このエントリーは中大教授刺殺事件とは関係がありません.書く必要もないくらいに当然ですが,事実でもないし,所属とも関係ないし,フィクションかノンフィクションかも区別が付かないし,誰が何のために書いているかもよく分かりません.ただの文字の羅列です.その文字の列びに意味があるかどうかは分かりません.
大学院生の中には、今、同じような立場で悩んでいらっしゃる方がたくさんいると思いますが、今の大学院や学位などには命と引き替えにするほどの社会的価値 はありません。ほんとうに腹に据えかねるようなことがあったら、(殺さないように注意しながら)恨んでいる教員をボコボコに殴って大学院なんか捨ててしまってください。殺すと後がややこしくなりますので、くれぐれもやりすぎないように気をつけて殴ってください。
私を、殴りたいという方もいるかもしれませんが、どうしてもというのならば、その時は私も(抵抗はするでしょうが)やられても仕方がないと思うだろうと思います。自分はまったく潔癖だと主張するような教員がいたとしたら、その人は社会を理解する能力が低いということを意味しているかもしれませんので、そんな先生の研究室からは、できるだけ早く逃げ出した方が良いかも知れません。
これに尽きると思う.自殺するくらいなら,殴り合いの喧嘩をした方がマシだ.指導教員と反りが合わないくらいで学校を辞めるのは勿体ない.それならば,指導教員と殴り合いでもして解決を図るでもいいし,コッソリと研究室替えをするでもいいんではないかと思う.オレはエスパーではないので,沈黙から感情を汲み取ることはできないし,見かけない姿から悩みは読み取れません.特に,頭が悪いので,難しい隠喩や例え話をされても理解できないので,分かりやすく言って欲しい.
閑話休題.そんな話を書きたいわけではない.個人的には指導教員をフルボッコにするのはアリだと思う.ただし,オレは抵抗どころか強烈に反撃しますが.指導教員は教え子にフルボッコにされたら,「階段で躓きました!」くらいは言ってのけないとダメだと思う.ただし,フルボッコにする側は注意した方がいい.フルボッコにしすぎて,その場で気絶しちゃったりして,他の人が発見しに来ちゃったりすると,もみ消せません.ましてや,包丁で滅多刺しとか,殺しちゃうとかだと,最早弁解のしようすらなくなり,教え子を犯罪者にしてしまうことになります.これは指導教員としては心苦しく,誠に申し訳ない.教育者としては,教え子1人1人全てが幸せで平穏な生活を送りつつ,自らの能力を存分に発揮できる仕事に就くことを望んでいる.それが,故意かどうかは別としても,何らかの原因でそうはできなかった.できなかっただけならまだしも,さらに犯罪者にまでしてしまったら,死んでも死にきれない後悔だろう.そもそも教育とは,以下のように定義されている.
(教育の目的)
第一条 教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。(教育の目標)
第二条 教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
一 幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。
二 個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。
三 正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。
四 生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。
五 伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。
教育って,こういうものだから,これができない教育者なんて要らない.
まとめ:
学校を辞めたり,悩んだり,自殺したりするくらいなら,爆発しちゃって下さい.教育者としては,その位は込みです.ただし,オレはフルボッコにされたくないし,されたらされたで反撃しまくるので,そうならないように,常日頃から気をつけたいと思います.1番確実なのは,教育界から手を引くこと.間違いない.