今回は科目等履修生によって,不足単位を補い,教員免許を取得する場合について述べる.必要とする人だけが読めばいいと思う.科目等履修に関する情報が,ネット上に少なすぎる.オレが身を挺して試してきたから,このエントリを読んで,それを目指す人は,プロセスや結果をネット上に公開することを強く期待する.

最初にやるべきこと
それは卒業大学に連絡し,基礎資格及び単位取得証明書を手に入れなくてはならない.これを手に入れないと,何の単位が足りないのかがわからない.真っ先に入手しなくてはならない.次に連絡すべきは各都道府県の教育委員会だ.ご存じの通り,教員免許の発行を受ける教育委員会に訊かないと何の意味もない.というのも,どうやら微妙に認定制度が違うようだ.どこの大学に「これこれこれは可能か?」と尋ねても「各都道府県の教育委員会にご確認下さい」としか言われない.それはその通りで,大学はあくまで単位認定をするに過ぎず,教員免許状を与えるのは教育委員会で,結局の所,教員資格を認定するのは教育委員会になるので,認定されない単位を取得しても仕方がない.綿密に確認しておかないといけない.

科目等履修生と聴講生
色々な大学を調査する前に必要な知識として,科目等履修生と聴講生の違いを述べておく.聴講生と科目等履修生の最大の違いは,単位認定されるか否かである.聴講生は聴講が目的なので,単位認定はされない.対して,科目等履修生は単位認定される.なお,科目等履修生で124単位を履修したとしても,卒業資格は得られないので,注意されたい.卒業資格が必要な場合は,全科生で入学する必要があります.選科生でも卒業資格は付かないと思います.たぶん.

履修科目
次,何の単位を獲るかについて.教員免許を科目等履修生で取得する場合,在学中にある程度の単位を取得していたことが前提となる.1番注意したいのは,教育実習である.科目等履修生で教育実習を受講できない場合があるので,これを取得していない場合,大学選択の幅が大幅に狭まる.次に,体育,外国語コミュニケーション,情報機器の操作を取得していない場合も厄介だ.特に,情報機器の操作は新法になってからの話なので,旧法の人達,特に90年代以前に卒業した人は取得していない可能性が高く,面倒である.要注意.教科に関する科目を取得する場合,科目等履修生として入学する大学が,その教科に関する教員免許を認定している必要性がある.当然と言えば当然だが・・・.そして,1番の障害になるのは,出身校だ.資格取得を目的とした科目等履修生の場合,卒業生または在学生(大学院)しか受け入れないという場合がある.なお,後述するが,この出身校というのはかなりの意味を持ち,例えば卒業生の場合,受講料半額とか,審査手続き料無料とか,色々と恩恵を受けられる.

単位認定
科目等履修生の場合,ある単位をスポット的に履修するので,前期だけで取り終わることもある.しかし,セメスタ制を取っていない大学の場合,前期の科目であっても,単位認定は年1回で3月のみとか,有り得る.要確認だ.

学費
なんだかんだで,結構かかります.例を挙げると,検定料,出願料,登録料,選考料,受講料,入学金あたりだろうか.受講料は1単位いくらと決まっていて,調べた範囲では5000~35000円とブレが大きい.ただし,前述したように,卒業生割が効く場合もあるので,概ね1,2万円/1単位程度だと思う.もちろん,検定料や出願料,入学金などは1回だけなので,複数科目を履修しても額は変わらない.それから,検定料,出願料,登録料,入学金あたりの有効範囲を確認しておいた方がいい.例えば,有効期限は1年か半期ごとかとか,1度でも科目等履修生として在籍したことがあればokとか,異なるキャンパス間で有効かとか・・・.登録料は履修登録の度に必要だとか・・・.下調べは大変に重要です.とりあえず,1度電話するのが手っ取り早いです.授業の開講学期,開講曜日時間なども教えてもらえると思います.

出願期間
これもまちまちなので,要確認.少なくとも2月頭には動き始めないと手遅れになる可能性がある.調べた範囲で出願時期が1番早かったのは,2月中というのがあった.遅いところだと,4月になってからってのもある.出願期間を逃してしまうと,また1年後とかになるので,要注意である.

出願書類
出願するためには願書が必要である.願書は電話をすると送ってくれる.必要書類としては,指定の願書,卒業証明書または卒業見込証明書,成績証明書,場合によっては健康診断書等が必要となる.ほとんどの場合が,発行から3ヶ月以内という指定がつくので,卒業証明書をどのように手に入れるかは確認しておくべきである.それから,学費に対する保証人が必要になる場合もあるので,保証人にコンタクトをとること.

最後に
後は出願するのみという状態になったら,再度教育委員会に確認すること.○○大学を卒業し,基礎資格がどうで,不足単位はどうで,××大学の科目等履修生で不足単位の取得を目指しているが,これで教員免許状の認定を受けることができるか,ってことを必ず確認すること.後からダメでしたなんて,涙も涸れる.

忙しくてどんどん積みあげてしまいそうだから,眠いけど根性で勉強してみた.第3回は「家族と社会化」です.

家族というのは子供にとって,初めての社会なんです.だから大事だねっていう話.おわり.じゃ復習になってないので,もうちょっと.いろいろと新しい視点を得ました.以下,いくつか引用で書きますが,正確に引用はしていません.憶測+オレフィルタです.

母親が「片付けなさい」と子供に言ってから,少し放っておいています.これは自立を促しているんですね.

これ.超重要だよね.自立って社会化においてものすごく重要なことで,大学生が社会に巣立っていくとき,自立できていなければ,全くダメだと思う.いや,そもそも成人した時点で自立していて欲しいのですが・・・.それを考えると,大学生は自立しないとダメです.少なくとも目が届く範囲である自分の学科の学生,いやいやもっと身近な研究室の学生くらいは自立させたいと思います.だから「わからなかったら聞きに来て」と言った後は,オレから声をかけてはダメだと思う.自らの力で聞きに来ないとダメだと思う.オレはこれが重要だと思っていて,自立というか自発というか,そうしなければならないということを理解させるためには,時間がかかっても仕方が無く,研究の進捗具合よりも優先すべきことだと思う.

閑話休題.別の話.脳科学おばあちゃんでしたっけ.全然見てないんでわからないですけど,子供のうちにいっぱい話をするってやつ.あれの話題です.直感的にいっぱい話をすれば,それだけ脳みそがぐるぐる回って良さそうなのはわかります.しかし,その話し方にちょっとした工夫がいるようです.

大人と子どもの会話場面に焦点をあてたウットンは,相互行為能力としてのコミュニケーションという点からみたときには,労働者階級の子どもの方が中産階級の子どもよりも高い側面があると指摘している.(中略)親のほうからあまり話しかけることが多くない労働者階級の子どものほうが,会話を主導するような疑問文を多用したり,からかいの言葉を投げかけるなどのさまざまなスタイルを用いたコミュニケーション能力を発達させていることを具体的に示している,親のほうから積極的に子どもに話しかける中産階級の家庭では,子どもはそれに答えるだけの役割をとることが多いのに対して,労働者階級の子どもは会話を成立させるために自ら主導的な役割をとってコミュニケーションに引き入れていく必要があるからである.

教育社会学 p.47 ll.13-24

なるほどねぇ.「今日は学校どうだった?」とかなんか理想的な家庭の夕食にありそうなシーンだけど,使い方は考えないといけないわけですね.やはりここでも自発性とか自立というのがキーになりそうです.つまり,あれですかね.研究室を家族に例えたら,オレはあまり話しかけずに,学生が自分の研究を話しに来るのを待つというのが,子ども社会化的視点から見ると正しそうです.なんだいつものオレじゃないか.さすがはオレだ.

教育社会学の第2回.いよいよ授業が始まります.第2回は「自己の形成と変容」と題されています.内容としては自己形成において,ごっこ遊びは重要だよって言う話.要約しすぎだな.

「私」とは何かという話で,つまり「私」とは「私を演じる自分」なのだそうです.他者が自分をどう見ていてどのような期待を持っているかに照らして,自己は形成されるそうです.また,自己と他者を交互に演じられるようになることで,1人の中に複数の役割を演じることができるようになり,自己の内での対話によって,思考の基礎が築かれるのだそうです.

簡単にまとまると,ミードです.

すでにお知らせした通り,教員らしさを獲得するべく,教育学の勉強を始めました.今期は教育社会学('07)を受講しています.開講は毎週木曜日9:45~10:30(夜じゃないよ!)です.えぇ.見られる時間帯じゃないです.というわけで,ビデオにとって,後々お勉強をするわけです.こうなると,自由な時間に勉強ができるので,ずるずるとやらない可能性が出てくるので,ブログに書くという目的を与えることで,毎週学ぶモチベーションを維持したいと思います.

さて,第1回です.放送大学の授業は1コマ45分を15週で行うようです.学期途中では通信指導があり,12月2日必着だそうです(まったく!くそ忙しい時じゃないか!こっちの都合も考えろってんだ!学期末になると各教員が「じゃぁレポートを出してもらいましょうか」って一斉にやり始めるアレと同じだね.もうちょっと分散という心を持って欲しいよね.忙しいときと忙しくないときのギャップが激しすぎるよ.いや,最近は忙しくないときってのはなくなったけどorzぐぼはー).授業は45分なのですが,オープニングとエンディング(笑)が付いているので,正味は43分くらいでしょうか?教科書は250ページ程度で,全15章構成になっています.つまりは,毎週1章ずつ進めるという形のようです.わかりやすいです.

1コマ45分を皆さんはどう感じるでしょうか?通常の大学は1コマ90分で構成されていると思いますので,ずいぶんと短く感じるかもしれませんが,それは全く違います.放送大学の45分授業はカオスなハイペースです.実質的に90分以上の内容をやっているんじゃないかと思うくらいです.そもそも,教科書が250ページを15週でこなすのだから,毎週45分で17ページ程度進むわけで,比較的ハイペースです.しかも,脇道トークが一切ないし,雑談もないし,出席調査の時間もないし,先生遅刻してこないし,「あれ?プロジェクターがつかないな?」とかないし,先生は黒板に文字を書かないし,ましてや解説ボードみたいなの準備してるし,なんといっても「今日はちょっと速く終わります」なんて・・・.超カオス的なスピードで進んでいきます.何回か一時停止を押してしまったぞ?これ,リアルタイムで勉強するのは無理なんじゃないの?教科書のどこを説明してるのか探している間にもバンバン進むし・・・.もっと学生の顔色をうかがって!スクリーンやPCに向かって講義している教員みたいな展開で,結構きついです.

初回の講義は「教育社会学の視座」と銘打たれており,教育社会学の位置づけを説明している.つまりは,社会学としての位置づけと教育学としての位置づけがあり,その両面または境界領域に位置づく.初回の講義自体は25分程度で終わり,あとは今後の学習の進め方を説明していました.なにやら,JCやJKのみならず,幼女も出てくるようです.教育学ってすごい!(どこに感心してるの??)

このエントリーは6月頃に書こうと思い立って,今に至っています.最早,何が何やらになっています.過去のエントリに書かれている内容をベースに書き進めたいと思います.

私は思うのです.私学教育で最も重要なのは,愛校心を育てることであろうと.

同窓会の会費やら,寄付のお願いみたいなのがやってきますが,特に,寄付のお願いというのは,愛校心がなければ難しい.ましてや,オレの場合,母校と現在の勤務先は異なっているので,勤務先から寄付のお願いが来ても,今のところ,寄付をするつもりはない.だって,見返りがないし,愛校心もないし.それはそれは,オレ如きを雇って下さっているという意味では,寄付して然るべきだが,労使関係からすれば,寄付しないことも不自然ではない.そこに掛かってくるのは,愛校心であろう.「我が母校が危機だ.幾ばくかでも助力しなくては!」「母校で学ぶ学生のための投資」どれもこれもが愛校心の成せる業であると思う.

愛校心は素晴らしい力を持っていると思う.愛校心は私学建学の精神と通じるところがあると思う.その思想の元に,人が集うし,真剣に問題に取り組むし,少しでも良くしようと努力するし,何と言っても,過去を尊び今を未来へと繋げようとする.それは継続の力だし,改革では成し得ない保守だけが持つ壮大な力だと思う.

私学は国公立とは意味合いが大きく異なる.国公立大学では職人芸的にプロフェッショナルを育成する目的を第1に掲げても良いと思うが,私学はその性格上,全ての大学がそのような目標を立てることは難しい.しかしながら,全ての私学に共通し,達成しなくてはならない目標が「愛校心を育てること」だと思う.

だから,某大学のように現代文明論という思想科目を必修科目にしているのは至極正しいことだと思う.まぁ,今はただ単純に過去の流れを引き継いでやっているだけなのかもしれませんが.目的を理解して思想教育をしているとは思えない節がありすぎて,心配で心配なりません.出身学科はあっという間に消滅しましたが,母校自体が無くなるのはいやなので.どげんかせんといかんと思う.

まとめ:
私学は勉強を教えているだけでは学校経営ができない.そこには卒業生や父母の理解が必要であり,それは愛校心の成せる業であると思う.私学ならば,その建学の精神を以て,愛校心を育てることに注力しても良いのではないだろうか.

平成21年度全国学力・学習状況調査の結果が公表されているのは,皆さんご存知の通りかと思います.時間がなくて真面目に読めてないですが,どうしても1点だけ書きたいので,超高速で書きます.本業を邪魔しない程度に.息抜きに.現実逃避に.時間増えないかなぁ.

◎授業でノートを丁寧に書いている児童生徒の方が,国語の正答率が高い傾向が見られる.

○算数・数学の授業で,問題の解き方や考え方が分かるようにノートに書く児童生徒の方が,算数・数学の正答率が高い傾向が見られる.

平成21年度 全国学力・学習状況調査 調査結果のポイント p.14(リンク先はPDF)

これが本当かどうか,手元のデータで検証してみた.なんと驚くべきことに,相関があった!

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これはノートが如何に網羅的に記録されているかを横軸,最終成績を縦軸に取ったものです.N=85です.R=0.56です.相関あります.すごいです!やはり手を動かすことによる学習効果はありそうな気がします.漢字書き取りも意味はあると思います.写経なんて大事そう.

えーと,シリーズ化を予告してから早2ヶ月.誰もが忘れた頃に,それは再びやってくる.建学の精神を紹介していく予定のこのシリーズ.今日は建学の精神を聖書の一節から選んでいる大学を紹介しようと思います.

まずは手始めに,女子大からいってみましょう.フェリス女学院大学の建学の精神です.

めいめい自分のことだけでなく
他人のことにも注意を払いなさい
新約聖書 フィリピの信徒への手紙 2 : 4

フェリス女学院大学|大学案内|建学精神

フェリスはピリピ書の一節を建学の精神としています.また,この言葉を以下のように説明しています.

愛と配慮を、単に自分や自分の家族・友人、或いは自国だけに向けるのではなく、見知らぬ他者、異なった文化と歴史をもっている地球の裏側にいるような民族と国家にも向けなければならないことを教えています。「他者のために」の一句こそ、すべての人間が平和的存続のために自らの基本精神とすべきモットーです。

フェリス女学院大学|大学案内|建学精神

ピリピ書は東京女子大学でも使われています.

本学は、「すべて真実なこと」(新約聖書フィリピの信徒への手紙第4章8節)を標語とし、また犠牲と奉仕の精神をあらわす二つのSを組み合わせて校章として、キリスト教を基盤とした人格教育を行っています。初代学長新渡戸稲造は、第1回卒業式に寄せたメッセージの中で「基督教の精神に基いて個性を重んじ世の所謂最小者(いとちいさきもの)をも神の子と見做して、知識よりも見識、学問よりも人格を尊び人材よりは人物の養成を主としたのであります」と本学の理念を端的に述べています。

建学の精神 - 東京女子大学

ピリピ書は大人気です.それは,そうですよね.ピリピはそういう書簡ですから,格言が多く含まれています.かわって,マタイを引用している明治学院大学を紹介しましょう.

“Do for others what you want them to do for you”「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」(新共同訳「マタイによる福音書」7章12節)。

明治学院大学の建学の精神、創設者、そして教育理念 | 明治学院大学

こちらはマタイを引用していますがフェリスと同じく"For Others"を重視しています.これについては以下のように説明されています.

キリスト教による人格教育という建学の精神と、“Do for Others”という教育理念を大切にして社会に貢献していくそれが、明治学院大学です。

明治学院大学の建学の精神、創設者、そして教育理念 | 明治学院大学

キリスト教系の大学は慈愛の重要性を説いているように思います.これは人格形成の根幹かと思います.建学の精神にこのような全人的な目標を掲げるのは,大変に素晴らしいことだと思います.そういえば,前回紹介した東海大学キリスト教の影響があります.東海大学の建学の精神はコヘレトの言葉をもじったものだそうです.手元に旧約がないんで確認できませんが・・・.12章1節ですかね?

