リハビリがてらに真面目なエントリを久しぶりに.闘病だけが人生じゃありませんのだ!
コピペレポート問題はある程度の周期でループしているような気もするけど,また話題に上ったので書いてみる.過去に取り上げたのは以下の通り.
最近話題になったのは,コピペレポートを発見するソフトが開発されたとかなんとか.
阪南大(大阪府松原市)ではコピペを発見するプログラムを開発、対策に乗り出した。リポート中の重要名詞を複数選び、検索エンジンで探した大量のホームページと比較。6割以上が似ていると「コピーの可能性あり」と判断、担当教員に伝え指導を求める。
コピペ リポート悩む大学…ネット世代屈託なく : ニュース・トピックス : 大学新時代 : 関西発 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
少しでも自然言語処理をかじったことがある人なら,コピペレポートかどうかを確認する程度の簡単なソフトウェアなら,造作もなく作ることができるだろう.オレも自分で作って使っていたこともある.今はメンテナンスされていないので使えなくなっちゃった.サーバの設定が悪いんだけど・・・.n-gramで一発じゃんね.どこからコピペしてきたかなんて実はどうでもよくて,どのくらいコピペが蔓延しているかを知りたかっただけ.実に半数にも及んだわけですが・・・.
オレはね,コピペレポートを駆逐したいとは思っているけど,コピペ自体が悪いとは断じることができないと思っている.コピペは引用のはずだから,引用元と引用部分を明示しなくてはならない.毎回強調しているのはその部分である.しかしながら,引用元を示さなければ,引用部分も明らかにしない.それは何故か.単純にコピペのコピペ(つまり孫引き)だからだろう.そして,出典を明示しないコピペは引用ではなく剽窃であり,著作権法第119条以降の罰則が科せられる.だからこそ,そのようなコピペレポートは駆逐されてしまえばいいと思っている.
適切な引用をしようと思ったとき,全く同じ文章をタイプするのとコピペをするのではどちらが正確だろうか?明らかに後者であろう.正確なだけではなく,実に簡単なのである.だから,コピペ禁止とは言えない.だからといって,むやみやたらにコピペしまくればいいというわけではない.レポートで要求されていることに対して,必要十分かつ最小限の引用でなければならない.だから,本来はレポートを書く上での引用は非常に頭を使う作業のはずである.調べてきた内容を全てだらだらと書き連ねるなどということは大学生のレポートではない.
そもそも大学の授業でレポート課題が課されるのは何故だろうか.1つには成績評価の材料とするからというのがあろう.また,授業の内容を理解しているかどうかを確認するという目的もあろう.さらにいえば,適切な文献を探す調査能力,調査内容をレポートとしてまとめる文章構成力と執筆力,適切であり説得力のある展開を構成するための論理思考を養うことも目論みたい.大学教員は実に狡賢い.1つのレポートで3つも4つも得を得ようとするのだ.そして,今の大学生は成績評価の材料としてのレポートしか提出していないのだ.折角,これらを学ばせ身につけさせようと機会を与えているのに,敢えて放棄するのだ.授業で何度も説明しているのに全く響かない.
その昔,オレが学生だった頃は,レポートは手書きだった.別にパソコンがない時代ではなかったけど,グラフをパソコンで作成するのがあまりにも面倒だったので,手書きワープロ混在のレポートは認められていなかったこともあり,全て手書きのレポートであった.もちろん,そんなアナログな時代であっても,過去レポは存在していた.そのため,レポートを写そうと思えば写すことはできた.しかしわかるだろう.手書きで全く同じ文章を書き写すのは面倒なのだ.そうすると,パクリ元の文章をよく読んで,必要最低限の部分だけを写そうと考える.これは知的活動が伴っている.文章を読み,その意味を理解している.必要な部分と冗長な部分を選別できている.そして,論理的破綻なく文章となるように再構成する.結果として,元よりも短い文章ができあがってしまい,考察が実に薄っぺらいものになってしまうので,後ろめたさもあって別に文献調査をして独自の考察を付け加えたものだ.
閑話休題.話がそれてきた.コピペ自体は悪くはないと思うが,出典は明らかにするべき.孫引きはするべきではない.他人のレポートを写したのであれば,潔くそのレポートを参考文献に挙げるべき.Wikipediaは自由に書き換えることができるので,引用元としては不適切.実験レポートの範囲なんて,図書館で本を調べて引用して欲しい.基礎的なことが考察になっているはずだから・・・.
まとめ:
コピペレポートなんてなにもいいことないのに.
201008190944追記:
発声練習さんから核心を突くエントリが.