今学期受講している3科目の中で,結局1番最後まで積ん読にされてしまったのが,心理カウンセリング序説である.実際には,放送授業を2,3回聴いていたのだが,実に単なる聞き流しになっており,要点が全くつかめていなかったので,この2週間で時間を作って復習をした.ラジオ放送で,キャンパスネットワークから全講義をダウンロードできてしまうのが,勉強に身が入らなかった原因と思われる.やはり,強制力は大事.
講義の中でいくつか神話のエピソードが紹介された.コップの水が飲めない話(これは神話じゃないな),王様の耳はロバの耳,スフィンクスの問.コップの水が飲めない話は,アンナが嫌っていた使用人の犬がコップから水を飲むのを見たことによって,それが心理的外傷(トラウマ)となったものであり,その扱いが難しい事情が感情を伴って話されることで,解放された(カタルシス)事例である.王様の耳はロバの耳も同様で,王様の耳がロバの耳であることを唯一知ってしまった床屋は,扱いの難しい事情を抱えてしまった.そのため,それを誰かに話したくて仕方がなかった(解放されたかった)ため,穴を掘って,「王様の耳はロバの耳」と叫んで,穴を埋めたという話である.スフィンクスの話はギリシャ三大悲劇の1つである「オイディプス王」の話である.神託によって「父を殺し母と結婚するであろう」と告げられる,エディプスは自分の父と知らず偶然に父を殺し,スフィンクスの「朝は4本,昼は2本,夜は3本のもの?」という問に答え,エディプスは王となり,実母を妃としたものである.これをエディプスコンプレックスという.
本講義ではセラピストとして「聴く」こと,「語る」ことが説明され,カウンセリングの器(レトルト)の説明があり,意識と無意識,セラピストの「読み」「問いかけ」「語りかけ」が説明された.
心理療法として,フロイト派とユング派があることは有名である.p.65 図5-5で説明されるように,心理療法における学派は,治療の過程が外的であり患者の現実が内的であるものがフロイト派,治療の過程が内的で患者の現実が内的であるものがユング派,治療の過程が外的で患者の現実が外的であるものが行動療法,治療の過程が内的で患者の現実が外的であるものがロジャーズ派である.基本的には学派がどうこうではなく,学派を超越して幅広く学ぶのがよいだろう.でも,河合隼雄先生派なので,ユング派かなって思ったりもしている.実は河合先生の著書は10冊近く持っている.全部実家に置き去りだけどwww.
ただ,1つ残念なことがあって,この心理カウンセリング序説は前提知識が要求されており,心理臨床の基礎やら心理学入門を受けていた方が良かったようだ.というか,序盤の飛ばしっぷりに平然と置いて行かれてしまった.スクールカウンセリング('10)のおかげで,少しはついて行けたのが,せめてもの救いだった.大変だったぜ.