さらば工学部は対岸の火事ではない

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ホッテントリメーカで28ブクマです.なかなか良いタイトルがついたと思います.全く以て,深いタイトルです.

日経ビジネスリポートで,日経ビジネス誌8月18日号特集「さらば工学部6・3・3・4年制を突き破れ」連動企画として「さらば工学部」と題されたインタビュー記事が掲載されています.8月25日時点で,第6回まで進んでいます.最終回まで出そろってから書こうと思っていたのですが,早稲田塾のマイスターが記事にしていたので,勇んで書いてみる.

 「工学離れ」に早く手を打たなければならない。

 日本では、大学入学試験における工学部への志願者は、ピークの1992年度に延べ人数で62万人に達したが、その後急速に減少し、2007年度は6割減 の27万人に落ちた。企業の人員削減の悪影響があるとされる。1990年代の不況の中で、大学の教育現場は荒廃。学生が集まらない旧来の学科の多くが消滅 して、カタカナと漢字交じりの新しい学科へと再編された。

「工学部を解体せよ」~さらば工学部(1):NBonline(日経ビジネス オンライン)

漢字カナ交じりの学科名は誰も是としていないと思うのだが,何故に流行ってしまったのだろうか.横文字にすると何をしているのかわからなくなって,凄そうに見えるからだろうか.わかりません.かく言う私の出身学科である「電子工学科」も変貌を遂げ「エレクトロニクス工学科」という理解しがたい名称に変わった挙げ句に,学科再編成で無くなってしまった.何故「電子工学科」ではダメだったのだろうか.名称変更をしないで改組に臨んだ学科もあったというのに・・・.漢字だけの学科名の方が伝統がありそうな気がしてかっこいいじゃないですか.コンピュータやソフトウェアなんてつけないで,「情報工学」とか「情報科学」って付ければ,かっこいいじゃないですか.って,印象の話をしている時点で同じか.

 工学教育は解体的に考え直さなければいけません。ただし、米国のまねごとではなく、日本のオリジナルを構築しないといけない。

 大学が特殊な議論に終始している面もあるでしょうが、基礎科学の教え込みをしてほしい。理系教育の危機はそこにあります。

 大学院教育は技術者教育の頂点です。技術者を育てていくうえでは、特殊な領域の教育ばかりしてもよくありません。基礎科学教育を今よりも強化していくべきでしょう。第4期科学技術基本計画の策定においては、その辺が大きく議論されることになるのではないでしょうか。初等、中等教育だって、学生の必修科目を増やさないといけません。多くの科目を履修したくないという学生は大学に行かなければいい。基本的に基礎科学教育は、理系だろうが文系だろうが必要なのですよ。私は大学2年までは全員が理系でもよいと思うくらいです。

「工学部を解体せよ」~さらば工学部(1):NBonline(日経ビジネス オンライン)

なかなか過激な意見で,興味深い.「大学2年までは全員が理系でもよい」かどうかはわからないが,基礎科学力の欠落は大きいと思う.進学校や塾などの影響により受験対策偏重となり,受験で問われない基礎科学力は衰退の一途を辿っているのではないかと思う.特に,優秀であればあるほど,その傾向にあるのではないだろうか.いや,それは基礎を全く学んでいないという意味ではなく,基礎と応用のバランスを考えたときに,応用への偏りが大きいように感じてならない.実践本意というか,すぐに役に立つことばかりを追いかけすぎていると思う.

 進学の基準となる最低点も、前年に比べて落ちていました。進振りのダイナミズムの1つとして、進学者の最低点があります。進学に必要な成績がどれほどの 水準なのかに、学生は敏感です。学生は進学基準の点数が低いところには行きたくないという心理があります。一度、この最低点が下がってしまうと、もう一度 上がることが本当に大変です。

「東大生の電気電子離れ加速、企業の求む人材と乖離」~さらば工学部(2):NBonline(日経ビジネス オンライン)

偏差値偏重です.高学歴になればなるほど,この傾向が強いらしいです.それはもちろん,ランクの高いところに入りたいと思うのは当然だと思いますが,「偏差値が高ければ電気でも何でも構わない」っていうのは違うと思う.あ,そうか.つまりは「電気をやりたい」っていう意欲や目標がその程度ってことか.だから,問題なんですね.わかります.えっと・・・.だから教養の部分における教育が・・・.

 「東大の電気学科も名前を変えた方がいい」とOBから言われることもありました。でも、基本となる学問は守らねばならないと踏みとどまりました。東大はそうしたくないし、しない。

「東大生の電気電子離れ加速、企業の求む人材と乖離」~さらば工学部(2):NBonline(日経ビジネス オンライン)

そうだそうだ!「東大は」の意味が理解できませんが,「電気工学科」は「電気工学科」,「電子工学科」は「電子工学科」でいいじゃないですか.

第3回も引用したいのだが,どこを引用して良いのかわからない.全文を引用したくなってしまうので,原文を読んでください.第3回は金沢工大です.1ヶ所だけ,どうしても引用したいことがあるので,書いておく.

 学生のレベルに合わせて、レベルに合わせた教育をする。とにかくそのことに力を入れてきました。故京藤睦重・第2代学長がよく言っていました。「目標は2つ持ちなさい。遠い目標と、身近な目標を。それがしっかりすれば、迷うことはない」と。

 教育の効果は、周囲から評価されるまでに、長い時間がかかります。早くても10年間はかかるのではないでしょうか。それまでは、「きっと評価してくれるに違いない」と信じるしかない。いわば“信仰”のようなものです。まさに、それはお祈りですよ。

「『教育の金沢工大』は“褒め殺し”。教育改革に一切気は抜けない」~さらば工学部(3):NBonline(日経ビジネス オンライン)

目標を2つ持つというのは大切です.長期目標と短期目標.オレが使っているところの,理想目標と実現目標みたいなもんですね.「理想目標は63kg」で,「実現目標は67kg」みたいなもんです.何の話ですかね.後半部分は教育の評価(成果,効果)に関する話で,難しい問題です.教育者はそのようなどっしりとした信仰の元に突き進んでいればいいとしても,それが雇用者側にどのようにして理解されるか.証拠性はどうなるのか.これはまた後で話題に出てきます.

