鞭と飴

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やや,この手の話とは無縁になりつつあるわけだが,社会の問題だから,広く問題は残っているだろうし,どげんかせんといかん.とあるブログにこのようなことが書いてあった.リンクを張りたいけど,張っていいのかどうか分からないから,張らないでみる.なお,酔ってて眠いので,簡潔に言及.

人は褒めることでやる気を出すのだそうです。小学生に勉強のやる気を出させるにはだめなことを教えて「○○○をやりなさい。」では駄目なのだそうだ。できたことを褒める。がんばったことを褒める。などなど何でもいいから褒めることでやる気が出てくるのだそうだ。

これは正しい.重要なのは「できたことを褒める」ことである.できていないのに,褒めてやる必要はない.だが,出来たのであれば,褒めるべきだ.出来たのであれば.

俺も課題を提出したことに、やったことに対して褒めてあげればよかったのかな?大学生として見ないことが彼らにとってのうれしいこと^^。

オレなら,ガッツリ鉄槌を下すところである.もしくは,何もしないか.何もしないと言うことは,見放していることと同義であって,知らんぷりのことだ.社会人まで後1年という状態にもなって,見放されるような人間関係を形成するという根性は,認めざるを得ない.意思を尊重したい.

そして,卒研生や修士生,っていうか大学生は,手放しに褒められていることに対して,危機感を感じなくてはならない.褒められるのならば,それはそれでいい.手放しに褒められることに,危機感を感じろ.常識的に考えて,最初から上手くできるやつなんて,いるわけがない.それは卒研だって,なんだって同じ.ゼミで課題を与えられて,最初から上手くできるやつなんているわけがない.だから,指摘されて然り.褒められることなんて,有り得ない.オレなら評価できるような内容が出てきても,1回目だったら,絶対に潰す.正当な評価をするべきは2回目からだ.1回目の指摘に対して,どれだけの努力をしたか,どれだけ奮起したか.そこを評価する.そして,重要なのは次に同じ課題が与えられたとき.同じ過ちを繰り返すようならば,ガッツリ鉄槌.上手くやりこなすようならば,評価する.簡単なことです.

卒研でもなんでも,最初は何も分からないんです.だから,初っぱなでガッツリ締め上げておかないといけない.例えば,輪講をしたってそう.多くの学生は,担当箇所を棒読みするだけ.そうしたら,すかさず「お前は一体何を理解しているのか」と強烈に問い詰める.そう.このやり方ではダメなのだと,目の前で知らしめる.1回目に当たった人は災難だろうが,人柱として重要な役割を果たしています.そうやって,1回目にガッツリ締めれば,2回目からはその水準でずーっと行ける.維持していける.最初に甘やかしてしまうと,低きにしか流れないので,改善は厳しい.みんな大学に入ったときはそうだったでしょ?「宿題忘れました」なんて言った日には「は?お前,大学生だろ?そんな当たり前のことも出来ないのかよ」的なことを言われたはずだ.言われてないとしたら,それこそ,そこでものすごく低きに流れてしまっている.もうダメ.ぐぎゃー.

まとめ:
まずは締める.次に,出来たら褒める.だから,飴と鞭ではなく,鞭と飴.まずは鞭で打つべし.

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