そうやって見てみると,キリスト教を背景に持つ大学の建学の精神はどれも素晴らしいものばかりです.仏教のことはよく分からないのですが(キリスト教もよく知らないけど),同じように優れた建学の精神を持っているのだと思います.私学教育においては,宗教的思想が背景にある方が,上手くいくのでしょうか?

さて,今回紹介した大学はキリスト教系大学のごく一部ですので,他にもいろいろあると思います.皆さんも今一度,母校の建学の精神を見直すとともに,いろいろな大学の建学の精神を見てみると良いんじゃないかなって,思います.

読売新聞のコラムに大学学長の教育論が掲載されているらしい.

学生は教授の研究のために授業料を払っているわけではない - 諏訪耕平の研究メモ

読売新聞は手に入りづらいので,オンラインに出てこないようであれば,何らかの手段を使ってこの記事を手に入れようと思います.スクラップスクラップ.

というわけで,コラム自体は上記の紹介記事から読んで頂きたいと思うのですが,皆さんはどうように感じるでしょうか.私は最後の2段落こそ意味を理解できないが,それ以外に関しては概ね同意できる.大学教員は教育に対して,なんら本気が見られない.学会にでかければ,研究の話ばかり.じゃぁ,教育の会議に出かけていくかといえば,そんなことはない.どこかで教育について語り合ったり,議論するような場すら準備されていない.FDがあるといえばあるが,どれ程に本気だろうか.教育って,そんなに簡単なものなのだろうか?それとも,教授になると突然できるようになるものなのだろうか?研究者として認められると,教育能力も高まるのだろうか?研究歴10年にも満たない私には,想像すらできない.

さて,このコラムの注目すべき点は,静岡産業大学学長が書かれているという点である.教育コラムニストやアナリストが書いているのではなく,現場の長からのコラムである.事件は会議室で起きてるんじゃなくて,現場で起きているんです.是非「教育者として雇って頂けますか?」ってお聞きしたいところです.って調べたら,公募が出ている・・・.これは応募しなくてはならないフラグかしら?

個人的には,パワーポイントのようなスライドを講義に利用することに対して,懐疑的である.従来では教員が黒板(ホワイトボード)に書き,それを学生が板書する形式だった.これは何が良いって,ノートを書く時間と話を聞く時間がほぼ明確に分けられる.教員が黒板を書きながら,その書いている内容とは異なることを同時に喋るとは思えない.せいぜい,補足説明をする程度であろう.だが,スライド形式はどうか?最初から書くべき内容は準備されているので,教員はボタンを1つ押すだけである.さて,そうすると,スクリーン上に板書させたい内容が表示される.さぁ,どうなるか?学生はそれをノートに記録しようとする.しかし,教員はそれを書いていないので,実際のところ,板書にどの程度の時間が必要なのかの目安が持てない.

話は逸れるが,懐かしい昔話.黒板をバリバリ使って,モリモリ書く先生がいたらしい.その先生は黒板を左から右まで使って,バリバリ書いていくらしい.右までいったら,左から消して書いていくと.しかも,そのペースがかなり早いらしい.あるとき,学生がこういったらしい.「先生!速すぎます」そうしたら,先生はこう返したらしい.「私はこんなに大きな字を書いていて,君たちはそんな小さな字で書いているのに,速すぎるってことはないだろう」って.まったくだ.

閑話休題.しかも,スライドを表示して,板書の時間をちゃんと取りますっていう先生は気をつけた方が良い.その間は沈黙ですか?そんなはずはないですよね.その沈黙を利用して,豆知識やらトリビアやら脇道トークを展開しますよね?あまつさえ,補足説明をするかもしれません.だーかーらー,ノートを書く時間と話を聞く時間がまぜこぜになってます.これは危険です.学生の意識なんて,その一方にしか向かないと思って間違いないです.そんなに器用じゃないですのだー!ちなみに,この場合,スライドを配付資料として配っていない場合,学生の不満が最高潮かもしれません.「あいつ資料を作ってんだったら,配れってーの!写すなんて二度手間だってーの!」って.無駄に不評を買っているかもしれません.

では配付資料を配ったら,どうなるでしょうか?手元にあることはメモりません.これ絶対.そして,書くのと書かないのでは,記憶というか記録というか,大きな違いがあると思います.手を動かすなり,体を動かすなりして学んだことは,なかなか忘れません.それから,配付資料には全てのスライドを入れないメソッド.配付資料があるだけで,内容が十分かどうかは別にして,満足してしまう人はいます.学生の注意力によっては,できる人とできない人の差が最も開くのではないでしょうか.学ぶ力の差が顕著に表れそうです.

パワポのようなスライドは,教員が黒板を書く手間を大きく減らしました.何度も描かなければならない図でも,パワポならすぐに表示できます.メモって欲しい大事なことも,すぐに表示できます.こうして,教員はさも物語を読み聞かせるかのような速度で,様々な事柄を教えられるようになりました.それはつまり,授業時間内に与えられる情報量を増やす効果を果たしました.しかしどうでしょう.教える側の道具は便利になり,与えられる情報量の上限が大幅に上がりました.対して,教えられる側,つまり学生はどうなったでしょうか?授業時間内に学び取れる情報量が増えたのでしょうか?私は増えていないと思います.教える側はPCやスライドを使い,便利に教えていきますが,学ぶ側は相変わらず紙とペンという旧世代的な道具を利用しています.ここに情報量の提供と吸収に差が生じてきているのではないでしょうか.では,学生もPCを使うようになれば宜しいでしょうか.いいえ違います.人間そのものの能力は数十年前に比べても,大きく変わっているとは思えません.学習方法が変わったことで,流通する情報量は圧倒的に向上したかもしれませんが,人間が吸収できる情報量はそれほどに変わっていないので,ほとんどは水泡に帰しているのではないでしょうか.

結局のところ,PCやWebなどの外部記憶をより効率よく利用できるようなったのが今である.例えば,Google検索だろう.となれば,学習は外部記憶の探し方と情報と情報の結合にだけ重点が置かれていれば宜しいのでしょうか.講義のIT化はそこに結びつきそうな気がしてなりません.忘れてはならないのは,IT化が進み,e-learningが全盛になっていこうとも,学んでいるのは人間であることを忘れてはならない.ITの急速な発展に比べ,人間の基礎能力の向上は追いついてはいません.

そんな理由があって,授業にパワポを使うのは極力避けるようになりました.持って行っても,所詮は自分の講義用ガイドラインのためです.学生向けに使うことはありません.いや,配付資料をパワポで作ることはあるけど・・・.うそうそ,LaTeXですよ(そこは大事なところじゃない).

まとめ:
既にご存じだと思いますが,講義のIT化には懐疑的です.e-learningにも懐疑的です.講義のIT化の良いところは,情報量が爆発的に増える点,いつでもどこでも好きな時に学べる(e-learning)点,学ぶ意志があれば,いくらだって勉強ができる点だと思います.対して弊害は,人間がその情報量の吸収についていけてない点,いつでもどこでもという安心感が意欲を下向きにすることが多い点,多くの学生は勉強がしたくて講義を受けているわけではないという意識の差があると思います.

ゆとり世代がゆとっちゃってるのは,教員の教え方がIT化したからだっていうオチはないんでしょうか.気になります.

研究指導なんかもそうですけど,大学で研究指導する側の人って,大体「できる人」だと思うんですよ。今までできてきたからこそ指導する側に回れている。そういう人ってね,できない人の気持ちは分かるんだろうかと思うわけです。というか,できない人の気持ちが分からないからそういう指導になるんだろうなーとか正直思ってます。

「できない」人の指導が受けたい - 諏訪耕平の研究メモ

すごくよく分かる.頭がいい人の話って,論理が飛躍するというか,途中まではふむふむって思わされるんだけど,ある瞬間からずだーんってすっ飛ぶんですよね.その間を埋める理屈が分からないので,基礎とその応用しか分からず,応用的な発展ができないことがある.正に学部1年の時に受講した基礎電気回路がそれに相当していた.授業はテキスト通りに進むので,ふむふむと思いながら進んでいくのが,いざ演習になるとちんぷんかんぷんで,本当に授業でやった範囲なのか?という疑念を拭えなかった.解説では,「これはこれの応用で,これこれ適用します」とか説明するんだけど,全くチンプンカンプン.面白いほどに分からない.オレ,その時,大学の授業の恐ろしさを体感し,気を引き締めて授業を受けるようになりました.まぁ,回路の成績は振るわなかったわけですが・・・.

これは研究でも教育でも何でもかんでもそうだと思います.身の丈にあったものが1番ちょうど良いんです.誰かに何か指導をする時,自分を指導する相手に置き換えて,どうしたら良いかを考えます.しかしながら,何をどうしたって,自分は自分であって,他人とは絶対に違うものなので,そこは想像するしかないです.あくまで,限りなくそれっぽく想像することしかできません.その想像に関していえば,自分と同じレベルは想像しやすいです.もしくは,同じ境遇や過去に遭遇した問題は想像しやすいです.既に経験していることですから.そういう点から考えれば,「わからない」や「できない」や「しらない」といった経験していることは,想像する上での助力になると思う.だって,それを乗り越えてきているのだから,少なくとも同じ手法を当てはめてみるのは1つの手段だと思う.

この話は教育×破壊的イノベーションにも似たストーリーがある.

われわれの友人の一人は,仮にダンという名にしておくが,アメリカ西部の短期大学で会計学を学んだ.(中略)最初の学期の成績評価点(GPA)は四点満点中の一・五だった.(中略)「故郷に帰って家を継がれた方が良いと思いますよ」とアドバイザーは勧めた.(中略)「今に見ていて下さい」とかれはアドバイザーに反論した.「これから成績を上げて,必ず卒業して見せますから!」(中略)並々ならぬ努力の甲斐あって,ダンは修士号を取得した.(中略)ダンの卒業した短大の会計学の講師が突然病に倒れた.(中略)「うちで教えてくれるかもしれないぞ.」(中略)ダンはこう語っている.会計学を教えるようになって「突然わかったんだ!学生時代は何年も苦しみながら,根性と精神力だけで,ありとあらゆる法則を丸暗記していた.でもなぜそういう仕組みになっているのか,わかったためしがなかった.だが自分で授業の準備をして,教えなければならなくなったとたん,腑に落ちたんだよ!」

教育×破壊的イノベーション pp.140-141

ちょっと長いので端折ったら,意味が分からない文に・・・.要約すると,ダンは成績が振るわなくて,アドバイザーに「学校辞めた方がよくね?」風なことをいわれたんだけど,ぶち切れて「今に見てろよ!こんちくしょう!」モードに突入して,頑張って頑張って,修士まで出たんです.そしたら,同時期に会計学の講師が倒れられたので,教授陣が「ダン呼んじゃう?」みたいなノリで呼んだら,ダン大活躍ダンコーガイ!っていうストーリーです.よくわからないですね.原書を当たってください

思うには,大学における教育としては,「できる」人による教育も必要だし,「できない」人による理解と共感も必要であると思う.だから,大学教員が「できる」人だけで構成されていてはダメだと思う.学生が何故「できないか」を理解する人が必要だと思う.「なんでできないんだ?○○を××にするだけじゃないか」なんて,全く以て,チンプンカンプンです.微塵も理解できません.そして,思考停止に陥ります.どっちかっていうと,不信感と絶望だろうか.

教育においてできない人間の気持ちが分かることの重要性はかなり指摘されて久しいと思うのですが,残念ながら大学という場所において教育する側に立っている人々のほとんどは「できない」という経験が不足しているとは思いますね。

「できない」人の指導が受けたい - 諏訪耕平の研究メモ

だから一般的な認識で「できない」オレがここにいる意味はそこにだけあると思っている.それは研究の世界でも同じである.「できる」人達の集団では,「できない」人が置いてけぼりにされてしまう可能性があるので,「できない」人によって「できない」人が理解できるギリギリを残しておけるようにしないといけないんじゃないかと思う.「できる」人は「できない」経験をしていないのであれば,「できない」ということを想像するしかないが,実際に「できない」オレは想像するまでもなく体感できる.「できない」とか「わからない」という経験は,教育において素晴らしい体験の1つだと思う.

まとめ:
大学教員だって,学生と大して変わらない同じ人間です.何でもかんでも知ってるわけではなく,知らないことも,できないことも,色々あります.人間だもの.ただ,何が違うかって,その「できない」フェーズを何かしらの方法で乗り越えてきているということです.そこから学び取れるものって,学校では習わないことなんじゃないかなって思う.できなくてもいいじゃない.できるようになれば.

関連:
「できない」人の指導が受けたい - 諏訪耕平の研究メモ
「できない自分」を忘れないために初心者であり続ける - 発声練習

先日,時間は有限で一方向って話をしたわけですが,ブログに書くこと自体は既に何回かやっている記憶があります.たぶん,消しちゃったブログとか,あっちのブログとかだと思います.それはそれで,いいんですが,今日もこの時間という有限のリソースに関する話を恩師の言葉を引きながら,書いてみたいと思います.眠いのであっさりと.

今年度になってから,実験が上手く終わりません.去年と同じようにやっているのに・・・.去年と同じようにやっているからダメだというツッコミは甘んじて受けます.いや,厳密に言えば,テキストは書き換えたし,やり方もずいぶんと変えた.でも,内容は変えていないので,実験の進行が大幅に変わるようなことはないはずなんだ.

今年の学生は,実験終了時間が近付いても,なんら物怖じをしない.さも時間は無限大で,「オレが終わるまで実験は終わらねぇ!」と言わんばかりの余裕を醸し出しています.確かに,実験は終わるまで継続するでも構わないのですが,(守秘義務)から(守秘義務)という状況は(守秘義務)なので,可能な限り(守秘義務)として,実験終了時間に終わらないといけないのです.実際は終わらないので,善処するという方向で.

私が大学院生でTAをやっていた頃の話.恩師の先生のTAをやっていたのだが,その授業は演習付き科目で.2限ぶち抜きで,1限目は座学+実習で,2限目は実習主体で課題をこなし,レポート提出を行うというタイプのPCを使う授業です.大学というのは,できる人からできない人まで,様々なので,さっさと終わってレポートを出して帰る人,レポート課題が出ているのにmixiをしている人,提出されたレポートを写して帰る人,頑張っているんだが全くできない人など様々です.これが人間模様というやつか.そうこうしていると,授業終了時間を告げるチャイムがキンコンカンコンと鳴るわけです.そして,恩師の先生がワイヤレスマイクでこう告げるわけです.

「時間ですから終わります.レポートは授業時間内に出してください.時間内に終わらせるというのも大事なスキルの1つさ.」

全くその通りだと思います.同じ課題を100の時間で説く人と,50の時間で説く人では,同じ満点でも質が違うと思います.ましてや,方や時間内に処理完了で,方や時間超過では,社会人としては信頼性に大きな差があります.期限がある課題というのは,時間という有限リソースをどのように効率的に利用するかを問われていると見ても問題がないと思う.どんなにすごい研究をしている人がいたとしても,論文投稿期限に間に合わなければそれまでです.時間は有限な上に,誰にとっても等しく同じで,しかも我々の都合にお構いなく,勝手に進みます.だから,リミットが決められたら,そのリミットは決して動くことはないと思うべきです.研究の世界では投稿期限は延びるのがデフォっぽくなってますが,そういう想定は身を滅ぼします.書かれていないことを推測して楽しむのは自由だけど,結果は保証できない.

最近,色々な締切りに追われたり,実験が上手く終わらない状況に直面して,恩師の言葉を思い出したところです.これからは授業中にこの名言を発していこうかと思う.伝わるかなぁ・・・.

関連:
今という時間を無駄にしないように - 4403 is written

20日は留学生2名の公聴会があったので,出席してきた.留学生の公聴会と言うこともあり,出席者は多国籍.日本人の方が少ないんじゃ・・・というくらい.しかも,初めてお会いする人ばかり・・・.どういう繋がりなんだろう??しかも,他大学の人や所属が海外の大学になっている人もいて,複雑怪奇です.人脈って,すごいッスね.

閑話休題.書きたい内容は公聴会の内容ではなく,公聴会後の夜の宴での話.こういう場合は,指導教員の先生が締めにありがたいお言葉をお話になるのが通例です.それを書いておこうと思います.それ以前にもいろいろな話があって,それはそれで面白いんですが,内輪ネタなので,ここで書いても仕方がないです.一般に伝わると思われる内容を箇条書きすると,以下のような感じ.

  • 黒板(ホワイトボード)とパワーポイントと資料配付
  • 院生は研究室にいることが大事
  • 研究室の雰囲気は院生がつくる
  • 「あいつはいつも研究室にいる」というイメージを定着させる
  • 時間は有限で一方向の話

さて,表題の話に戻りましょう.本日の公聴会を行った2名の指導教員兼主査のお言葉.ちなみに,オレの学位審査時の主査でもあります.

