さらば工学部(7)

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出てくるんじゃないかとは思っていたけど,すぐに出てくるとは・・・.2日連続で,「さらば工学部」をお届けいたします.第7回は京大工学部です.

 工業化学科の1学年は235人。従来、私の授業では1割程度が単位を落としていました。ところが、現在の3年生から急に4割ほどの学生が単位を落とすようになりました。

 有機化学の授業で工学生にとって特別に難しいことを教えているわけではありません。(中略)同じように授業をし、同じように試験をしていたのに、明らかに従来と違っている。

 思い当たる理由は「ゆとり教育」です。2006年度に入学した学生は、ゆとり教育が本格導入された第1世代なのです。噂には聞いていたけれども、授業で 学生を見ていても分からなかった。出席率は従来と変わっていなかった。学生が授業内容を十分に理解できていなかったということなのです。試験で半分弱も落ちるのは明らかにおかしい。

「京大工学生はゆとり世代から学力低下」 ~さらば工学部(7):NBonline(日経ビジネス オンライン)

全く同じ現象を見たことがあります.しかも,現場で直面したことがあります.同じく06年度入学生は極端にひどかった.もちろん,その主原因は「ゆとり教育」だと信じ込んでいた.事前にゆとり世代が入学してくることはわかっていたので・・・.しかしながら,07年度入学生は05年度入学生と比較しても,大差ない印象を受けた.結局のところ,06年度入学生だけで,極端にひどい状況になっていたのだ.そうなってしまった理由は結局のところわからないままだったが,「ゆとりの影響」の一言で片付く問題ではなかったように感じた.いや確かに,ゆとり世代以前とゆとり世代以後では,受ける印象が違うのは確かであって,学びに対する意欲が異なっていると思う.不思議です.

06年春は本当にひどかった.大人しく座って聞いているので,大丈夫かと思いきや,中間テストは0点続出.他の科目の先生方も同様の結果になっておられて,大変に悩んだ時期でした.同じように授業をして,同じように試験をしたのに,その結果は全く異なるものになった.例年とは全く違う流れだった.その時点から色々とフォロを行ったが,既に手遅れで,06年春の単位取得率は散々な結果だった.上の方から「合格率6割」というお達しが来たが,そんなの知ったことか.現場を見てからものを言えと言いたい.どうやったら,半分近くが0点のテストで合格率を6割にできるのかと.06年秋からは最初から本格的に対策を講じたので,春ほどの結果にはならなかったが,それでも合格率は低かった.もちろん,春と秋では受講者が異なるので,単純な比較はできないが,驚きの06年度だった.

 本来、勉強にゆとりは必要ないのです。「鉄は熱いうちに打て」。スポンジのように知識をどんどん吸収する時期があるのです。後からでは間に合わない。日本の教育の間違いはかなり長い期間、尾を引くと思いますよ。

「京大工学生はゆとり世代から学力低下」 ~さらば工学部(7):NBonline(日経ビジネス オンライン)

ですよね.私は可能性は最大限に開いておくべきだと思う人なので,詰め込み教育大歓迎です.芸術とかスポーツとか,学校教育の枠の外で大活躍する人たちにとっては,ゆとり教育の方がやりやすいかもしれませんが,基礎的な知識を獲得することを考えれば,詰め込み教育も悪くないです.ゆとり教育は総合学習を導入して,コミュニケーションがなんとかとか,思考力がなんとかとか言ってましたが,その2点ともが現状の若者に欠落していると問題視されているわけで,ゆとり教育の本領がどこに発揮されているのかがわかりません.きっと,怠けるとか,楽をするという方向に長けたんではないでしょうか.どうですかね?わかりません.

 そのうえ教員数が減っています。従来、教授1人、准教授1人、助教2人という「1・1・2」の体制が一般的でした。それが今は「1・1・1」が増えてい ます。さらに言えば、「1・1・0」「1・0・1」の場合も珍しくありません。従来4人でやっていたのを、2人でやることになる。それでは、教育の密度が半分になるのは当然です。

「京大工学生はゆとり世代から学力低下」 ~さらば工学部(7):NBonline(日経ビジネス オンライン)

博士課程在籍していた大学は助手・助教がいませんでした.昔はいたようですが,私が学部に入学した頃には,既にいませんでした.現所属の大学は助教がいまして,大変に活気があります.やはり,学生に年齢的に近い教員がいることで,学生との距離も近くなるし,世代が近いが故にわかり合えることもあり,良いことだと思います.もちろん,ここで指摘されているように,助手・助教は本来からすれば「教授を助ける」ポジションなのですから,二人三脚のように,教育現場を回していかないといけないと思うのです.

学生から見たら,教授がいないというのは困ることだと思います.いない理由が出張だとしても,授業だとしても,会議だとしても.オフィスアワーなどを設けて,この時間ならいますよという枠を準備していることもあるかと思いますが,その時間に学生は授業を受けているかもしれないわけで,利用できないかもしれない.そんな状況にあるからこそ,常に誰かしら教員がいる「相談部屋」みたいなものを設置したっていいと思うんです.そこを駄弁り場のようにしたり,自習(自習じゃ困るけど)ができるような部屋にしたりすると,教育効果が出そうな気がするんですが,どうでしょうか.

誤解を恐れずに言うならば,「あの教授はいつもいないね.学会とかで出張が多いんだよ.凄い人だね.」って学生に言われたら,終わりだと思う.研究にかまけて,学生を蔑ろにしていると認識されているのだから.ましてや休講に次ぐ休講で,補講ばっかりなんて,学生にとっては良い迷惑です.どんなに凄い先生であっても,学校にいなくて,話をすることもできないのであるならば,学生にとってなんらメリットはない.そこでそういう凄い先生が学生との距離をぐっと詰めることができれば,本当の意味で,大学教育の凄味が出てくると思う.違いますか?

 極端なことを言えば、研究と教育は両立しないのかもしれません。

(中略)

 研究と教育のバランスは非常に難しい。お互いに相容れないところがあるんです。研究結果を求めれば、先生方は学生に対して「朝から晩まで働け」と言いかねません。半面、教育を考えると、教員はじっと待って、学生に考えさせないといけないのです。両者の違いを理解して、教育に取り組まなければ、学生はいつまで経っても自立しません。

「京大工学生はゆとり世代から学力低下」 ~さらば工学部(7):NBonline(日経ビジネス オンライン)

そして生まれ出る言葉は「自主性を尊重して」と「放任主義」ですか.難しい.ゆとり教育の影響が出始めている昨今,最終的に社会に送り出す立場にある大学は,教育の重要性を再認識し,社会人として恥ずかしくない立派な卒業生を送り出すことに重きを置くことを考えなくてはいけない時ではないだろうか.研究が大事なことはもっともとして,教育も同じくらいかそれ以上に大事であることを再認識されたい.

昨日,とある懇親会で自己紹介して思った.気がついて自分に愕然としたのだが,何故自己紹介で「研究の専門分野は~」などと言ってしまったのだろうか.オレは大学教員だ.教育職員だ.「教育の専門は~」と述べるべきだった.所詮はこの程度の意識と言うことなのだろうか.

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