こうしたい研究室運営

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最早10日以上前に「ブログに書く」といって以来,音沙汰なしになっていたけど,いい加減,書かないといつまでも積んでしまいそうなのなので,ケツカッチンの今こそ書いてみる.

「研究室に入って、俺自身はちょっとは成長したけど、このままだとほとんど成果なしで去るんじゃないか?いいのか?」と思ってたけど、逆に考えて「研究室に成果は溜まるけど学生は成長しない研究室とか最悪だな」と思うと、ちょっと楽になった。

Twitter / n061 n06174: 「研究室に入って、俺自身はちょっとは成長したけど、こ ...

これはすごく大事なことだと思う.研究室に所属する頃になると,社会に出て行く直前となる頃合いだと思う.大学は教育研究機関であることを思い出してみると,研究室の役割は研究を行うことだけではなく,学生たちを社会に出て恥ずかしくないような人材に育てることも然りであると思う.

研究室での指導方針というのはいろいろとあるだろう.手取り足取り,道を与えて,その道を踏み外すことなく歩ませることで成功体験を与えるやり方.大人なんだからという前提から自発的な活動に任せて,自由な研究環境を与えるやり方.他いろいろ.

このつぶやきで提起されているのは,各個人と研究室のつながり方である.研究室は長いこと脈々と続いていくものである.研究室に所属する卒研生や院生はその一部分に過ぎない.ここで研究室の視点から考えると,長期的な視点で考えられている研究の部分部分をその時々に在籍していた学生に割り振り,研究を進めていくことになる.それはそれだと思う.短期的に終わらない研究なんて山ほどあるわけで,複数代で継続して行われる研究は多くあると思う.これを学生の視点で見ると,研究室の業績を蓄えるために成果は出したが,自分自身は何かを得たのだろうかと感じてしまうのかもしれない.

つぶやきに書かれているように,研究室で自分自身は成長したと実感することは大事だと思う.そこで大した成果を研究室に残せなかったとしても,自分自身が成長していることこそが重要だと思う.その上で,自分の成長の証として,研究成果なりなんなりを研究室に残していってくれれば,指導教員冥利に尽きるというものであろう.研究は進んだけど,特に成長しませんでした(実感できませんでした)というのは,何を指導したのかと考えてしまう.

オレは,社会人たるに相応しいマナーや常識,経験を十分に積むべき期間が研究室在籍の期間だと思っている.もちろん,それは研究をしなくていいという話ではない.研究も大事だが,そのような役割も研究室は担っていると思っている.

これもあれもそれも,結局のところ「愛○○心」という話になるわけだが,「愛研究室心」と言えばいいだろうか.教員と学生がお互いのできる最善を尽くし合うことによって構築される信頼感と安心感が,優れた人材育成と安定した研究成果をもたらすのではないかと思っている.そういう研究室運営をしたいなぁと思った次第です.

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