35歳まではdiversityが大事.それはfuture possibilityなんだよ.

英語混じりですが,原文ママです.留学生相手なのに・・・.それが指導教員クオリティ.オレで言うところの「可能性は開かれる方向で」とか「可能性は無限大に」とかいうのと同じ話だと思います.diversityか・・・.上手いこというな.

さて,この後,先ほど書いた深いい話になだれ込んでいき,終わると見せかけてから1時間くらい続いたわけですが・・・.思想に当てられた程度の弱い思想と,独自に歩んだ途の結果に行き着いた果ての思想では,こうも違うかと不覚をとった次第です.一応,酔っていたという言い訳で.12年程度ではまだまだということですか.

どの私立大学にも建学の精神というものがあると思います.各大学とも,素晴らしい言葉が掲げられていると思います.その素晴らしい言葉を順番に紹介していこうかなと思い立ちましたので,深いい話を述べる引用のために,東海大学の建学の精神を紹介しようと思います.

若き日に 汝の思想を培え
若き日に 汝の体躯を養え
若き日に 汝の智能を磨け
若き日に 汝の希望を星につなげ

建学の精神 | 大学概要 | 東海大学

これの何が素晴らしいかといえば,その順番であると言えます.まず初めに書かれているのは「智能」ではなく「思想」です.最高学府の大学としての役割を考えるとき,「智能を磨く」ことが最重要に思われる中,「思想を培え」と説いています.まず思想ありきであると言えます.では,どうして思想が1番初めに書かれているのでしょうか.

逓信省時代に松前重義は、新しい通信技術の開発に従事するなかで「人生いかに生きるべきか」について思い悩み、内村鑑三(1861~1930)が主宰する聖書研究会や講演会などに通いました。(中略)

そこにおいて松前は、内村の思想と人類の救済を説く情熱的な訴えに深く感銘しました。また、そのなかで松前は、プロシアとの戦争に敗れ、疲弊した国を教育によって再興させた近代デンマークの歩みを知ります。とくに、その精神的支柱となったN.F.S.グルントヴィ(1783~1872)が提唱する国民高等学校(フォルクホイスコーレ、国民大学とも訳す)の姿を知り、そこに教育の理想の姿を見出します。

「生きた言葉による学校」「民衆のための大学」といわれた国民高等学校の教育は、教師と学生が生活を共にし、自由に社会を論じ、哲学を語り合う活気に満ちた学校でした。(中略)学校とは 「歴史観、人生観、使命感を把握せしめ、以て個々の完成に努力することにある」べきだということでした。(中略)松前は「国づくりの基本は教育にあり、教育を基盤として平和国家日本を築こう」 と決意しました。

(中略)

(中略)1936年に東京・武蔵野に望星学塾を開設したのです。そこでは、デンマークの国民高等学校の教育を範としながら、対話を重視し、ものの見方・考え方を養い、身体を鍛え、人生に情熱と生き甲斐を与える教育をめざすもので、聖書の研究を中心として日本や世界の将来を論じ合う、規模は小さくとも理想は大きく、活気ある学習の場でした。この塾が今日の学校法人東海大学の母体となったのです。

松前重義と建学の精神 | 建学の精神 | 大学概要 | 東海大学

つまり,人生の根底に存在する思想を培うことこそが,教育のあるべき姿であり,それが豊かな人生,ひいては国づくりの基盤となると考えたからであると言えるでしょう.

では,これを私に当てはめるとどうなるでしょうか?まず「思想」です.大学教員は研究職だと一般的に認識される中,教育者としての思想を持って,日々苦悩しています.「体躯」はどうでしょう.最近は天候不順で怠け気味ですが,ジョギングに出かけますし,基本的に歩くのは大好きですし,ネタ発表のために富士山を登っちゃうし,スキー好きだし・・・.それなりに体躯は養われていると思います.「智能」は日々磨いております.磨いていますが,なかなか光りません.酸化が激しいようです.還元剤が必要そうです.「希望を星に」繋げられたでしょうか.教育者として大学教員になるという「希望」は叶っていると思います.認められているかどうかは別問題ですが.

という感じで,この後も私立大学の建学の精神を紹介していきたいと思います.自薦他薦がありましたら,どしどしとどうぞ.

俺今ふと思ったんだよね、人生って一回きりだなって。

まずさ、俺にもそれからお前等にとっても、いまこの瞬間とか明日の朝とか

おとついの昼間とかも全部が全部、もう2度と取り返せない一瞬なんだよね。これがすごいよね。

なんかさあ、人生って一度きりなのに俺もお前等も何してんだろな?

この増田は長いから読み切ってないけど,きっと主張は同じだと思う.だから,引用してみた.

最近,授業をしていて思うのだが,学生が話を聞いていない.オレが舐められているとかならいいんだが,別にそうではないから困る.数年前から「最近の学生は説明していても話を聞かない」と言われてきたが,最近はそれを痛感している.そして,その原因はこれではないのかというのをちょっと感じ始めてきた.話を聞かないのは,無気力や興味がないからではなく,時間は永遠だと思っているからではないだろうか.実験の授業では,開始直後は理論やら実験手順やら,そういう説明をまずはするものだが,その段階の話を聞いていない.では,その間何をやっているかと見てみれば,忙しく何かをメモったり,書いたりしている.それは実験の内容ではなく,関係のない内容に見える.実験に関係がないだけで,彼らにとってはとても大事なことなのかもしれない.私にはわからないが.

どうにも時間が有限であり,後戻りができないものであるとは認識していないように思える.よく聞く言葉としては「明日やろう」とか「また今度」とかだろうか.確かにそれらの言葉は一般的によく使われるが,時間的に切迫している事柄に対しても使われる.これは単なる先送りで,時間が有限であることを理解していないのではないかと思ってしまう.例えば,論文執筆も同じで,投稿期限が決まっていれば,それに向けてスケジューリングをするものだが,本当に直前にならないと書き始めなかったりする.さも,締切り間際になれば時間が膨張するかのように.まあ,自分の耳も痛いが.

学生実験の話に戻るが,オレが説明している時に話を聞かずに,実験が始まってから説明した内容を尋ねてくる学生がいる.その学生は時間を無駄にしていることを理解しているのだろうか.オレが説明を2回しなくてはならないという時間的な無駄もさることながら,同じ説明を2度繰返し聞くことで,その同じ時間を使って手に入れることが可能かもしれない新しい知識や経験を得る時間を失っているのだ.

オレは博士3年間で,時間というリソースが有限であり一方向であることを痛感しているので,なるべく無駄な時間を過ごさないように心がけている.しかしながら,元々がヘタレであるので,無駄な時間を過ごすことが多いわけだが,結果としてその時間に価値を見出すことで,無駄を極力減らすように心がけてる.それはそれとして,勉強に関して言えば,「復習」という無駄な作業を極力減らしてきた.「復習」はつまり,1度学んだことを再度学ぶことであり,多くの知識を獲得するという観点からみれば,無駄の固まりである.そのため,ほぼ全ての授業で授業中に習ったことは授業中に理解することを心がけた.そして,学部在籍中の3年次以降は実践できていたと思う.

Apple創設者のSteve Jobsはスタンフォード大学の卒業式で,素晴らしいスピーチをしている.

素晴らしいスピーチです.このエントリを書いている正にその直後に,何らかの理由で私は死ぬかもしれない.そうした時に,私はすべきことをしただろうか.私にとって,そんな問いは意味が無くて,常に全力で生き続けることしかできない.今という時間を大事にして,全力で生き続けるだけ.これは教育に対しても同じで,今という時間を共有している以上,その今を共有し,その時点で出来うる最大限を行わないといけないと思う.それはそれは,試行錯誤で色々な教育方法などを試すわけだが,結果として成功することもあれば,思うような効果を得られない時もある.いずれにしても,その教育を施されてしまった学生に対して失礼がないように,その時点で最も最良と思われる手段を選ばなくてはならないと思っている.教員にとっては,その時に教えた学生に過ぎないかもしれないが,その学生にとっては重要な人生の1点である.教員の不手際で,学生の可能性を摘んでしまったとしたら,申し訳なくて,どうして良いか分からない.だから,そうならないように,最大限の努力と最善の選択をしているつもりである.上手くいっているかどうかは,私が判断することではなく,指導を受けた学生が判断するべきことである.上手くいっていると良いなぁ.

この手の話に関していえば,江頭2:50が名言を残しているらしい.実際に見聞きしたわけではないので,本当かどうか分からないが,コピペだとしても,その言葉の価値が変わるわけではないので,紹介したい.

これをやったら次回出られなくなるんじゃないかなんて考えないようにしている。人間、いつ死ぬか分からないからその時のすべてを出し切りたいんだ。俺はいつ死ぬか分からないし、見てくれてる人だっていつ死ぬか分からない。視聴者が最後に見た江頭が手抜きの江頭だったら申し訳ないだろ?

江頭2:50伝説

死に直面するという視点では,Randy Pauschの最後の授業も見逃せない.

DVD付き書籍を手元に置いておくと安心します.今はiPod touchにも入れてある.いつでも見れる.

まとめ:
時間は誰にでも等しく有限で後戻りのできない絶対的なもの.だから,人生の1分1秒は大事にしないといけない.そして,繰り返すことによって,貴重な機会を失っているかもしれないことを自覚しておくこと.これらを心がけることで,幾分か充実した人生が送れるようになれると思う.

今日,久しぶりに生の人間から(テレビとかではなく直接という意味)深いい話かつ名言を聞いたので,覚え書きとしておきたい.生で聞いたものって,その場でメモってもオレフィルタを通過しているので,厳密にそのように言ったかどうかは分からず,相当に美化されているかもしれないけど,それはそれで.

教育の目的と目標は何だろうか.学校教育法には以下のように書かれている.

第二十一条 義務教育として行われる普通教育は、教育基本法 (平成十八年法律第百二十号)第五条第二項 に規定する目的を実現するため、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
一 学校内外における社会的活動を促進し、自主、自律及び協同の精神、規範意識、公正な判断力並びに公共の精神に基づき主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。
二 学校内外における自然体験活動を促進し、生命及び自然を尊重する精神並びに環境の保全に寄与する態度を養うこと。
三 我が国と郷土の現状と歴史について、正しい理解に導き、伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する態度を養うとともに、進んで外国の文化の理解を通じて、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。
四 家族と家庭の役割、生活に必要な衣、食、住、情報、産業その他の事項について基礎的な理解と技能を養うこと。
五 読書に親しませ、生活に必要な国語を正しく理解し、使用する基礎的な能力を養うこと。
六 生活に必要な数量的な関係を正しく理解し、処理する基礎的な能力を養うこと。
七 生活にかかわる自然現象について、観察及び実験を通じて、科学的に理解し、処理する基礎的な能力を養うこと。
八 健康、安全で幸福な生活のために必要な習慣を養うとともに、運動を通じて体力を養い、心身の調和的発達を図ること。
九 生活を明るく豊かにする音楽、美術、文芸その他の芸術について基礎的な理解と技能を養うこと。
十 職業についての基礎的な知識と技能、勤労を重んずる態度及び個性に応じて将来の進路を選択する能力を養うこと。

第二十九条 小学校は、心身の発達に応じて、義務教育として行われる普通教育のうち基礎的なものを施すことを目的とする。

第三十条 小学校における教育は、前条に規定する目的を実現するために必要な程度において第二十一条各号に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
○2 前項の場合においては、生涯にわたり学習する基盤が培われるよう、基礎的な知識及び技能を習得させるとともに、これらを活用して課題を解決するために必要な思考力、判断力、表現力その他の能力をはぐくみ、主体的に学習に取り組む態度を養うことに、特に意を用いなければならない。

第四十五条 中学校は、小学校における教育の基礎の上に、心身の発達に応じて、義務教育として行われる普通教育を施すことを目的とする。

第四十六条 中学校における教育は、前条に規定する目的を実現するため、第二十一条各号に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。

第五十条 高等学校は、中学校における教育の基礎の上に、心身の発達及び進路に応じて、高度な普通教育及び専門教育を施すことを目的とする。

第五十一条 高等学校における教育は、前条に規定する目的を実現するため、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
一 義務教育として行われる普通教育の成果を更に発展拡充させて、豊かな人間性、創造性及び健やかな身体を養い、国家及び社会の形成者として必要な資質を養うこと。
二 社会において果たさなければならない使命の自覚に基づき、個性に応じて将来の進路を決定させ、一般的な教養を高め、専門的な知識、技術及び技能を習得させること。
三 個性の確立に努めるとともに、社会について、広く深い理解と健全な批判力を養い、社会の発展に寄与する態度を養うこと。

第八十三条 大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とする。
○2 大学は、その目的を実現するための教育研究を行い、その成果を広く社会に提供することにより、社会の発展に寄与するものとする。

学校教育法

うーん.手元の資料からかなり改訂されている・・・.手元の資料との差分は21条2号と10号みたい.そもそも手元の資料では21条じゃなくて,18条なんだが・・・.それはそれとして.

教育における進路指導の意義はなんだろうか.手元の書籍から引用すると,以下のように述べられている.

現在の学校教育において,教師や父母の一部には依然として進路指導を曲解し,中学校や高等学校の卒業時における上級学校への進学指導,あるいは就職斡旋指導といった配置指導(placement service)のごとく理解している人が存在する.

しかし,(中略)進路指導は単に進学・就職の指導だけではなく,生徒が将来,進むべき人生の方向を設計し,吟味し,その実現を援助する指導活動であり,長期間にわたるものである.その意味では,進路指導は,まさに「人間の生き方」や「人生設計」についての指導であるといえる.

また,進路指導の現代的意義としては,次のことを指摘することができる.

  1. 学校における進路指導は,人間形成を目指す教育活動である.
  2. 進路指導は,人間としての生き方の指導である.
  3. 進路指導は,個々の生徒の職業的自己実現を目指す教育活動である.
  4. 進路指導は,アイデンティティの確立を図る指導である.
  5. 進路指導は,望ましい勤労観,勉学観の育成を目指す教育である.

進路指導の理論と実践 pp.40-41

さて,前振りは終わりまして,このような前提を踏まえた上で,深いい話です.文系の先生についての話で,その先生は私大出身でありながら,東大・京大の先生方を押しのけて,学会のかなり上の要職についていらっしゃるらしい.私は工学なので文系のことはよく分かりませんが,学閥や指導教員の力ってのが影響を発揮するらしく,私大出身でそのようなポジションを獲得することは稀にも程がある状態だそうです.そこで,この話をしてくれた方は,その先生に成功した秘訣というものを尋ねたそうです.以下に,その要約を書きますが,正確にそのように言ったわけではありません.オレフィルタを通過しており,オレバイアスがかかっています.程々に理解してください.

大事なことは否定しないことです.受け入れることです.勉強ができる人や偉い先生方は第一声で否定しがちですが,それをしないことです.多用な考え方を受け入れ,理解する十分な見識が必要です.簡単なことではないですが,大事なことです.

この方は教育者だとすぐに分かる.このブログの副題にもあるように,私自身は批判をすることに意味があると思っている.だが,この言葉はとても意味深い言葉だと思う.「批判」と「否定」は異なるので,私も実践するべく心がけるべきだろう.あぁ,教育ってなんて難しいんだ.なんで,オレはこんな難しい業界に入ってしまったんだろう.

このエントリーは中大教授刺殺事件とは関係がありません.書く必要もないくらいに当然ですが,事実でもないし,所属とも関係ないし,フィクションかノンフィクションかも区別が付かないし,誰が何のために書いているかもよく分かりません.ただの文字の羅列です.その文字の列びに意味があるかどうかは分かりません.

大学院生の中には、今、同じような立場で悩んでいらっしゃる方がたくさんいると思いますが、今の大学院や学位などには命と引き替えにするほどの社会的価値 はありません。ほんとうに腹に据えかねるようなことがあったら、(殺さないように注意しながら)恨んでいる教員をボコボコに殴って大学院なんか捨ててしまってください。殺すと後がややこしくなりますので、くれぐれもやりすぎないように気をつけて殴ってください。

私を、殴りたいという方もいるかもしれませんが、どうしてもというのならば、その時は私も(抵抗はするでしょうが)やられても仕方がないと思うだろうと思います。自分はまったく潔癖だと主張するような教員がいたとしたら、その人は社会を理解する能力が低いということを意味しているかもしれませんので、そんな先生の研究室からは、できるだけ早く逃げ出した方が良いかも知れません。

5号館のつぶやき : 東北大学大学院生の自殺 (とりあえず落ち着いてください)

これに尽きると思う.自殺するくらいなら,殴り合いの喧嘩をした方がマシだ.指導教員と反りが合わないくらいで学校を辞めるのは勿体ない.それならば,指導教員と殴り合いでもして解決を図るでもいいし,コッソリと研究室替えをするでもいいんではないかと思う.オレはエスパーではないので,沈黙から感情を汲み取ることはできないし,見かけない姿から悩みは読み取れません.特に,頭が悪いので,難しい隠喩や例え話をされても理解できないので,分かりやすく言って欲しい.