打って変わって,第4回は工学部廃部が決まってしまった九州共立大の話.重苦しいですが,大事です.

 早急な対処が必要だったので、学生に数学や物理を教え込みました。学力低下があるからといっても、いったん入学したからには技術者に育ってもらわなければなりませんから、正規の課程以外にも学べるようにしたわけです。

 入試の点数が低くても合格としてきたわけですから、学生の間の学力の幅は広くなります。授業のレベルをどこに合わせるかが難しくなりました。だからと いって、授業のレベルは落としたくない。社会で技術者として活躍してもらうには最低限のレベルがあります。授業が分からない学生は、学習支援センターで半強制的に学んでもらい、科目ごとに修了証を発行するようにしました。さらに宿題を出して、点数を上げてもらう。

 どういうレベルで学生を卒業させるかを教授らでかなり議論してきました。最低限これくらいまでは知っておいてほしいというレベルは一致していました。本当に頭の痛い問題です。私たちの危機感はかなり強かった。

「存続できず、廃部に追い込まれた工学部」 ~さらば工学部(4):NBonline(日経ビジネス オンライン)

私学は経営の問題があるので,ある程度の学生数を確保しなくてはならない点については理解できる.そのために,合格ラインを下げざるを得ない状況があることもよくわかる.問題にすべきは,その学生たちをどう卒業させるかだと思う.大学として,学部として,学科として,どういう卒業生になって欲しいか.それを考えた上で,教育というのは意味をなすと思う.これからの時代,そういう地味な努力が底力として効いてくるんじゃないかと思っています.

 教育と研究の内容は変えないままに、学科の名前を変える。学科の名称変更をすると、結局は、教育・研究の中身も変わってくることは避けられません。

「溶接の総本山・阪大の異変」 ~さらば工学部(5):NBonline(日経ビジネス オンライン)

わかりますとも.「時代に即した形で,学科名を変えました.でも内容は今までと同じです」でも実際は名は体を表すわけで,学科名に引っ張られる形,つまりは学科名に釣られた学生に合わせる形で,学科は変貌を遂げていくのです.学科名を変える際は,より一層慎重に.

 最近、盛んに言われている産学連携として、「シーズとニーズのマッチング」「共同研究」などと言われます。それは僕から言わせれば愚の骨頂ですよ。

 大学が産業界からもらったテーマを受けて、教授らが学生に指示する。結果として、学生は考える暇がなくなる。学生は指示待ち人間に成り下がる。それで大学が教育機関としての体裁をなしていると言えますか。

 産学連携に学生を巻き込んでしまう。そこには、マイナスはあっても、プラスはありません。産学連携の持つ一番の問題だと思います。

「溶接の総本山・阪大の異変」 ~さらば工学部(5):NBonline(日経ビジネス オンライン)

「愚の骨頂」と言い切っちゃう辺りが,すごい.産学連携をやったことがないので何とも言えないが,似たようなケースでプロジェクト的な研究はやったことがある.これはプロジェクトとして行われた卒研だったので,何をやるかとか,どうしなくちゃいけないかとかは,全部決まっていた.言うならば,レールは準備されているのだ.何か1つのものをやり遂げた達成感を得られるという意味では有意義なのだが,それは工学なのであろうか.工学の卒研だろうか.疑問に感じていた.

オレが思うには,院進学者は別として,卒研生には自由に卒研をやって貰うべきだと思う.3年間学んできた集大成をそこにぶつけるものだと思う.それを推して,ちゃんとした卒研になるような指導を与えるのが,指導教員たる役目ではないのかと思う.だって,芸術系はそうじゃないですか.それまでに学んだあらゆる技術を総動員させて,卒業制作を行うんでしょう.工学だって,そうあって然るべきではないのだろうか.

 論文を書くのに先生方は必死です。研究所であるから、研究は第一義なのです。その半面、大学にいる限り、教育は重要です。なのに、現在、教育は評価の対象にはならない。教育に対する弊害は出てきて当然でしょう。

 このままでは持たないでしょう。必ず揺り戻しが来ます。ここは、日本全体の問題として、解決していかなければなりません。

「溶接の総本山・阪大の異変」 ~さらば工学部(5):NBonline(日経ビジネス オンライン)

とても必死です.成果主義は良いとして,教育機関である大学において,教育職員である教員が,教育において評価されないというのはまるでおかしいと思う.研究が大事であることはよくわかるのだが,だからといって教育が蔑ろにされたり,疎かにされてしまってはならないと思う.だから,教育に力を入れるすぎちゃう先生がいてもいいと思う.山形大のように

第6回は特に引用しませんが,お金の話です.理系と文系で生涯賃金の格差は5000万円もあるそうです.そんな事実が明らかになるからこそ,理系離れが進んでいると思うのですが,その影響で理系は必要とされているそうです.必要とするが金は出さない.そういわれているようで,非常に空しいです.文系は経済を回す役目でしょうか.理系は技術やモノを作る役目でしょうか.だとするならば,お互いがお互いを必要とする補完関係にあるはずで,格差が生じるという状況を少しはおかしいと思って欲しいところです.

たぶん,第7回以降もありそうな気がします.また時間を見つけて,追いかけたいと思います.このインタビューシリーズはなかなか深いです.

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