大学と社会('08) 第2-4回

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出張中に3回分ほど勉強をしてきました.

第2回は「大学モデルの移植と伝播」です.大学史を通じてモデル移植には4つの大きな波がある.第1の波は15世紀,第2の波は16~17世紀,第3の波は19世紀,そして第4の波は第二次世界大戦後である.簡単にまとめると,植民地開拓と高等教育について歴史から読み解いている感じです.

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第3回は「アジアにおける高等教育の伝統」です.その時代の最高の学問内容を授けることを高等教育と呼び,それを効果的に実施する場を大学と呼ぶとすれば,「大学」の代表的なものが,古代インドの紀元前10世紀にあったタクシャシラとそれに取って代わった5世紀にあったナーランダーである.

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古代中国においては紀元前15世紀から12世紀頃に,最高学府に相当する東序,上庠,右学などがあった.西周の時代には「辟雍は中にあり,その南を成均,北を上庠,東を東序,西を瞽宗となる」とあり,学府で学ぶ内容は「礼,楽,射,御,書,数」のいわゆる六芸であった.玄宗皇帝の天宝14年には,夏休みの規定が設けられた.

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日本はどうか.文武天皇の治世下の701年に制定された「大宝令」の規定に基づいて設置された大学寮は,我が国で最初に整備された最高学府であった.大学寮は,明経,音,書,算の4道(学科)に分かれ,それぞれ教官たる博士とこれを補助する助教とが教育に当たった.今とは逆ですね.

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第4回は「アジアの近代化と大学の役割」です.清国は教育の近代化への取り組みは日本よりも早かったが,数千年来の伝統の重みと頑迷な保守派の妨害の中で,清国の近代化は遅々として進まなかった.一方で,日本は西欧化を急速に進め,近代国家としての装いを整え,富国強兵策を推進した.

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