ちょっと前の話になるけど,ネット上で実名か匿名かという議論が巻き起こっていた.多少は追いかけてはいたんだけど,忙しい時期だったこともあり,あんまり真面目にみてはいなかったし,ブログにも取り上げなかった.今日は今更にその話を蒸し返してみる.
そもそも,ネット上の名前を題材にして議論すること自体が無意味なことだと思っている.たとえば,首相官邸ブログなるものが始まったようだが,これは鳩山由紀夫なのか?実名論者に言わせると,これは鳩山由紀夫でなくてはならないのだろうが,オレにはそのように思えない.たとえば,眞鍋かをりのブログは眞鍋かをりという実名(芸名だけど・・・)が出ているので,実名論者は大喜びのところだろうが,このブログは間違いなく確実に眞鍋かをりが書いているという保証はどのように得るのだろうか.スタッフやマネージャーが書いていないと何故言い切れるのだろうか.その確証が得られないレベルで言えば,実名が晒されていたとしても,その実名のものが書いている保証にはならないし,誰が書いているかを特定する根拠にはなり得ない.だから,実名のような仮名を使ったとしても,それが実名か仮名かは判断できないと思う.実名・匿名の議論はその程度の危うい信頼性の上での議論なので,実名を出したら根拠の保証になるかのような実名論者の考え方はよくわからない.
最近の話題をちょっと盛り込んでおくと,GReeeeNの話をあげておこう.GReeeeNのブログが炎上したらしい.彼らは顔出しをしておらず,リアルの人間が識別不能の状態になっている.なので,GReeeeNのブログが炎上したとして,本当に本人が書いているかどうかは識別できないと思う.だって,本当に本当に本当のGReeeeNの中の人が今まさに目の前にいたとしても,それをGReeeeNの中の人だと識別することはできないのだから.
実名論者が他にあげるメリットとして,リアルの人とつながりやすいってのがあるらしいですけど,そうでしょうか.それは実名でも仮名でも同じで,要はあるエンティティを識別可能とする識別子が割り当てられていればよろしいのだと思う.たとえば,オレに関して言うならば,本名(実名,リアル世界の名前)を名乗るよりも,4403と名乗った方が,明らかに話が通る.そういうオレでも実名でブログをやるメリットがあるだろうか?どう考えても,4403で活動した方がメリットが多い.最近に至っては,実名で論文を書くよりも,4403で論文を書いた方がいいのではないかとさえ思っている.論文は実名でなくてはならないという規定を見たことがないので,偽名(仮名)でもよろしいのではないだろうか.夫婦別姓も認められているわけだし.
そういう意味で,リアル世界に固執した実名・匿名の議論は意味をなしていないと思う.識別子だけが重要なんだ.だから,@akirakanaokaさんはリアル世界であうよりも先にTwitterで知り合ってしまったので,@akirakanaokaさんは@akirakanaokaさんで間違いない.@RruroさんはTwitterよりも先にリアルで出会っているので,@Rruroさんという識別子は認識しにくい.要は,その人を識別しようとしたときに,実名(リアルの名前)の方が識別しやすいか,仮名(ネットの名前)の方が識別しやすいかの違いだけだと思う.そこに,リアル名前=ネット名前である必然性はないように思う.
おっと,匿名が議論の外に出てしまったので,補足.匿名の場合,識別不能なので,今までの議論は適用できない.実名で書いた言葉は信頼性があるが,匿名で書かれたものには信頼性がないというのは本当なのだろうか.書いている中の人は同じでも,その著者名あるなしで根拠が異なるというのか?本当にそうなのか?だとすると,学会で一般的に行われているブラインド査読は意味をなさないだろう.著者が誰であるかを隠して査読するので,実名・匿名の議論で言うならば,匿名の状態である.彼らの主張を借りるならば,匿名で書かれたものは信用ならないのだ.ならば,論文査読の審査事項の要点である信頼性が欠如しているのだから,当然に論文は棄却されるだろう.匿名で書かれた言葉に信頼性がないというのは,その根拠を調べようとする努力を怠る怠け者の弁だろう.信用に足らない主張だ.
まとめ:
ネット上のアイデンティティを議論すること自体,不毛です.実名でも仮名でも匿名でも,なんでもかまわないと思う.実名のような識別子が本当に実名か仮名であるかの判断はどうするのか?全くの別人が他人の実名を名乗っている(仮名の状態)ことは想定しないのか?このブログは本当に4403が書いているのか?そもそもあなたは4403というネット世界の人物がリアル世界にバインドされていることを確認したのか?4403って存在するのか?有象無象の集合を4403と呼称しているのかもしれない.Anonymous Cowardのように.
そうだそうだ。昨日のCSSx2.0中での私のつぶやきは、いくつかが、隣に座られておりました昨年度Tシャツゲッター先生が打っていたということに触れておこう。 #css2009
このような主張がなかったとして,その違いを見つけることはできただろうか.はたまた,この主張があったとして,そのいくつかを見つけられるだろうか.そもそも,この主張は真実なのだろうか.こういうことを考え始めると,それを考えること自体に無理がありそうです.