閑話休題.そんな話を書きたいわけではない.個人的には指導教員をフルボッコにするのはアリだと思う.ただし,オレは抵抗どころか強烈に反撃しますが.指導教員は教え子にフルボッコにされたら,「階段で躓きました!」くらいは言ってのけないとダメだと思う.ただし,フルボッコにする側は注意した方がいい.フルボッコにしすぎて,その場で気絶しちゃったりして,他の人が発見しに来ちゃったりすると,もみ消せません.ましてや,包丁で滅多刺しとか,殺しちゃうとかだと,最早弁解のしようすらなくなり,教え子を犯罪者にしてしまうことになります.これは指導教員としては心苦しく,誠に申し訳ない.教育者としては,教え子1人1人全てが幸せで平穏な生活を送りつつ,自らの能力を存分に発揮できる仕事に就くことを望んでいる.それが,故意かどうかは別としても,何らかの原因でそうはできなかった.できなかっただけならまだしも,さらに犯罪者にまでしてしまったら,死んでも死にきれない後悔だろう.そもそも教育とは,以下のように定義されている.

(教育の目的)
第一条 教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

(教育の目標)
第二条 教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
 幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。
 個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。
 正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。
 生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。
 伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。

教育基本法

教育って,こういうものだから,これができない教育者なんて要らない.

まとめ:
学校を辞めたり,悩んだり,自殺したりするくらいなら,爆発しちゃって下さい.教育者としては,その位は込みです.ただし,オレはフルボッコにされたくないし,されたらされたで反撃しまくるので,そうならないように,常日頃から気をつけたいと思います.1番確実なのは,教育界から手を引くこと.間違いない.

Amazon.co.jp: 教育×破壊的イノベーション 教育現場を抜本的に変革する: クレイトン・クリステンセン, マイケル・ホーン, カーティス・ジョンソン, 櫻井 祐子: 本

教育×破壊的イノベーション 教育現場を抜本的に変革する
著者: クレイトン・クリステンセン,マイケル・ホーン,カーティス・ジョンソン
価格: ¥2310(税込)
出版社: 翔泳社 (2008/11/20)
ISBN-10: 4798117730
ISBN-13: 978-4798117737

レビューじゃなくてごめんなさい.購入してから数ヶ月も寝かしているのです.寝かせれば寝かせるほど味が染み出て・・・くるわけもなく.移動時間を使って読み始めました.まだ,序章しか読んでいませんが,良書認定しておきます.理工系教育者は心して読むべし.

関連:
教育×破壊的イノベーション 教育現場を抜本的に変革する - 発声練習
シロクマ日報 > 【書評】『教育×破壊的イノベーション』 : ITmedia オルタナティブ・ブログ

理科の授業で使う実験器具や教材の費用として、文部科学省は、200億円の予算を政府の新経済対策に盛り込む。昨年度までの数年は年13億円前後で推移。 厳しい財政事情で購入費がゼロの学校もあるため、例年の15倍の「特盛り」予算で、「理科離れ」「理科嫌い」を防ぐことにした。

asahi.com(朝日新聞社):理科教材費、どーんと15倍 経済対策に200億円盛る - サイエンス

なんとなく,論点が狂ってる気がします.確かに,実験器具が足りてないので,それを購入するための予算を組んだことは良いと思います.実際に,実験教材を教員が自費で買ってたりするので,目も当てられない.御上は理科離れ対策を叫びました,現場は悲鳴をあげました.笑い話ですね.

なにを言いたいかというと,人がいないんです.実験機材は買えても,人を雇うための予算ではないようです.物があっても,それを使える人がいなければ意味がありません.中高は別にしても,少なくとも小学校には理科専任もしくは実験特任を送り込まなくてはいけません.そうしなければ,物があっても小学校理科で実験が行われる頻度は一向に増えないでしょう.

それは何故か.分からない人は想像力を働かせて下さい.小学校の先生は基本的にクラスに密着なので,全教科を担当します.国語も算数も社会も体育もそして理科も.最近は,TTが導入されたり,教科専任が増え始めていますが,まだまだ足りません.話を戻すと,理科実験が増えない理由は至って簡単で,時間がないからです.いいですか.国理算社体という時間割だとしましょうか.理科実験の準備はいつしますか?いつ片付けますか?始業前に準備しますか?1時間目はその理科室が使えなくなってしまいますね.では1時間目と2時間目の間に準備しますか?わずか5分で?無理でしょ.じゃぁ2時間目の始業後にやりますか?授業時間がどんどん減っていきますね.このように,理科実験はその性質上,小学校の教員が簡単にできるようなものではないのです.だから,理科専任が必要でしょう.実験特任でも構わないでしょう.少なくとも,実験をサポートする役割をする人員を配置しないと,理科実験を気軽にできません.

そういうことを3年前に現場で体感してきました.小中に理科補助教員として派遣されていたわけですが,中学校は理科教員がいるのでそれ程ではありませんでしたが,小学校における理科補助教員の役割は重要だったと思います.理科離れ対策はまず人員から.是非.

200904131544追記:
理科支援員等配置事業ってのがあるらしい.JSTがやっているらしい.オレがいう理科補助教員とほぼ同じことだと思う.違いは,JSTのは2008年度からで,オレが理科補助教員をやっていたのは2006年度のこと.しかも,雇い主はJSTではなく,市教委.先駆的な試みだったと思います.オレが着任したのは初年度で,認知度が全くなかった所為で,「募集したけど人が来ないよ!」ってわけで,急遽招聘されたわけだし.なんとなく,知名度が低そうなので,宣伝宣伝.

関連:
文科省、経済対策で理科教材費に200億円 - スラッシュドット・ジャパン

思うところがあって,教育に関する話題は避けてきたわけですが,チラッと書いてみる.全て私見であり,持論です.正しいかどうかは,今後40年をかけて検証したい.そしてそれは,教育という世界において致命的だ.

工学部でよくある人事は、国や企業の研究所に勤めている35~40歳の方を大学に転職させるケースだ。成功例も多いが、失敗例も多い。このような方は大 学で博士号を取得し、ずっと研究の世界にいて、学界のことしか分かっていないことが多い。一般社会という現場を知らないことが大きなマイナスになっている 場合が目立つのだ。研究テーマの選び方を間違えたり、研究発表ですべてが終わったと考えてしまったりする。

だから、修士課程卒業で民間経験のある方を、30歳ぐらいの若い段階で大学へ転職させ、その後で、博士の学位を取らせ、次のステップに進む形の人材育成プランの方が、成功確率が高いことが多い。

縮みゆく大学経営:日経ビジネスオンライン

私には理解しがたい考え方である.大学は研究教育機関であり,研究を行う機関であると同時に,教育の最高学府でもある.しかし,ここで語られることの多くが,研究についてのみであり,教育の観点が全く抜け落ちている.大学教育というものが論じられるとき,往々にして,研究の視点か教育の視点のいずれかに偏って語られる,だからあえて,私は教育の観点から私見を述べたい.

私が学部生だったころ,私の大学はいわゆる古き良き時代の先生方が多く在籍していた.それはつまり,大学を卒業し,そのまま助手として大学に残り,そのまま博士号(もしくは修士号)を取り,助教授になり,教授になった先生方が多くいた.学舎で育てられ,愛校心を持ってその学舎を育ててきた,言わば学舎に骨を埋めた方々だ.詳しくは追々書くことになると思うので,眠いこともあり,今回は詳しく書かない.だが,その先生方の指導は本当に素晴らしかった.授業の内容が今役に立っているかと言えば,ほとんど役に立っていない.授業だって,「今日はワールドカップなので,16時で終わります」なんてまかり通っていた.でも,そこで学ばされた2つのことは今も実直に守っている.「自分の知らないことは人が見ていないところでコッソリと勉強する」と「勉強はさせられるものではなく,自らするもの」.私の大学で学んだことは,この2つだったと言っても過言ではない.

こういう教えをする本質はなんだろうか.大学の教育はなんだろうか.大学教育に求められるものが,専門性のある高度な知識だったり,研究のノウハウなのだろうか.それとも,就職予備校だろうか.もし,それらが大学教育の本質であるのならば,それはそれは専門家の優れた方々を大学教員として招聘すれば宜しいと思う.しかし,そこに愛校心はあるのだろうか.「私が困るからお前ら勉強しろ」と言えるだろうか.大学教員が学生に講義をするのは何故だろうか.何のためだろうか.

誤解を恐れずに,言葉汚く言うならば,企業人が大学教員になる時,それはビジネスライクであり,金やキャリアのためだったり,あまつさえ企業研究所のポジションを下の者に譲るためとかではないのか.もし,大学が大学院と完全連携し,大学は教育,大学院は研究と位置付けが完全に分業化された時,企業出身者は大学教員になりたいと考えるだろうか.大学院教員になりたがるのではないだろうか.

大学の役割がどうこうは別として,学生の視点で見た時,大学は何を教育すればよいのだろう.就職予備校と揶揄される昨今,大学教育における研究の意義はどれ程あるのだろうか.学生のほとんどは生涯にわたって,研究に触れることはない.研究を続けていくのはほんの一握りである.大学が力を入れるべきは,どのような学生を世に送り出すかだと思う.どんな研究をさせるかではないと思う.一般的に,そうだと認識されているとは思うけど,確認のために書いてみた.

話が蛇行し始めたので,閑話休題.大学教員に求められる能力が教育であるとするならば,民間経験は必要ないと思う.それは小中高の現状を見れば明らかである.少数の民間経験者が新しい風を吹き込む役割をすればいいと思う.そして,博士号取得が必須条件という状況も,一定の条件下で緩和されるべきだと思う.大学教員に求められる能力が研究であるとするならば,民間経験は必要かもしれない.民間経験をしていない私には判断できかねる.

初等中等教育には,民間経験者を採用する特別教員免許状制度の動きがある.また,博士号取得者を教員に採用するという動きもあった.上手くいっているらしい.企業から優れた研究者を多く採用してきた大学は,一転して教育の視点から教員採用をする時代が来るのではないだろうか.というか,期待したい.

関連:
縮みゆく大学経営:日経ビジネスオンライン
博士号取得者のみを大学教員とする方針についての見方 - 発声練習
何故わざわざ自らの手足を縛ろうとするのか - Marriage Theorem 新居
私が困るからお前ら勉強しろ :: 「事象の地平線」過去ログ倉庫

1年後の成果報告を期待したい.

秋田の博士教員採用決定 - 4403 is written

まだ1年は経っていないが,成果報告のような結果が見えてきているようだ.情報は発声練習さんから.

採用された6人(うち1人は非常勤講師)の1人、瀬々将吏・秋田県立横手清陵学院高等学校教諭が、NPO法人サイエンス・コミュニケーションのメールマガジン「SciCom News」26日付の巻頭言で、近況を報告している。

2009年1月26日「秋田県のポスドク先生は今」 サイエンスポータルレビュー 科学技術 全て伝えます SciencePortal

秋田の博士教員6人の1人である瀬々博士が近況報告を行っているらしい.これは必見だ.

大学で多くの時間を過ごしてきた私にとって高校での生活はとても新鮮でした。一つの職員室に80名もの大所帯で、国語や社会、音楽など、異分野の先生方とも距離が近くいろんな話ができます。(中略)専門分野だけではなく、いろいろなことに興味のある方ならきっと楽しめる環境だと思います。

[SciCom News] No.278 2009年1月26日号 Vol.1 [まぐまぐ!]

小中学校で理科補助教員をやっていた経験からいえば,この意見はよく分かる.大学だと研究室というユニット単位での活動になって,横の研究室または他の学科との繋がりというのはそれ程に強くはない.そこにきて,小中学校は学年毎の固まりはあるものの,全体としてみれば横の繋がりも縦の繋がりも色々あって,人脈が縦横無尽の状態といえる.そういう環境の中で,それぞれがそれぞれの役割でみんなと助け合っているというのが,いわゆる職員室だろうか.研究者の世界こそ,こうであるべきではないのだろうか.色んな分野の人とガチャガチャやって,それぞれの強みでコラボレーションするなんて,素敵すぎるじゃないか.工学のオレに数学科の力を分けてくれ!人文社会学的なアプローチ法を教えてくれ!そんな感じ.職員室は楽しい.これ,間違いない.

いまの中等教育の課題は、生徒の「学びへのモチベーション」をいかに喚起するか、ということに尽きると思っています。高校にアカデミックな態度と雰囲気を持ち込んで生徒をその気にさせる存在として、ポスドク出身の方々がこれからもおおいに活躍できることを期待しています。

[SciCom News] No.278 2009年1月26日号 Vol.1 [まぐまぐ!]

これもまた真実で,中等教育に限った話ではないと思う.理系離れが叫ばれる昨今においては,確かに中等教育で理科離れを食い止め,理科好きを育成することに重要な意味があるだろう.しかしながら,それを真に行うべきは,高等教育だろう.高等教育は「学びへのモチベーション」に寄与できているだろうか.難しい数式を計算できることも,広く深い知識を獲得することも,高等教育の目的ではあるが,「勉強おもしれぇ!」という意識を芽生えさせ,正に生涯学習を推し進める力を授けることが高等教育の役割ではないのだろうか.というか,オレはそうだと思っている.「勉強つまんね.単位取れればいいや.卒業できればいいや.学歴と建前と猫かぶりでいいとこ就職するぜオラー.」っていう学生を育てるのが大学の仕事ですか?違いますよね?大学における教育ってなんですか?何を求めているんですか?

Q4:教育なめられすぎだと思う

(中略)

教育業というのは中途半端な能力の持ち主にぴったりの職種なんですね。

能力を持っている者がそれを使わないのは罪だとなぜ思えないのですか? @heis.blog101.fc2.com

話はこの辺りに帰着するわけだが,「博士=研究者」はエリートだと思うんだ.博士だからって,「研究者」として大成しないことだってあるだろう.「研究者」としては不十分でも,その博士としての卓越した知識などは,十分に役に立つはずである.誰のために役立つか?次世代のために役立てるべきだ.自分が「研究者」としてダメだとしても,「次世代の研究者」になるかもしれない若者に何かしらの刺激を与えることができるかもしれない.それは可能性の問題であって,博士は研究をするだろうし,教育もして然りだと思う.それが博士という存在の役割だと思う.

どのように教えれば良いかということ自体も研究のテーマと成りえる。(同じく、「研究をやる時間がなくなったときに先生を続けるモチベーションはなくならないか?」という質問に対しての答え)

参加記(2):プレゼンテーションの感想 - 発声練習

思うには「研究をやる時間がなくなったときに先生を続けるモチベーションはなくならないか?」という感覚なら,教員になんてならない方がいいと思う.教員になったら研究をやる時間が無くなるくらいに教育に没頭しなくてはならない.そのぐらいの勢いが欲しい.そういう情熱が教育現場に浸透すれば,学生の勉強に対する意識も変わると思うのだが・・・.「教育自体が研究テーマ」 というのも,その通り.ただ,「これだ!」という画一的な教育法は恐らく見つからない.この前の班はこの方法で上手くいったのに,今回の班は上手くいかない.去年と同じ方法で授業を進めているのに,今年は成績が振るわない.そんなことはザラです.常々考えて,どうしたら上手くいくかを試行する.こういうことって,博士は得意としそうなことです.

また、博士号取得者は都道府県教委が認めた場合、教員免許を与えることができる「特別免許状」という制度がありますので、全国に広まると大変いいのではないかと思います。

「博士ネットワーク・ミーティング@つくば」博士先生登壇 - 橋本昌隆 株式会社フューチャーラボラトリ - Yahoo!ブログ

この話は詳しく書こうと思えば,詳しく書けまくるのだが,眠いので控えたい.機会があれば「特別免許状」という制度と現状の運用について述べたい.述べたいが書いたところで読者はいるのだろうか・・・.一応,情報のありかだけ箇条書き.

まとめ:
博士と教育.面白くなってきました.もっと注目されて,取り上げられまくればいいのに!ポスドク問題のようなネガティブキャンペーンはもういいから,博士に関するポジティブアピールをお願いします. 

関連:
「博士教員」理科好きを育成 : ニュース : 教育 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
教員免許のない社会人の採用は広がるか?【Benesse(ベネッセ)教育情報サイト】
秋田が博士を教員として採用の動き - 4403 is written
秋田の「博士」教諭募集に全国から57人 - 4403 is written
秋田の博士教員採用決定 - 4403 is written
最近のドクター関連まとめ - 4403 is written

タイトルは釣りです.内容的にはそういうことを書きたいんですが,守秘義務全開だと思われるので,もにょもにょと.

ベネッセがいろいろと分析した資料を見た.率直な感想としては「よく分析されているなぁ」という感じ.現状の印象と違わない.直感的に感じていたことをこのようなデータの形でまざまざと見せつけられると「うーん」ってなってしまう.「だからどうしろと」って言いたくもなる.明らかすぎ.

