研究指導 できること・できないこと

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未公開エントリーにして,ずいぶんと長いこと放置してしまったが,いい加減に書いておかないと,永久にお蔵入りになってしまいそうなので,このタイミングで書いておきたい.

アタリマエのことではあるが、それぞれの大学院生が抱えている課題は「研究課題」である。「研究課題」ということは、原則として、全く同じ課題に過去に取 り組んだ人がいないということであり、結果が「わからないこと」である。結果が「わかっている」なら研究ではない。「わからないから研究」なのである。

NAKAHARA-LAB.NET 東京大学 中原淳研究室 : 「大人の学び」を科学する: わからないことを教える!?

新しい領域を発掘していくことが研究の第一歩となる.従来はここまでできているが,これはできていない.この方式を使えばこれはできるが,実行時間が非現実的だ.などなど,従来研究の問題点を理解し,それをどのように解決していくかを「新しく」考えるのである.だから,どうしたらいいのかは分からないのだ.分かっていたら,それこそ既知のことである.そうやって,多くの従来研究を調べ,関連技術や周辺知識を学び,研究者は研究を続けていくのだ.

「『正解がない問題』の正解』を探す行為こそ「常に『(生徒が知らない)正解を大人が知っている』という受け身の姿勢の表れ。そうではなくて、卒論生、大学院生には、正解がない問題の答えについては、その答えが正しいことをあなたが主張すればよくて、それが正解かどうかを探す必要な全くないのだということをぜひ理解して欲しい。当然、主張なのだから反論が飛んでくる可能性がある。そのときには、自分の主張が正しくて、適切であることを反論者に説明すればよい。武運つたなく、相手の反論が正しそうに見えて、適切に感じたら、潔くあなたの主張を取り下げればよい。あるいは相手の反論を受けいれて、あなたの主張を修正すればよい。

「どんな疑問や目標が求められているのか」という発想を壊したい - 発声練習

その通りである.卒論や修論や中間発表や研究室発表などで,オレはしつこいかのように「何故?」を繰り返す.「××だから△△な手法を提案していますが,何故△△の手法で○○問題は解決されるのですか?」とか,「○○と述べていますが,それはどのような理由からですか?」とか.何かを考えた結果,そういう提案をしているのだろうから,そう考えた経緯や根拠を訊きたいのだ.なのに,オレが質問すると,その裏には何か正しい「答え」があると思うらしく,黙り込んでしまう.何か言えばいいのに!議論をしないで,教えだけを乞おうとするのは,研究の仕方としては全く正しくない.

で,結局,このエントリーはなんなのか.研究指導として,何ができて,何ができないのかという辺りに帰着したい.指導教員や先輩は多少なりとも経験と知識を持ち合わせている.しかし,研究なのだから,その先がどうなっているかということに関しては分かっていない.その点は学生と同レベルなのだ.ある程度の憶測はできても,必ずしもそうなるとは限らない.だから,実験をするのだし,検証をするのだ.

では,指導教員は一体何ができるのか.それは学生に自分が知り得るノウハウを教え,知識を教授し,みんなで議論をして,一緒に悩むことだ.だから,「全然分かりません」的な丸投げで,「もうダメです助けてください」的な目をしないでください.「一緒に悩んでください」という程度が関の山なんです.でも,それが「指導教員」として,本来あるべき姿だと思います.

来年度から,オレはこういう点に気をつけて,実践していきます.日々,学生と共に猛勉強です.そして,さも知っていたかのように振る舞いつつ,弱みは見せない.

みんなが見てないところで,こっそり勉強して,知らないことは無いように見せる.

恩師である大條先生の名言です.常に実践中.

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