間が開いてしまいましたが,6月2日に青海のタイム24で開催された,IS104に参加してきたので,参加報告.
・「自分で考えさせる教育」討論報告
3月に開催された若手の会で行われた討論の報告.3月のIS研究会には参加できなかったので,この報告はとてもうれしい.
討論の概要としては,ゆとり教育世代をどげんかせんといかんという話.ゆとり教育世代は「読解力」「論理的思考」の低下が見られ,その改善のためには,「自分で考えさせる教育」が必要では無かろうかというのが,討論の狙い.
まず,分析から.何故,このような「自分で考えることができない」ようになってしまったのか.
- 思考力の育成を避ける教師
- 学生に迎合する教師
が挙げられていた.思考力の育成を「避ける」と強く言い切られていたのが,印象的.これは恐らく,指導要領に従い,マニュアル通りの教え方をする余りに,指導要領から外れるような教育をしないという意味だと思うのだが・・・.初等教育においては,自由な意見を述べさせると,あれよあれよという間に,色々な意見が出てきて,ふとすると脱線していってしまうことがあるので,確かに扱いが難しいのはわかる.加えて,ゆとり教育による週休完全2日制と総合学習があり授業時間数が減っている割に,指導内容はそれほど減っておらず,効率的に授業を進めなくてはならないという現状がある.
学生に迎合する教師というのは,耳が痛い人が多いのではないかと思う.FDなどの理由で,授業評価アンケートを実施することがあると思うが,このアンケートで良い評価を獲得しようとするということである.そのために,「授業が難しい」という意見があれば授業を簡単にし,「1週間でできる宿題じゃない」と言われれば提出締切を延長し,授業中にうるさくても叱らないような教師のことを指す.私学にとって,学生はお客様も同然ですが,だからといって,迎合するのは違うはず.情熱を持って教育に取り組んでいないのではないか.「大学はアカデミックな場で手取り足取り教える場ではない」という主張はよくわかるのだが,だからといって,何でもかんでも突き放せばいいというわけでもない.教育することは大事なはずだ.一体,何のために教育をしているのかと問い詰めたい.小一時間(ry.
高度IT人材の育成は教育界・産業界双方にとって急務.しかし,知識習得型の大学院教育では育成が困難だった.
という意見が述べられていた.大学院は研究の側面が強いので,教育色が薄い.教育をするならば,大学で行っておかなければならない.何の育成が困難なのかが書かれていないが,恐らくは「思考力」だと思われる.だとするならば,大学院教育で育成するべきことではなく,もっと早い段階で手を打たなくてはならないと思う.
作新学院大学の藤本先生からは
「考えさせる教育」はできない.そもそも考える必要が無いなら考えなくても良いのではないか.これは日本が目指してきた「便利な世界」の成果である.
という過激な意見が飛び出していたが,特に反対する意見ではない.同意もしがたいが.日本が目指してきた成果かどうかはわからないが,ネット社会である今,情報が本当に氾濫しており,「考える」よりも「ググった」方が早いし,確実だと思われている.そう,誰かが既にやっていることを学ぼうとしたとき,自分で考えるよりも,結果を得ることの方が簡単で早くできてしまうのだ.これを知の高速道路と呼ぶとか呼ばないとか.一昔前,というかオレの学生時代でいえば,ネットは普及期であり,まだグーグル先生様々の時代ではなかった.そのため,調べ事といえば図書館が基本だった.さて,ご存じだと思うが,図書館で目当ての文献を探し当てるのは困難である.書籍名がわかっていれば簡単だが,どの本に書いてあるかわからない上に,どんぴしゃがあるかどうかもわからない状態で探すのは,困難を極める.だとするならば,あるかどうかわからない情報を探すよりも,自分で解いてしまった方がいいんじゃないかという話になる.動機は不純だが,考えるには十分である.これが今現在のグーグル先生世代では,すぐに結果がわかってしまう.これが思考力を妨げているのではないかと言われれば,そうだろうなぁと言いそう.
慶大の大岩先生からは
シュタイナー教育のエッセンスの「評価せず,間違いを指摘せず.本人が気づくようにするのが教師の役目」が重要である.
という意見が述べられており,ふむふむと思った.よもやIS研究会でシュタイナー教育なんて言葉を聞くとは・・・.どこもかしこも,心理学の需要が高まって参りましたね.大学教育にもモンテッソーリやシュタイナーを取り入れたら,やはり有効なのだろうか.いや,あまり有効そうには思えない.小中高がそうであったから,大学教育で突然にシュタイナーを導入しても,効果がないのではないだろうか.
オレのお師匠様は「知らないことは後でコッソリと勉強しておく」という名言を与え,その実践をしていた.だから,演習課題等で学生が「△△は知らない」と言ったら「ははは,そうかそうか」とだけ言って,おしまい.「何で知らないんだ!高校で習っただろ!」と追求したくなるが,それはしない.暗に「君はその知識を持っていなくてはならないんだよ」と言っているのだ.だがしかし,追求されなかった学生は「あ,知らなくてもいいんだ」と勘違いをしてしまうのが,最近の傾向.これは困った.これは困ったから,師の影響を色濃く受け継ぐオレは「知らないことはコッソリ勉強しておく」と捨て台詞を残すことにしている.それでわかってくれればと思いまして.どうなんだろう.
関西学院高校の丹羽先生の報告による,グループ学習が「考えさせる教育」に効果を発揮しているという報告に対して,
グループ学習はグループで考えることを育成しており,自らが「考える」のとは違うのではないか
という質問がでた.これは複数人の知識や発想を利用して,よりよい意見やアイディアを導出することはできる,つまり対人コミュニケーションの場では思考できたとしても,単独になった場合に,独立して「考える」ことができるかどうかは別の問題ではないかという指摘だと思う.難しい.グループ学習が全てではないと思うが,「考える」ことができない学生に対して,その取っかかりを与えるという点では,十分に効果があるのではないかと思う.グループで「考える」ことができるようになった以降,どのようにして自分で「考える」ように導くかは,次の問題のように思える.っていう議論が高校教育レベルで発生してくると,「初等教育は何をやっとるんだ」と言いたくなってしまう.なってしまうのだが,初等教育の現場を実体験してしまったので,何とも苦笑いしかできなくなってしまった.教育って,難しい.
最後にまとめとして,今後の議論の焦点が挙げられていた.
- 自分で考えさせる教育とは
- 自分で考えることが何をもたらすか
- 専門知識教育との関連性
- 自己訓練とは,自ら気づくこと,考えること
- CSで学んだ学生を企業が評価しない→問題点
- 世界に目を向けることが必要では
なんとなく,まとまっているようなまとまっていないような・・・.この手の議論は結論が出ないから,議論されるわけだが,ここまで個々バラバラな意見が出てくると,収拾がつかなくて,それはそれでちょっといやな感じ.どうも8月の研究会でも再びディスカッションが開かれそうなので,勇んで参加したいと思う.
まとめ:
うおー!教育トーク楽しい!休憩時間も研究会終了後も夜の飲み会も,教育トークに終始しました.とても,ためになる話が多くて,勉強になりました.教員1年生として,教育について深く学ぶ必要があるなと思いました.