というわけで,内容は守秘義務だと思われるので,ここには書けませんが,この内容をオレ自身が吸収して,体現し,学生を指導できればいいんじゃないのかなと思って,これを書いている次第です.意気込みだけ,とりあえず.

前期は着任直後で右も左もわからず,「この実験を担当してください」と言われれば,「はいわかりました」と返事をし,前任者のテキストに従って行ったわけだ.後期は実験になれてきたことと,前任者のテキストを使い回すだけではオリジナリティを感じないので,新しいテキストに刷新した.もちろん,テキストを刷新しつつも,前期と後期で実験内容が変わってしまっては困るので,大幅な改訂ではなく,補足説明や構成を変えた程度であるが.もちろん,TeXで書きました.

成績に反映するわけではないが,どの程度コピペが蔓延しているのかを調査してみた.実験の性格上,Web上からのコピペが行われるようなレポートにはならないので,手順書(pdfで配布)のコピペについて調査してみた.

やり口はTeX使いならわかると思う.担当実験がコマンドラインを利用するタイプのWindowsプログラミングなので,えぇ,あれですね.円マーク問題ですね.TeXは円マーク(¥←これの半角,この環境だとバックスラッシュになってしまうので,この表現で勘弁して><)を表現することができないので,以下のような手法を用いて,``Y''に``=''を重ねる.以下,美文書を引用するが,最新版を持っていないので旧版から引用.

自分で作る一番簡単な方法は,Yと=を重ね打ちすることです.重ね打ちの命令\llapを使えば

\newcommand{\yen}{Y\llap=}

となります.

[改訂第3版]LATEX 2ε美文書作成入門 p.71 ll.2-5 (改訂第4版はこちら

で,そんな方法を使ったTeXで作られたPDFをコピペするとどうなるか.

081205_yen.png

こうなります.PDFでの表示上はYと=が重なっていますが,それは2つの文字を無理矢理重ねて表示してるだけに過ぎず,コピペすると,Yと=に分解されます.コピペかどうか,というかコピペしたとしてもちゃんと内容を確認しているかをチェックすることができます.ナイストラップ(故意じゃないよ?).ちなみに,当然わかると思いますが,オレは「,.」派です.でも,一般的な学生は「、。」派です.というか意識していないでしょう.つまり,単純にコピペすると,「,.」と「、。」が混在するわけです.おかしいと思えよ.

教育の観点から見た場合,個人的にはコピペは悪だと思っていて,写すにしてもタイプする努力は欲しい.それは写経のそれのように,書き写すことによって,手を動かし,目で見て,脳で理解するという一連の流れで,コピペよりは学習に繋がるだろうと思っている.だって,この手のコピペって貼り付けただけで,全く確認してないんだもん.貼り付けた部分を読んでるかどうかも怪しい.だから,複数の文献からコピペして,書式不統一になったりフォントが移ったり文体が乱れたりするんだ.コピペをしても,コピペをしたと感付かせないような努力は必要だと思います.それって,いったん自分の中に取り込んで,自分の言葉として書き下したことに近いでしょうし.

んで.統計を取りました.後期分のみを対象にしています.まず,上記のトラップによる成果として,コピペをしている割合は実に29%でした.続いて,刷新された実験手順書に基づいていないレポート,つまり過去レポを利用している疑いがあるものが14%でした.また,同学期中の他班のレポートを出してきた輩もいまして,それを含めると,疑わしきレポートは実に49%に上りました.つまり,約半数は何かしらの疑わしいレポートを提出しているという結果が得られました.なんじゃこりゃ.もうちょっと真摯な態度で取り組んで欲しいです.重ねて申し上げますが,成績には反映させていません.これは前期にコピペチェックを実施しなかったので,通年科目として前後期で不公平が発生するためです.来年度はわかりませんがね.

それから,実験の性格上,写真を添付するわけですが,アスペクト比を無視した横伸びの写真は勘弁してほしい.想像するに,A4横のサイズに引き延ばしただけなんだろうが,何とかしてください.見にくいです.この前チェックした卒論抄録にも,そんな図があったっけなぁ・・・.みんな,自分がやったことには興味がないんですね.わかりません.

朝日新聞の「全入時代」というコラムの中に,小特集みたいな感じで「学長力」がある.コラムの中の1記事に過ぎないらしく,asahi.comでまとめられている場所を見つけることができない.誰かまとめリンクを作らないかなぁ・・・.オレかorz.頑張るよ.

それはそれとして,話題沸騰中の金沢工業大学の学長が素晴らしいお話しをされている.全文を事細かに引用したいくらいなので,元記事を直接読んで頂いた方が手っ取り早いと思う.

asahi.com(朝日新聞社):〈学長力〉学生の価値 高める 金沢工業大学 石川憲一学長 - 全入時代 - 大学 - 教育

他,特に強調したい部分を引用してコメント.

「大学は高等教育機関であり、高等研究機関ではない。教員には教育を主体にしようと言ってきました。主役である学生が自らを鍛え上げて成長できる場をつくろうと。そのため、学習支援を行う数理工教育センターや、24時間365日オープンの自習室などを開設しました」

asahi.com(朝日新聞社):〈学長力〉学生の価値 高める 金沢工業大学 石川憲一学長 - 全入時代 - 大学 - 教育

素晴らしい考えです.誰がための大学であるか,何のための大学であるか.大学の主役は学生であるのだから,我々教員も大学の運営側もみんなみんな,学生の能力,価値,可能性を最大にする努力をしなければならない.だってそうでしょ.大学教員は教員であって,研究員ではないもの.

私たちは入学を許可した以上、全面的に責任を持つわけです。学生が目標を持って行動する限り、支援したいし、きめ細かい指導をしていきたいと思います

asahi.com(朝日新聞社):〈学長力〉学生の価値 高める 金沢工業大学 石川憲一学長 - 全入時代 - 大学 - 教育

それでこそ教育者だと思います.入学したからには大学の名に恥じない立派な学生を世に送り出したい.そしてそれを実際に行うのは,研究よりもよっぽど難しいことだと思います.十人十色.10人いたら10の異なる指導方法が必要であろうし,時が経てばまた大きく様変わりする.何が正しいのか,どうすればいいのかわからないことなんて,ざらにある.だから,心がける.そのときその時点において,最良であろうことを.それは長期的に見たら誤りかもしれないが,その時点では最良であろうことを.そして「間違った」と気がついた時には,ただ速やかに正しい方向へ.そうやって,教育は良い方向に向いていくんじゃないのかなぁと思っている.大事なことは,過去の過ちは早々に認めて,正しい方向へ修正すること.何事においても.教育も政治も金融も.

長いこと「教育教授は必要だ」的な論調で色々と述べてきたが,実際に大学教員となって中で動いてみて考えさせることが多かった.だから,今年度中盤頃から,こういった論調の内容は書かれていないと思う.悩んでいたから.

教育教授というのが,大学生に対して,色々な授業を展開することを主たる業務とし,研究業績については問わない(やってもやらなくてもいい)というものだと仮定しましょう.それって,幸せなんだろうか.今年度中盤,少なくとも昨年度まではそういうポジションもあるべきだと思っていた.今でもあるべきだとは思うが,それが幸せだろうか?

イメージしよう.授業は研究教授よりも圧倒的に多く,週7つくらいあるとしましょうか.週7回ほど授業をしますが,研究業績を問われないので,研究室は与えられていないとしましょう.それって,非常勤講師のそれとあまり変わらないと思う.だとすれば,研究室もなくて,非常勤講師っぽいけど帰る場所もない.え?誰とお話しすればいいのかな?それって,楽しい?

もしかすると,オレは大学生を育てたいのではなく,研究室のゼミ生を育てたいだけなのかもしれない.オレって,ちっちゃい存在だな.でも,事実,教育教授の実体がそうだったとしたら・・・.

オレは一体何がしたくて,何になりたいんだろう.こうして2年目のジンクスに突入するんでしょう.「大した業績もないくせにジンクスとかいってんじゃねーゾ,ゴルァ!」っていう意見は素直に受け入れます.替わりに相談に乗れやゴルァ.

と10月頃のオレは悩んでいたそうです.これも未公開お蔵入りエントリのサルベージです.

今の心境をまとめると,依然として教育教授というポジションはあって然るべきだと思う.それは大学が教育機関であり研究機関であるという二面性を有しているところから考えて,妥当だと思う.妥当だとは思うが,上に書いたように「授業だけに注力して下さい」っていうのは違うんじゃないかと思ってきた.大学における教育の本質というか,重点というのはどこなのだろうか?オレは幅広い視野と知識,そして社会人たるに相応しい基礎が重点だと思っている.

大学って何のためにあるんだろう.大学の役目って何だろう.大学の教育って,何だろう.教育って難しい・・・.

高校で情報科が必修化.情報の先生が必要になる.需要を見込んで情報系大学が情報の先生を量産.同時に既存の数学教師などが情報の免許を取得に走る.情報の免許を取得した初めての大卒が登場.採用枠なし.あっれー?採用側の高校の立場では,情報しかできない先生なんて潰しがきかないから要らない.数学教師に情報を付与し,利活用.そもそも情報の専門じゃない人だから,実際はてんでダメ.情報で免許を取った大学生が院に進学し数学を取得するも,採用されず(これは個人の問題).

要するに,情報の免許を易々と付与してしまったばかりに,情報の免許を持った既存の教員が増加したことで,新卒情報教員の需要なんてなくなった.そして,易々と得た情報の免許はその教員の能力を適切に表現しておらず,情報を教えられない先生が情報を教えて,その所為で,情報嫌いの高校生が増えて,大学に上がってきても情報嫌いで,てんでだめで,教員免許を取らせても採用枠が無くて,デフレスパイラル.

高校が情報専科の教員を積極採用するか,専門でできる先生を非常勤で雇うべき.できない先生を使い回してできるほど,情報科教育は甘くないんだよってことかな.

と,9月頃のオレが書いたようです.これはお蔵入りしかけていた未公開エントリのサルベージです.折角,9月頃のオレがそう思っていたので,そのまま載せてみる.以下には,今現在の気持ちを書いてみる.

思うには,高校で情報教育をやるんじゃ遅いんだと思う.一般家庭にもパソコンがあって,インターネットバリバリで,そもそも携帯電話でインターネット余裕ですの時代.それなのに,高校に入って「インターネットは危険です!」とか「匿名で書かれた情報の信頼性」とか言われても・・・.えーですよね.カルチャーショックというか,理解のギャップが生じてしまう.着うたの著作権侵害問題もほとんどは中高生らしいじゃないですか.ちゃんとしたモラルを身につけていないからですね.それは言うなれば教育されていないからで,誰の責任か.高校の責任か?家庭の責任か?社会の責任か?

さらに残念なことに,小さい頃からパソコンに触れ,家庭の方針でネットに触れてきた子供達は,高速道路を歩んできたので,そんじょそこらの情報教員では太刀打ちできない状況になっている.往々にして,そういう子供達は2chあたりで育ちそうな気がするので,教員の弱点を見つけると,見下すというか「あいつ全然わかってねーよpgr」という論調を展開しそうで怖い.そういう意味でも,情報科の教員は若くて,流れの速い分野を適切に吸収し教育できるような人材でなくてはならないと思う.

だから,情報の免許を持った新卒教員を積極採用するべきだと思う.もちろん,情報の免許を持っているだけでは潰しがきかないという採用側の主張もよくわかるので,数学や理科あたりを持っていればいいと思うんです.

というところで提案.聞くところによると,新卒1年生教員って,授業の割当コマ数が少なくて,頻繁に研修に出かけなくちゃいけないらしいじゃないですか.だとしたら,それってあんまり意味ないから,新卒1年生は全員非常勤扱いにしちゃって,研修を主として,適切な時期に適切な高校に授業を教えに行くようになんてできないのかな?できないんだろうなぁ・・・.非常勤でいろんな学校で教えるってのも,いいと思うんだけど・・・.オレはそれが楽しかったし.教育って,難しい!

今日は論破された感があったけど,オレの哲学は負けたと思っていない.オレのプレゼンテーションが劣っていたに過ぎないと思っている.酔っていたからね(いいわけ).

指導教員を超える学生がいたとして,一体何が問題か.全ての学生が指導教員を超える存在であれば問題だが,特異な学生が現れた場合において,何故,指導教員が学生よりも必ずしも上でならなくてはならないのか.自分を上限と見て,育てる学生は自分以下しか育たないなんて,学生に対する制限を求めているので,オレは到底受け入れがたい.同時に,我々大学教員は自分を超えうる最大限の人材を育てる努力を常にしなくてはならず,自分を基準として,指導教員と学生の立場を鑑みて,自分が常に(知識や学術面において)優位に立っている必要性はあるだろうか.ボクにはわからない.自分よりも優れた学生を育て上げることが使命ではないのか?自分よりも劣る学生を育てることが使命なのか?ボクにはわからない.

可能性は常に開いているべきだし,学生の可能性を常に信じるべきだし,学生の上限を我々が決めてしまっては行けないと思っている.

そんな理想を語った今日.理想を語らない人は理想には近づけない.理想を語れないなら,まずは理想を求めるべきだ.と,酔ったオレが言っております.

この文章はフィクションであり,事実に基づいているかどうかはわかりません.明日はSBM研究会で早起きです.

<わからない9大理由>
1.読まない …説明書などを読まない。読む気などさらさらない。
2.調べない …過去スレ、ググるなど最低限の内容も自分で調べようとしない。
3.試さない …めんどくさいなどの理由で実行しない。する気もない。
4.覚えない …人から聞いて、楽して得た答えは身に付かないから、すぐに忘れる。
5.説明できない …何に困っているのか、第三者に正確に伝わる文章が書けない。
6.理解力が足りない …理解力以前の問題で理解しようとしない。
7.人を利用することしか頭にない …甘え根性でその場を乗り切ろうとする。
8.感謝しない …教えてもらって当たり前。事がすんだらさようなら。
9.逆切れする …自分の思うようにならないと逆切れする。

わからない9大理由:アルファルファモザイク

関連:
ヘタレ系DのBlog(終了しました): わからない五大理由

この前,実家に帰った際に朝日新聞で見かけて,取り上げようと思っていたのだが,全然asahi.comに出てこないので,真面目に探してみた.asahi.comからは見つけられなかったが,他所で見つかったので取り上げる.

国際的な高等教育情報機関である英・Quacquarelli Symonds(QS)はこのほど、2008年版「世界大学ランキング」を発表した。1位は前年に引き続き米ハーバード大学。米イェール大学は、前年2位 に並んでいた英ケンブリッジ大学、英オックスフォード大学をそれぞれ3位、4位に従え、単独2位に立った。

(中略)

一方、日本の大学では東京大学が前年17位から19位にランクダウン。京都大学は前年と同じ25位に入り、大阪大学が46位から44位に順位を上げた。また、東京工業大学が前年90位から61位に大きくランクアップした。

英QS、2008年版「世界大学ランキング」を発表 - 東大は19位にランクダウン | ライフ | マイコミジャーナル

全ランキングはここで見れる.東大・京大・阪大は順当だと思われる.東工大の躍進も納得できる.この辺は全く異議無し.海外の大学はよく分からないのだが,このランキングに名を連ねている日本の大学は順当に感じる.前回紹介した本当に強い大学ランキングよりも,こっちの方が実際にあっていると思う.まぁ,見ている指標が違うから,比べても意味がないけど.

ちなみに,出身校・現所属校の双方共に,Top500にランクインしている.嬉しいことだ.特に,出身校は本当に強い大学ランキングではTop100に入っていないにも関わらず,世界大学ランキングではTop500に入っている.これがどういう意味を持つのかということについては述べない.指標の違いとしかいえない.日本人が日本の大学をランキングするときに,実態にそぐわない強力なバイアスがかかっていると思う.大学のランクは入試偏差値では決まらないということですね.大学のランクを判断するべきは,入口ではなく,出口でしょう.

関連:
本当に強い大学ランキング~2008年度版 - 4403 is written

明らかに乗り遅れてますが,一応書いておこうかと思っていたので,書いておきます.大した内容ではない.

神奈川県平塚市の県立神田高校(生徒数347人)が入学試験で選考基準になっていない茶髪や眉そりなどをチェックし、該当する受験生を不合格にしていたこ とが28日、わかった。県教育委員会の発表によると、本来の基準では合格圏内にいながら不合格にされた生徒は、過去3回の入試で計22人にのぼるという。

県教委によると、この不正なチェックは05、06、08年度入試で校長の指示により行われた。対象項目は、髪の色やピアス跡、つめの長さ、眉そりやスカートの長さなど。こうした「裏基準」に基づき、教員が願書受付日や受験日に受験生をチェックした。

県教委が公表している県立高の選考基準では、調査書と面接、学力検査を点数化し、合算した上位から合格を決めることになっており、身なりや態度は基準に含まれていない。

asahi.com(朝日新聞社):高校入試、茶髪・眉そりチェックし不合格 神奈川の県立 - 社会

これは県立の話で,私立の話を持ち出すのはアンフェアと思われるが,それでも持ち出す.以下は私立鵠沼高校(神奈川県)の例だ.

応募資格
○平成21年3月卒業見込みの者で、品行方正で学習意欲があり、入学後本校の校則を守れる者
○心身ともに健康で日常の学業に支障のない者。
○原則として欠席日数が多い場合は不可。

鵠沼高校 募集要項

重要だと思う部分を強調した.今回の件は「品行方正であり」という一文を付け加えておけば,全く問題がない事象だったと思われる.そして,「入学後」について述べている点は重要だと思う.受験時にはやんわりと規制を緩くしておき,入学したら学則で縛るというのはやや納得がいかない.校則ありきであるなら,校則に従えない者は受験も入学もして下さるなというスタンスが正しいように思える.往々にして,多くの校則には「品行方正」という言葉または類似する言葉が書かれているはずである.学生の本分であるのだから.だとするならば,正規の手続きを踏んでいないだけであって,今回の件は至極真っ当なことであるように思える.

もう1つはっきりと言いたいのは,調査書の意味の無さだ.良いことしか書かないのは許容するとして,誇張するとか,ましてや虚偽を書くとか,調査書の意味を成していないと言える.そんな信用できない調査書は合否基準になるのに,正に目の前にいる実物の挙動を合否基準にするなという方が不自然に思える.まぁ,実際問題,合否基準外だったのが問題なわけだ.だから,取り糺されるべきは合否基準の甘さと調査書の無意味さだと思う.

まとめ:
受験資格に「品行方正であること」という一文を入れることが大流行することを期待して止まない.見た目でしか個性を表現できない上に,個性=見た目だと考えている勘違いを粛正するべきときではないか.

関連:
公立高校入試の多分語られない内情

これから就職活動をする方は必見.完全におかしいと思う.

スラッシュドット・ジャパン | 大学院修士課程1年次からの就職活動は「青田買い」?

初っぱなから素晴らしい正論を飛ばしている方がいて,議論白熱.

卒業が決まって(大卒・院卒と言う能力証明書をもらって)から
就職と言うのが本来の順番でしょ?

(中略)

就職活動で忙しいから、って言って
半年以上研究室に現れず
就職決まったら、遊び回っている学生は、
なめているとしか思えないし
こんな奴でも、院卒を名乗れるってのはなぁ、、、、、

大学院修士課程1年次からの就職活動は「青田買い」?

全くその通りだと思います.何故,卒業見込みすらも出ない時期(つまりはB4またはM2以前)に就職活動を始められるのかが,不思議でならない.学生が卒業できると高をくくっている証拠であり,大学は舐められているぞ.卒研や修論を落とすなんて,有り得ないって思われているぞ.他の授業科目と同じ単なる必修科目(卒業要件に含む)なんだから,英語や電磁気を落とすかのように,平然と落としてしまえばいいのに.って思いませんか.

バカを卒業させないと、研究室や学部という極めて微視的な単位で
非常にデメリットがあるのです

1. バカに居残られても邪魔、下手すりゃ周りに悪影響を与える
2. 卒業させなきゃ、アカハラだと騒ぎ始める
3. しまいにゃ、親まで出てきて騒ぎ出す
などなど、、、、、

大学院修士課程1年次からの就職活動は「青田買い」?

これまた真理.留年率が上がると,研究室の人数が増えたり,在学数が増えたり,文科省からなにやら文書が届いたり,面倒なことが起きるのです.で.最もやっかいな類が親.親は面倒くさい.特に私立においては.そもそも論理的におかしいのは,全く卒研もやらずに,学校にも来ないのに,「就職先が決まっているんだから,卒業できないと困る」っていう主張.卒業できないのだから,就職できないのは当然であって,就職するから卒業するのではないだろうに.就職先が決まってるのはおめでとうございますですが,卒業するための努力を何もせずに,何を言っているんだという感じです.卒研は卒業のためにあるわけではなく,立派な卒業要件に含まれた単位科目です.1回も授業に来なかったのに「単位が出ないのはおかしい」って言ってるのと同じだと,クールに理解して頂きたいです.「卒論を出せばいいんだ」ってのは「テストは欄を埋めれば間違っててもいい」と同じことだと,賢明なみなさまなら理解して頂けるでしょう.

んでまぁ,どこが悪いかって,明らかに就職活動を早期化させている企業でしょう.特に,理工系が1番被害を被ってると思うのです.そして,国立大の工学部がついにキレたらしい.

東京大、京都大など有力大学の工学部長らでつくる「8大学工学部長会議」が22日、日本経済団体連合会に、修士課程の大学院生の採用活動を2年次の4月以 降に始めることなどを求める声明を手渡した。活動の早期化・長期化などが「教育研究を大きく妨げている」として、それらを是正するよう要望している。

(中略)

京大の大嶌幸一郎・工学部長は「今のままでは学生にも企業にも大学にもマイナス。就職活動の開始を遅くして期間も短縮してほしい」と訴える。

asahi.com(朝日新聞社):院生「青田買い」研究に妨げ 有力大工学部長が是正訴え - 社会

確か経団連への申し入れは以前にも行っていたと思うのだが・・・.手渡したとかじゃなくて,デモとか,もっと過激に訴えたらいいのに.「このままでは大学のブランドを保つことができない!優秀な学生を社会に送り出す使命を全うできない!今年は卒業生ゼロです!」ぐらいの主張が欲しいところです.そして,それができないのが今の大学という最高学府の弱みです.社会の言いなりです.ゆとり教育のしわ寄せの件も含めて.企業様は偉いのです.「最近の新卒は全くなってなくて,使い物にならないから,研修を長期にかけてやらねばならんのだ!」っていうけどさ,それって,就活が早期化・長期化しているから,大学が教育機関としての責務を果たせなくなっているからだということをクールに気がつけ!

ところで,だからといって,「就活は4月以降からしか認めません」なんて学生には言えない.だって,今の社会がそうなっちゃってるんだもん.流れに乗らなかったら,不利益を被るのは学生だ.それは教員として推奨できない.学生の夢を助けるのが大学教員の仕事であろう.そうだ.ランディ・パウシュ先生もそういってた

でも,忘れてはならない.本当に大事な時期はどこだろうか.早期化する就職活動.入社約1年前の4月に,就職先が決定することも多々あるだろう.就職活動の重圧から解放され,平々凡々としていれば卒業は間違いない.その1年間.その1年間をどのように過ごすかが1番大事なのではないだろうか.腑抜けた1年間を送るのか,目標に向けての努力を続けるのか,最後の学生生活を楽しむのか,研究に没頭するのか.どう過ごすのかは自分次第だが,この1年の差は,きっと大きい.取り返しがつかない大きさだと思う.大学教員はそれをしっかりと教えなくてはいけないのだと思う.

っていう話を12月1日にid:kakku22がしてくれるそうです.期待しましょう.

関連:
日本の大学生の就職活動 - 4403 is written
学生の研究活動に異常あり! - 4403 is written
早期化する就職活動について私見 - 4403 is written

少子化による学生数の減少や、補助金削減といった逆境下の中でも生き残る大学を探し出すため、各種データや指標を用いて大学の本当の力を測る。それが、この「本当に強い大学ランキング」だ。

本当に強い大学ランキング/東大が3年連続首位、豊田工大、武蔵野大が躍進――財務・教育・就職の総合力で大学を評価(1) | 産業・業界 | 投資・経済・ビジネスの東洋経済オンライン

笑えないし,あまり述べられない.なるほどねって言葉で全てを表せそうな気がする.

そういう問題よりも、今の大人たちが理系に対して持っている偏見の方が、子供たちに与える影響は大きいだろう。算数や理科ができたって社会では役に立たな い。そんな小難しいことを考えてどうするのだ? 政治家も社長も、偉い人はみんな文系じゃないか。社会を支配しているのは文系の人間なのだ。理系はみんなオタクで、わけのわからない人間ばかりだ。理系は人間味がない。理系は人情がわからない。そういった目で見ているから、それが子供に伝わる。

MORI LOG ACADEMY: 理科離れについて

親は子の鑑.親が子に与える影響というのは大きい.親が理系を軽視するから,子供も軽視する.

持論の繰返しになるが,理系離れは理系の力不足にあると思う.理系は理系の素晴らしさを余すところなく須く世に知らしめなくてはならないと思う.政治家っていう文系の偉い人達が日本の行く末を良くも悪くも示すように,研究者っていう理系の偉いっぽそうな人達は理系の使命を果たさなくてはならない.

「理系は縁の下の力持ちです」

なんて控えめなことを言ってる時代は終わらなくてはならない.その縁の下でどのような活躍をしているかを今の若者もみんなみんな知らずにいるから,これだけ理系が軽視されているのだろう.理系がいなくなった世界を創造させてしまえばいいのに.電気もなければ,水道もない.パソコンもテレビもラジオも車もなくなる.世界を動かしているのは文系なのかもしれないが,文系だけでは世界は回らないのだ.同じように,理系だって,理系だけではダメで,文系が必要なんだ.バランス感覚はとても重要だと思う.今はそのバランスが大きく崩れている.どうにかしなくては.

ちょっと話は変わるが,小中学生は本当に理科が嫌いなのだろうか.算数・数学はよく分からないが,少なくとも実験をしている小中学生は楽しそうにやっていた印象がある.実験って楽しいよね?楽しくないのかな?ペットボトルと水と空気入れでロケットが作れたり,コーラにメントスを入れてみたり,スチールウールを燃やしたり,マグネシウムに火を付けたり,味噌汁で電池を作ったり,ソーラーカーを走らせたり.理系離れを食い止めるには,まずは実験ではないだろうか.というか,むしろ,座学を辞めちゃってもいいんじゃないだろうか.小中学校は実験を主体に,座学をミックスという感じで如何だろうか.イノベーションは楽しさから.

関連:
研究者はもっとオープンになるべきではないか - 4403 is written

200810152240追記:
ちょっと書き忘れ.1つの策としては,メディアを利用する手がある.バラエティが「理系カッコイイ!」とか,アンアンとかジュノンあたりで「これからは理系がナウい」とか,女性セブンあたりが「独占取材!理系の最前線~時代はここまでやってきた」みたいな記事を打ちまくればいいと思う.良くも悪くも,メディアの影響って大きいと思うのですよ.理系離れを防止するムーブメントが起こせるのならば,それが例え扇動だとしても.

学生を指導していても感じますが、書くというスキルは書くという作業を繰り返すことで確実に伸びます。自分はものを書くのが苦手と思っている若い人は、たとえば毎日400字のブログを書き続けるというようなことで、自分を鍛えてみてはどうでしょう。たまに、2000字書くより、毎日400字を1週間続ける方が、「書く」ということに対する抵抗はなくなると思います。

5号館のつぶやき : 原稿締切(毎日、書き続けること)

大学院時代はブログを3つやっていて,そのうちの1つは日記形式で,その日の出来事や思ったことなどを何でもかんでも毎日書いていた.ものを書くというのは,それだけですごいエネルギーを必要とする行為で,毎日継続し続ける力はバイタリティだと思っている.少しずつでも毎日書き続けるという努力をすることは,必ず力に結びつくだろう.これは何も文章力に限った話ではなく,多くのことは練習を繰り返すことによって,それなりに上手くなるものです.プレゼンや報告書や論文もそうだ.きっと,英語もそうなんだろう.英語が苦手なオレは努力が足りないのだろう.

非ブロガの人によく聞かれることだが「何でブログなんて書いてるんですか?」ってのがある.辞めるのに理由はあるが,始めるのに特別な理由は無かろうに.なんとなく流行りそうだったから,やり始めたに過ぎない.そんなモチベーションだって良いじゃない.むしろ逆に,「何でブログを書かないんですか?」と聞いてみたい.敢えて聞かないけど.どうせ「面倒くさい」とか「日記を他人に読まれたくない」とか「書くことがない」とか言うんだと思います.別にそれはそれで良いと思います.それが理由なんですから.

でもですね.書き続けることで得られる文章力は,恐らく,非公開の日記と公開されるブログでは違うと思うんです.それは何かと言えば,他人の目を意識するかどうか.「こんなことを書いても平気か」,「この意味は伝わるか」,「こう書いたら面白いか」,「みんなに読んで貰えるだろうか」.そういう意識が無く,ただ単に日々の出来事を書き連ねても,文章力を向上させようという意識がない以上,大した効果は得られないと思う.だから,ブログですよ.不特定多数の人の目に触れる,世界中に開かれたウェブにおけるブログですよ.mixiなんてクローズドな日記はマイミクさん程度しか目にする機会がないので,ダメです.世界に開きましょう.何も,日記を世界に公開して下さいなんて言いません.ブログを書いて,日記も書いたらいいじゃないですか.

そうやって,日記とは違うブログを書き始めると,ブログを書くためのネタを探し始める.新しい視点を獲得し,問題意識というものが芽生えてくる.それ,なんて昔のオレ.ブログに書くことがない1日なんていうのは,無駄に過ごした1日だったと悔いた方がいいかもしれないくらいです.

とっくに書いたと思っていたら,非公開になっていた.しかも書いてなかった.ちょうど良く,今日は休日だし,引用したい記事を見つけたので,書いてみる.

 小学生のときから、理科の授業では実験がつきものである。こういった経験を積んで大学生になった学生たちに対して実験の授業をすると、次の2点において、彼らが誤解していることに気づく。

 まず、測定が終了したときに、彼らは「終わった」と思うようだ。これは間違いである。測定が終わっただけ。データが採取されただけである。実験とは、そのデータを考察する行為まで含まれている。したがって、そのあとの作業(たとえばレポート作成)の方がむしろ実験の本質である。

 もう1点は、やはり測定が終わったときに、彼らが口にする「先生、これで成功ですか?」という質問である。これは、彼らがイメージしている実験が、「こうなるべき答があるものを実際に自分でやってみること」だからだ。

MORI LOG ACADEMY: 実験に関する2つの誤解

書きたかったことがそのまま書かれているようだ.オレが特に書きたかったのは,2点目の話で,学生らは実験が必ず成功すると思っていることについてだ.オレの担当実験は,普通の見込で動いている限り,失敗する類のものではないのだが,前期中も何人か実験失敗したものがいた.厳密にいえば,実験失敗ではなく,実験未了である.通常3時間程度でできる実験を5.5時間以上かけてもできないというのはどうかと思うわけで,時間内に規定の処理を完成させることも大事なスキルの1つだと思っているので,なるべく時間延長はしないように心がけている.

そういう状況で実験終了の旨を伝えると,決まってこう返ってくる.「実験終わらなかったんですけど,単位大丈夫ですか?」と.オレが思うには,十分に試行錯誤を繰り返し,様々なデータを取っているので,成功はしなかっただけで,実験が終わっていないとは思えない.実験は必ず成功するものではなく,失敗という結果も有り得る.そして,その時に大事なのが,レポートである.森さんの言う1点目である.

実のところ,実験が成功したか失敗したかというのは成績評価の観点からはどうでも良くて,実験成功による達成感や実体験を与えたいというのが実験における教育的配慮の側面である.実際,実験に成功したか失敗したかという評価項目を少なくともオレは持っていないし,そんな評価は意味がないと思っている.本当に重要なのは,実験によって得られたデータをどのように集計し,まとめて,分析し,評価するのか.そちらに興味があるし,そこで成績評価をする.だから,実験が失敗だって全く構わないわけで,何故失敗したのか?原因は何か?何が良くなかったか?理論上はどうなるべきだったか?そのためにはどうしなくてはならなかったか?どうすれば成功することができたか?などを論理的に分析し,述べてくれれば,それは十分に高評価なレポートとなるだろう.

教育として行われる実験における成功や失敗というのは,成績には全く影響しなくて,学生に経験を与えられるか否か程度の差しかない.程度の差と書いたけど,その体験の差は実験の種類によってはかなり大きいかも知れない.オレの担当実験ではそれ程ではないと思う.達成感は得られると思うが.

実験は失敗してもいいんだよ.失敗したのなら,失敗した理由をしっかりと考察すればよい.失敗から学ぶことの方が多いはず.

第73回(2008年8月31日放送)のシンボルず地獄教育をやっていた.リンク先はバックナンバーが置かれるであろうURLで9月8日以降になると見えると思います.

みうらさん曰く、昔は「地獄」について色々教育されてたけど最近はされてないから悲惨な事件が起きているのでは。そこで今回は現世にもある色々な「地獄」を紹介してみんなが犯罪に走らないように教育することに。

シンボルず/バックナンバー: テレビ東京

熱い!熱いよ!それは熱いよ!確かに,地獄教育らしきことはされてきた記憶がある.善人は天国に,悪人は地獄に.悪いことをすると地獄に堕ちて閻魔様に下を抜かれるだとか,針の山を登らされるとか,うんこ風呂に入らされるとか・・・.恐ろしいです.だから悪いことをしない.こういうのを恐怖による支配と呼ぶんですよね.キラの世界ですね.わかります.

でも,それは地獄に堕ちたくないから悪いことをしないという思考であって,天国に行きたいから良いことをするという思考ではない.それが地獄教育の限界.地獄教育によって畏怖の念を抱かせておいて,続け様に天国教育をすることによって,国民は善人へと進み歩むのではないだろうか.なんたるプロパガンダ.

何かを仕向けたり,そうさせようと思った時,恐怖で従わせることは教育的な側面から正しくないのだろうか.論理的に説明されても分からないような年齢に,「悪いこと」を直感的に認識させるのに,地獄教育は一定の効果を発揮すると思うのだが・・・.

その昔に言えば,夏休みの終盤というのは当然のように宿題がほとんどそのまま残っているわけで,宿題の解決を強制されるわけです.もっと分かりやすく言えば,「算数の宿題が終わるまで,おやつ抜きだからね!」ということだ.これは恐怖による支配ではないのだろうか.そうだ.オレは恐怖に支配されて育ったんだ.それが今はどうだ.自主性を尊重とか,ゆとり教育とか,夏休みは休むためにあるとか,終わらない量の宿題を出す方が悪いとか,全く以て狂ってる.親は教育の義務があるのだから,恐怖で支配してでも宿題を完結させる義務があるはずだ.

程度は違えど,世の中は恐怖が支配している.大学生は単位を盾に勉強を強要される.卒研生は卒業単位を牛耳られている.就活においては遅刻は致命的である.社会人は仕事に失敗したらクビか減給だ.

地獄教育はそれだけではダメで,その対となる天国教育が必要なんじゃないかと思う.言うなれば,飴と鞭.でも,地獄教育が先行するのだから,やはり鞭と飴か.

出てくるんじゃないかとは思っていたけど,すぐに出てくるとは・・・.2日連続で,「さらば工学部」をお届けいたします.第7回は京大工学部です.

 工業化学科の1学年は235人。従来、私の授業では1割程度が単位を落としていました。ところが、現在の3年生から急に4割ほどの学生が単位を落とすようになりました。

 有機化学の授業で工学生にとって特別に難しいことを教えているわけではありません。(中略)同じように授業をし、同じように試験をしていたのに、明らかに従来と違っている。

 思い当たる理由は「ゆとり教育」です。2006年度に入学した学生は、ゆとり教育が本格導入された第1世代なのです。噂には聞いていたけれども、授業で 学生を見ていても分からなかった。出席率は従来と変わっていなかった。学生が授業内容を十分に理解できていなかったということなのです。試験で半分弱も落ちるのは明らかにおかしい。

「京大工学生はゆとり世代から学力低下」 ~さらば工学部(7):NBonline(日経ビジネス オンライン)

全く同じ現象を見たことがあります.しかも,現場で直面したことがあります.同じく06年度入学生は極端にひどかった.もちろん,その主原因は「ゆとり教育」だと信じ込んでいた.事前にゆとり世代が入学してくることはわかっていたので・・・.しかしながら,07年度入学生は05年度入学生と比較しても,大差ない印象を受けた.結局のところ,06年度入学生だけで,極端にひどい状況になっていたのだ.そうなってしまった理由は結局のところわからないままだったが,「ゆとりの影響」の一言で片付く問題ではなかったように感じた.いや確かに,ゆとり世代以前とゆとり世代以後では,受ける印象が違うのは確かであって,学びに対する意欲が異なっていると思う.不思議です.

06年春は本当にひどかった.大人しく座って聞いているので,大丈夫かと思いきや,中間テストは0点続出.他の科目の先生方も同様の結果になっておられて,大変に悩んだ時期でした.同じように授業をして,同じように試験をしたのに,その結果は全く異なるものになった.例年とは全く違う流れだった.その時点から色々とフォロを行ったが,既に手遅れで,06年春の単位取得率は散々な結果だった.上の方から「合格率6割」というお達しが来たが,そんなの知ったことか.現場を見てからものを言えと言いたい.どうやったら,半分近くが0点のテストで合格率を6割にできるのかと.06年秋からは最初から本格的に対策を講じたので,春ほどの結果にはならなかったが,それでも合格率は低かった.もちろん,春と秋では受講者が異なるので,単純な比較はできないが,驚きの06年度だった.

 本来、勉強にゆとりは必要ないのです。「鉄は熱いうちに打て」。スポンジのように知識をどんどん吸収する時期があるのです。後からでは間に合わない。日本の教育の間違いはかなり長い期間、尾を引くと思いますよ。

「京大工学生はゆとり世代から学力低下」 ~さらば工学部(7):NBonline(日経ビジネス オンライン)

ですよね.私は可能性は最大限に開いておくべきだと思う人なので,詰め込み教育大歓迎です.芸術とかスポーツとか,学校教育の枠の外で大活躍する人たちにとっては,ゆとり教育の方がやりやすいかもしれませんが,基礎的な知識を獲得することを考えれば,詰め込み教育も悪くないです.ゆとり教育は総合学習を導入して,コミュニケーションがなんとかとか,思考力がなんとかとか言ってましたが,その2点ともが現状の若者に欠落していると問題視されているわけで,ゆとり教育の本領がどこに発揮されているのかがわかりません.きっと,怠けるとか,楽をするという方向に長けたんではないでしょうか.どうですかね?わかりません.

 そのうえ教員数が減っています。従来、教授1人、准教授1人、助教2人という「1・1・2」の体制が一般的でした。それが今は「1・1・1」が増えてい ます。さらに言えば、「1・1・0」「1・0・1」の場合も珍しくありません。従来4人でやっていたのを、2人でやることになる。それでは、教育の密度が半分になるのは当然です。

「京大工学生はゆとり世代から学力低下」 ~さらば工学部(7):NBonline(日経ビジネス オンライン)

博士課程在籍していた大学は助手・助教がいませんでした.昔はいたようですが,私が学部に入学した頃には,既にいませんでした.現所属の大学は助教がいまして,大変に活気があります.やはり,学生に年齢的に近い教員がいることで,学生との距離も近くなるし,世代が近いが故にわかり合えることもあり,良いことだと思います.もちろん,ここで指摘されているように,助手・助教は本来からすれば「教授を助ける」ポジションなのですから,二人三脚のように,教育現場を回していかないといけないと思うのです.

学生から見たら,教授がいないというのは困ることだと思います.いない理由が出張だとしても,授業だとしても,会議だとしても.オフィスアワーなどを設けて,この時間ならいますよという枠を準備していることもあるかと思いますが,その時間に学生は授業を受けているかもしれないわけで,利用できないかもしれない.そんな状況にあるからこそ,常に誰かしら教員がいる「相談部屋」みたいなものを設置したっていいと思うんです.そこを駄弁り場のようにしたり,自習(自習じゃ困るけど)ができるような部屋にしたりすると,教育効果が出そうな気がするんですが,どうでしょうか.

誤解を恐れずに言うならば,「あの教授はいつもいないね.学会とかで出張が多いんだよ.凄い人だね.」って学生に言われたら,終わりだと思う.研究にかまけて,学生を蔑ろにしていると認識されているのだから.ましてや休講に次ぐ休講で,補講ばっかりなんて,学生にとっては良い迷惑です.どんなに凄い先生であっても,学校にいなくて,話をすることもできないのであるならば,学生にとってなんらメリットはない.そこでそういう凄い先生が学生との距離をぐっと詰めることができれば,本当の意味で,大学教育の凄味が出てくると思う.違いますか?

 極端なことを言えば、研究と教育は両立しないのかもしれません。

(中略)

 研究と教育のバランスは非常に難しい。お互いに相容れないところがあるんです。研究結果を求めれば、先生方は学生に対して「朝から晩まで働け」と言いかねません。半面、教育を考えると、教員はじっと待って、学生に考えさせないといけないのです。両者の違いを理解して、教育に取り組まなければ、学生はいつまで経っても自立しません。

「京大工学生はゆとり世代から学力低下」 ~さらば工学部(7):NBonline(日経ビジネス オンライン)

そして生まれ出る言葉は「自主性を尊重して」と「放任主義」ですか.難しい.ゆとり教育の影響が出始めている昨今,最終的に社会に送り出す立場にある大学は,教育の重要性を再認識し,社会人として恥ずかしくない立派な卒業生を送り出すことに重きを置くことを考えなくてはいけない時ではないだろうか.研究が大事なことはもっともとして,教育も同じくらいかそれ以上に大事であることを再認識されたい.

昨日,とある懇親会で自己紹介して思った.気がついて自分に愕然としたのだが,何故自己紹介で「研究の専門分野は~」などと言ってしまったのだろうか.オレは大学教員だ.教育職員だ.「教育の専門は~」と述べるべきだった.所詮はこの程度の意識と言うことなのだろうか.

関連:
さらば工学部は対岸の火事ではない - 4403 is written

ホッテントリメーカで28ブクマです.なかなか良いタイトルがついたと思います.全く以て,深いタイトルです.

日経ビジネスリポートで,日経ビジネス誌8月18日号特集「さらば工学部6・3・3・4年制を突き破れ」連動企画として「さらば工学部」と題されたインタビュー記事が掲載されています.8月25日時点で,第6回まで進んでいます.最終回まで出そろってから書こうと思っていたのですが,早稲田塾のマイスターが記事にしていたので,勇んで書いてみる.

 「工学離れ」に早く手を打たなければならない。

 日本では、大学入学試験における工学部への志願者は、ピークの1992年度に延べ人数で62万人に達したが、その後急速に減少し、2007年度は6割減 の27万人に落ちた。企業の人員削減の悪影響があるとされる。1990年代の不況の中で、大学の教育現場は荒廃。学生が集まらない旧来の学科の多くが消滅 して、カタカナと漢字交じりの新しい学科へと再編された。

「工学部を解体せよ」~さらば工学部(1):NBonline(日経ビジネス オンライン)

漢字カナ交じりの学科名は誰も是としていないと思うのだが,何故に流行ってしまったのだろうか.横文字にすると何をしているのかわからなくなって,凄そうに見えるからだろうか.わかりません.かく言う私の出身学科である「電子工学科」も変貌を遂げ「エレクトロニクス工学科」という理解しがたい名称に変わった挙げ句に,学科再編成で無くなってしまった.何故「電子工学科」ではダメだったのだろうか.名称変更をしないで改組に臨んだ学科もあったというのに・・・.漢字だけの学科名の方が伝統がありそうな気がしてかっこいいじゃないですか.コンピュータやソフトウェアなんてつけないで,「情報工学」とか「情報科学」って付ければ,かっこいいじゃないですか.って,印象の話をしている時点で同じか.

 工学教育は解体的に考え直さなければいけません。ただし、米国のまねごとではなく、日本のオリジナルを構築しないといけない。

 大学が特殊な議論に終始している面もあるでしょうが、基礎科学の教え込みをしてほしい。理系教育の危機はそこにあります。

 大学院教育は技術者教育の頂点です。技術者を育てていくうえでは、特殊な領域の教育ばかりしてもよくありません。基礎科学教育を今よりも強化していくべきでしょう。第4期科学技術基本計画の策定においては、その辺が大きく議論されることになるのではないでしょうか。初等、中等教育だって、学生の必修科目を増やさないといけません。多くの科目を履修したくないという学生は大学に行かなければいい。基本的に基礎科学教育は、理系だろうが文系だろうが必要なのですよ。私は大学2年までは全員が理系でもよいと思うくらいです。

「工学部を解体せよ」~さらば工学部(1):NBonline(日経ビジネス オンライン)

なかなか過激な意見で,興味深い.「大学2年までは全員が理系でもよい」かどうかはわからないが,基礎科学力の欠落は大きいと思う.進学校や塾などの影響により受験対策偏重となり,受験で問われない基礎科学力は衰退の一途を辿っているのではないかと思う.特に,優秀であればあるほど,その傾向にあるのではないだろうか.いや,それは基礎を全く学んでいないという意味ではなく,基礎と応用のバランスを考えたときに,応用への偏りが大きいように感じてならない.実践本意というか,すぐに役に立つことばかりを追いかけすぎていると思う.

 進学の基準となる最低点も、前年に比べて落ちていました。進振りのダイナミズムの1つとして、進学者の最低点があります。進学に必要な成績がどれほどの 水準なのかに、学生は敏感です。学生は進学基準の点数が低いところには行きたくないという心理があります。一度、この最低点が下がってしまうと、もう一度 上がることが本当に大変です。

「東大生の電気電子離れ加速、企業の求む人材と乖離」~さらば工学部(2):NBonline(日経ビジネス オンライン)

偏差値偏重です.高学歴になればなるほど,この傾向が強いらしいです.それはもちろん,ランクの高いところに入りたいと思うのは当然だと思いますが,「偏差値が高ければ電気でも何でも構わない」っていうのは違うと思う.あ,そうか.つまりは「電気をやりたい」っていう意欲や目標がその程度ってことか.だから,問題なんですね.わかります.えっと・・・.だから教養の部分における教育が・・・.

 「東大の電気学科も名前を変えた方がいい」とOBから言われることもありました。でも、基本となる学問は守らねばならないと踏みとどまりました。東大はそうしたくないし、しない。

「東大生の電気電子離れ加速、企業の求む人材と乖離」~さらば工学部(2):NBonline(日経ビジネス オンライン)

そうだそうだ!「東大は」の意味が理解できませんが,「電気工学科」は「電気工学科」,「電子工学科」は「電子工学科」でいいじゃないですか.

第3回も引用したいのだが,どこを引用して良いのかわからない.全文を引用したくなってしまうので,原文を読んでください.第3回は金沢工大です.1ヶ所だけ,どうしても引用したいことがあるので,書いておく.

 学生のレベルに合わせて、レベルに合わせた教育をする。とにかくそのことに力を入れてきました。故京藤睦重・第2代学長がよく言っていました。「目標は2つ持ちなさい。遠い目標と、身近な目標を。それがしっかりすれば、迷うことはない」と。

 教育の効果は、周囲から評価されるまでに、長い時間がかかります。早くても10年間はかかるのではないでしょうか。それまでは、「きっと評価してくれるに違いない」と信じるしかない。いわば“信仰”のようなものです。まさに、それはお祈りですよ。

「『教育の金沢工大』は“褒め殺し”。教育改革に一切気は抜けない」~さらば工学部(3):NBonline(日経ビジネス オンライン)

目標を2つ持つというのは大切です.長期目標と短期目標.オレが使っているところの,理想目標と実現目標みたいなもんですね.「理想目標は63kg」で,「実現目標は67kg」みたいなもんです.何の話ですかね.後半部分は教育の評価(成果,効果)に関する話で,難しい問題です.教育者はそのようなどっしりとした信仰の元に突き進んでいればいいとしても,それが雇用者側にどのようにして理解されるか.証拠性はどうなるのか.これはまた後で話題に出てきます.

千葉商科大(千葉県市川市)が来年4月に開設予定のサービス創造学部で、1限の講義の開始時間を午前10時40分にする。(中略)新聞を読み、メールをチェックし、朝食もとって、余裕をもって講義に出てもらいたいという。

asahi.com(朝日新聞社):新学部は重役通学?新聞・朝食ごゆっくり 千葉商科大 - 社会

なかなか激しい試みだ.今ひとつわからないのは,同じキャンパス内で,学部によって1時限目の講義開始時間が違うということになるのだろうか.全学的に取り組めない辺り,この施策のまずさが酌み取れます.

同大によると、既設学部の講義は9時開始だが、学生が前日のアルバイト疲れで寝てしまったり、出席するために朝食を抜いたりする問題があった。そのうえ、 幅広いサービス分野を担う人材を育成する新学部には、「現代社会入門(ニュース解説)」など新聞を読んで意見を述べるような講義もあって、朝、新聞をじっ くり読んでもらう必要があるため、1限の開始時間を既設学部の2限開始時間まで100分間繰り下げることにした。

はてブのコメントにもあるけど,登校時間が遅くなったら,起きる時間が遅くなるだけ.それは1限登校と2限登校では起床時間が違う従来の学生を見ていても,結果は明らかだろうに.「現代社会入門」は大変に今風な試みで,時事問題を取り上げて,問題意識を芽生えさせるタイプの講義になるのだろうか.だがしかし,それと1限の開始時間が遅いことは関係がないように思える.つまりは,授業で使う新聞は指定されているということだろうか.授業で取り上げるニュースは「○○新聞」を使うから,それを読んでこいということか?そうでなければ,新聞社によって取り上げているであろう記事の違いは吸収できない.いやもしかすると,各学生が取り上げた記事を説明するのかもしれない.これならば,異なる新聞を購読していても問題がない.問題はないか?いや,あるだろう.授業で使うからといって,その日の朝刊を持って行ってしまっては,家族が困るだろう.それとも,いきなりスクラップか?経済記事を切り抜いて読めなくなった国際問題,涙目だ.

さらに、通学可能エリアが拡大することで、優秀な学生を獲得する狙いもある。

1番突っ込みたいのは,ここ.全く意味不明.新聞を読む時間と朝食を食べる時間のために100分繰り下げているのに,その100分のお陰で通学エリアが増えますとか,何を言っているんだって感じだ.どこからどう考えても,通学可能エリアは広がらないだろう.こういうのをダブルスタンダードっていうのかな.わかりません.

思うには,こういうことをやるのはいいと思います.教員も通勤ラッシュの中をやってくるよりも,オフピーク通勤ができるようになった方がいいと思います.オフピーク通勤を大々的に取り入れられるのって,大学くらいだと思うのですよ.だから,こういう試みはいいと思います.結果を期待して待ちたいと思います.

でも,こういう報道って投げっぱなしジャーマンで,1年後に結果報道とかしてくれないんだよねぇ・・・.「報道の義務がある」とかかっこいいこと言ってるけど,それ,たった1つの単なる事実でしょ.それとも,「報道の義務」があるんだから,購読者が「あれを報道しろ」って言ったら,やるんかな?やらないんだろうなぁ・・・.義務を全うしないのに,権利ばかりを主張するマスコミは嫌いです.

いや,携帯電話に限った話じゃなくて,デジカメでもいいんだけど・・・.ものを作って,それをすぐに写真に納めておけるような環境になった.しかも,ほぼ間違いなく,誰もが持っている.素晴らしい環境だ.

いや,実験結果を写真に収めて楽をしようという話ではないんです.オシロスコープの波形を写真に撮って,それをレポートに貼って提出とか,そういう話ではなくて.オシロはちゃんとグラフ用紙に書いてください.観測した事実をそのまま書いてください.理論値にねつ造とか,いらナッシング.

そうではなくて,実験で作成した回路を撮影しておけることが素晴らしい.実験が終わったらばらされてしまうような回路,例えば,ディジタル回路のブレッドボードなんて,すぐに組み替えられちゃうから,完成品を撮影して,記録しておけるって,素晴らしいと思う.そう思いませんか?

オレの担当実験はレゴだから,当然ながら,次の回になれば他の班がそのパーツを使って実験をするため,ばらす必要性が出てくる.一生懸命作成したものであるにも関わらずだ.大変に心苦しい.でも,とりあえず簡単な方法で実験結果(というか成果物)を残しておける.携帯のカメラでパシャですよ.そして,意外にデジカメを持ち歩いている学生もいる.手軽で便利な世の中になったと思う.

そんなボクは根っからの工学人間です!工作大好き!

パソコンの画面の文章を複写して別のファイルに張り付けるコピー&ペースト(コピペ)の横行が教育関係者を悩ませている。昨年、小学生の読書感想文でもコ ピペが発覚。大学生の間では日常的に横行しているとも指摘されており、盗用が疑われるリポートが半数を超えた大学医学部も。モラル低下を嘆く声が漏れるな か、コピペ対策ソフトも登場した。

NIKKEI NET(日経ネット):社会ニュース-内外の事件・事故や社会問題から話題のニュースまで

オレはコピペの何がダメかって,何も考えずに,結果だけを得ようとしている根性がダメだと思う.だから,出所を辿ればどこかのコピペかも知れない文書でも,一見するとコピペに見えないのであれば,それはそれで何かしらの努力が背景にあるわけで,いいんじゃないのかなと思ったりもする.だかしかし,そういう細工すらせずに,丸々コピペありがとう的なレポートが存在している現状は看過できないし,毅然とした対応を取らなくてはならないと思う.

コピペをするのだって,それなりに考えなくてはいけないし,どこが必要でどこが不必要かは判断しなくてはいけない.そういうことが出来るということは,問題を理解していると言える.また,一見するとコピペと思えないようなコピペは,一旦自分の知識として取り入れて,必要なものだけを再整理して出力したともいえる.だとするならば,それは自分の知識となっていると言えるのではないだろうか.

こうなると問題になるのは,人から人のコピペである.要するに,出来ている人のレポートをコピペしたものをどうするかだ.この手の問題は,どっちがオリジナルかハッキリとしない点である.日頃の受講態度や他のレポートと比べれば,おおよその見当はつくが,絶対的な確信は得られない.この手の問題はどう解決するべきだろうか.喧嘩両成敗的に,写した者も写された者も両成敗にし,写されないような努力を促すわけだが,それでいいのだろうか.ボクはノーアイディアだ.

ところで,これについて2chで盛り上がったまとめがあるのだが,なかなか面白い視点である.

11 名前:名無しさん@九周年[sage] 投稿日:2008/07/11(金) 16:15:50 ID:tdIx4vdk0
感想文はたくさん書かされたけど、感想文の書き方を教わった記憶がない

20 名前:名無しさん@九周年[] 投稿日:2008/07/11(金) 16:18:40 ID:QY/2tBot0
>>11
あるあるwww

54 名前:名無しさん@九周年[] 投稿日:2008/07/11(金) 16:38:04 ID:2n5S7gFm0
>>11
確かに教わった記憶がないなw

48 名前:名無しさん@九周年[sage] 投稿日:2008/07/11(金) 16:36:07 ID:0eSXImnI0
感想文の書き方

1.あらすじを書く
2.最後に「面白かったです」と付け加える

59 名前:名無しさん@九周年[sage] 投稿日:2008/07/11(金) 16:40:00 ID:OCKERccpO
>>48
それ何て俺の小学時代?

233 名前:名無しさん@九周年[sage] 投稿日:2008/07/11(金) 18:50:07 ID:vnCBdc2n0
小学生にやらせたら9割方が>>48だなw

越えられない壁( ゚д゚):小学生も読書感想文をコピペ ネット丸写し横行で悩める教育界

全く以てその通り.オレも読書感想文は嫌いだった.>>48それなんてオレ.読書感想文の書き方なんて習ったことはない.だから,小学校時代はあらすじ+「面白かった」だった.中学に入った頃だったか,読書感想文の入賞作品を目にすることがあった.まぁビックリだよね.「ぇ?あらすじじゃないじゃん」って.それ以降,文章を書くことに興味を持って,国語の重要性を理解したという辺りだろうか.薄っぺらいな,オレ.

99 名前:名無しさん@九周年[sage] 投稿日:2008/07/11(金) 16:54:57 ID:t+i8XTwP0
コピペ発覚しても罰与えるみたいなことは何もしないんだろ?
ナメられてんのが分かんねーのかよ?
厳しくしないかぎり学力も想像力も一般常識も低下の一途だよ日本は。

109 名前:名無しさん@九周年[sage] 投稿日:2008/07/11(金) 16:59:47 ID:k0RNPU9M0
>>99
そもそも、日本の国語教育は文章の書き方自体教えていないだろう。
入試で小論文を課せられて、高校生になって初めて文章の書き方を習う。
それも予備校で、というのが実態。
入試で使わないなら、そのまま大学に入る。

247 名前:名無しさん@九周年[] 投稿日:2008/07/11(金) 19:12:44 ID:TTFRBhzc0
>>109
そうなんだよね。で、大学でもそのままスルーされるから
そのほとんどがまともな日本語を書けずに社会人になる。

もしかすると、教師自体が論理的な文章を書けないのでは?

越えられない壁( ゚д゚):小学生も読書感想文をコピペ ネット丸写し横行で悩める教育界

全く以て,国語だ.国語は大事だ.絶対に国語だ.英語なんてやっている場合じゃない.母国語もまともに扱えないような国で英語を教えてもものにならないだろう.日本が本当に英語を身につけさせようと思っているなら,公用語を英語にしないとダメなんじゃないだろうか.いやいや,英語が云々はおいておいて.やはり国語だ.国語教育の強化は絶対だと思う.それは大学も同様で,小中高と国語の授業があるのに,大学で国語の授業がない理由がサッパリ分からない.国語こそ教育の基礎であって,大学の一般教養科目の必修に据えておきたい.

まとめ:
上手く書けなかった.言いたいことが表現できていない.別に,国語国語!ってエントリーを書くつもりじゃなかったのに・・・.要するに何が言いたかったかというと,「分からないことを分からないままにしないで,分からないときに分からないことを知ろう」ということ.そんな話,どこにも書いてないじゃんね.

突然ですが、「日本の大学生の就職活動は、行き詰まっている」と思っています。

(中略)大学を卒業する前から始まる、「新卒一斉採用」というシステム。一斉に同じ格好(リクルートスーツ)をして、SPIの試験勉強(つるかめ算とか……)をして、大学の授業をさぼって出かける会社説明会。
その影響で成立しなくなる、大学の教育研究。
そんな苦労をした割に、「想像していたのと違う!」……と、すぐ辞めてしまう新入社員。

(中略)

この現状、一体、誰が幸せだというのか。
○クルート社を初めとする就職関連企業や、人材紹介会社、派遣会社などを除いて、みんなが不幸になっているんじゃないかと思うのですが。

行き詰まっている? 日本の大学生の就職活動 (大学プロデューサーズ・ノート 【早稲田塾】)

「大学の授業をさぼって出かける」と断言している辺り,辛辣で痛烈な意見.いいぞ.もっと言ってやれ.早稲田塾のブログは初めて見たけど,面白いね.リーダーに登録しようかな?このブログで主張されている早稲田塾の公式見解ではない執筆者個人の見解に激しく同意したい.就職活動早期化について怒っている人たちはみんな同じ問題意識を持っていると思う.

学生の求めに応じる形で大学も3年生から就職ガイダンスなどを開催しているが、発表の当番の学生がゼミを欠席するなど、教育に支障が出ているという。

中日新聞:採用活動早期化、是正を 大学側が経団連などに要請:社会(CHUNICHI Web)

全くその通りです.先の長い人生を見たときに,いいところに就職したいという気持ちは大変によくわかるし,そのために就職活動に力を入れたいのはよくわかる.だから,就職活動を自粛しろとは到底言えないが,本命も滑り止め(語弊があるが)も同様にして活動している.しかも,「おまえ,そこ,入る気ないだろ」という企業を「練習」という名目でいっぱい受けていたりするから,どうなのかなぁと思う.それはそれで.就職活動はそれでいいのかもしれないが,何度も述べているように,卒業を前提に就職活動をしているのだから,卒業できなくて話にならない.なのにも関わらず,就職活動には力を入れて,卒業研究やゼミには「就活だから」と免罪符でも持ったかの如くにいけしゃぁしゃぁとやらない理由を正当化する.勘違い甚だしい.理由があって休むのは構わないが,休んだ分を取り戻さないのであれば,評価対象にならないので,単位を落としてしまえばいいのだ.そして,卒業できなくなってしまえばいいのだ.それは卒業研究やゼミという科目の評価としては至って正当なものであり,「就職先が決まっているから卒業できないと困る」という感情的な意見とは全く異なる.そうなるであろうことを容易に予測できるであろうに,「その対策を全く打たないような学生を採用したのですよ,あなたの会社は」と痛烈に言ってやりたい.こうなったのはあなた方の所為だと.

国大協理事の平野真一・名古屋大学長は「採用活動は4年の7月以降にしてほしい」としたうえで「企業が求める人間像として挙げるのは明るさや協調性。こういう学力を、というのはない。大学関係者として悔しい」と話している。

中日新聞:採用活動早期化、是正を 大学側が経団連などに要請:社会(CHUNICHI Web)

国大協の平野真一教育研究委員長は「貴重な学びの時間が奪われている。十分な教育を受けずに学生が社会に出るのは国家の損失だ」と話している。

授業にならない! 「青田買い」是正を 大学3団体、企業側に要請 - MSN産経ニュース

最早,大学教育の完敗と言えるだろうか.何のために大学に入ったのかがわからない.大学は就職活動を優位に進めるための最終学歴を得るためであり,大学で受ける教育には全く興味がないということなのだろうか.大学は最高学府として優れた教育と充実した研究の場を提供し続けることのみならず,社会人に相応しい人格者を育て上げることも使命としてあるだろうに,それすらも許されないということなのだろうか.

要望したのは国大協のほか、公立大学協会と日本私立大学団体連合会。書面では、(1)卒業学年当初や3年以下の学生に対する実質的な採用選考活動を慎む(2)採用活動は可能な限り祝休日や長期休暇に行う(3)正式内定日は卒業学年の10月1日以降-の3点を求めた。

授業にならない! 「青田買い」是正を 大学3団体、企業側に要請 - MSN産経ニュース

まず(1)について.これは恐らく,無理.現状がそれを表していて,採用選考ではないセミナーだとか勉強会だとか銘打ってあって,実際にはそれに参加していないとエントリーすらできないとか,そんな感じらしい.また,3年夏頃にインターンと呼ばれるプレエントリー的なものがあったりして,手を変え品を変え名前を変え,採用選考活動はどんどん早期化しているといえよう.オレが学部生だった頃なんて,インターンなんてなかったように記憶しているが・・・.どうだったかなぁ・・・.次に(2)について.これも無理だろう.休日出勤をしろと言っているようなものだ.受け入れ難いだろう.最後に(3)について.倫理憲章で内定公布日は10月1日以降になっていませんでしたっけ?倫理憲章を守らない企業をどうするのかって話かな?あんまり意味がないように思えるけど.というわけで,残念ながらこの要望は受け入れられなさそうな気がします.悲しい.

同じように,この一連の記事について書かれているのが,有名な5号館のつぶやき

学部の3年生というのは、ようやく大学らしい授業が始まる時期で、理系だと実験なども多くなりもっとも忙しいのが3年生です。その時期に就職活動で時間が 取られるということは、就活をする学生も採用する側の企業も「就職のためには大学での学問は必要ない」と判断しているということにもなります。しかし、大 学教育のもっとも充実したところをスキップするというのは、今の大学カリキュラムのままだと、学生も企業も「損をする」ことになると思います。

5号館のつぶやき : 大学生の就職活動: 1年生から始めさせてはどうでしょう

ゆとり教育の影響がどうのこうので,大学は規定通り15週しっかり授業をやれあーだこーだと文科省言っているにも関わらず,実際は企業も学生も大学教育を必要としていない皮肉.だったら,大学教育者はそういう学生に対して,教育を放棄して差し上げたいものだ.如何に我々が無力であるか.悲しい.

そこで、どうでしょう。ちょっと荒療治ですが、大学生も1年生から就職活動をカリキュラム化して、授業の一環として行うようにしてしまうということを検討しても良いのではないでしょうか。

5号館のつぶやき : 大学生の就職活動: 1年生から始めさせてはどうでしょう

なかなか面白いアイディアである.1年生から始めることがいいかどうかはわからないが,プレ卒研としてのゼミがあるかのように,プレ就活のためのフェーズがあってもいいかもしれない.大学にとっても,学生が良い就職ができるように支援することはやぶさかではないだろう.

まとめ:
就職活動の早期化はダメ.早々に内定(内々定)を出して,学生を慢心させて,卒研に気合いが入らない状況にするのもダメ.大学が教育機関だと認識して!

関連:
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就職協定話 - 発声練習

404 Blog Not Found:授業には適度な無駄が必要である

激しく同意.大学において,授業の50%以上は無駄で構成されているべきだと思う.オレが学生の頃,そういう授業を選んで取っていたように,オレはそういう授業を求めていたし,そうすべきだと信じている.

本当に多くのいい授業を受講した.教科書に書かれていることは読めばいい.だから,そんなことは習わなかった.教科書には書けないようなことを習ったし,不思議でしようがない資料集の秘密も習った.でも,それを知っていたところで,何に役立つのだろうか.いや,何の役にも立たない(反語).それは雑学と呼ばれる類のもので,良い成績を修めるためにも,単位を取得するためにも,研究をするためにも,全く役に立たないものだった.でも,それはオレを豊かにした.好奇心と向上心を呼び覚ました.

だから,高効率で勉強をしたいなら,自分で勝手にやってくれ.授業には無駄がふんだんに取り入れられている.それは効率を下げるかもしれないが,効率では推し量れない,豊かな知識を与えてくれるはず.そうやって,知的好奇心は呼び覚まされるんじゃないでしょうか.

自分の能力を意識することが大切だと思う - kakku blog

褒めるな危険.4.0ってことはないでしょ.数割増ってことはあっても,数倍ってことはないでしょ.ご指名いただいたので,少し書いてみる.

ていうか能力値の上げ方は僕もわからない.むしろ知りたい.先輩がどうやって能力値4.0まで到達したのか知りたい.<何

4.0はないと思うけど.ここでいう能力値ってのは勉強ができるとか,知識があるってことだと仮定します.基本的に,オレはチキンなんだ.「失敗したらどうしよう」「知らないことがあると落ち着かない」「オレは決められたレールを走り続けるんだ」というような,基本的に後向きネガティブ思考です.そうしたときに,