ウェブ時代をゆく

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ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書 687)

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書 687)
著者: 梅田望夫
価格: ¥777(税込)
出版社: 筑摩書房 (2007/11/6)
ISBN-10: 4480063870
ISBN-13: 978-4480063878

昨年の12月に手に入れて以来,買ったことすら忘れて放置されていたのだが,私塾のすすめを読んだことによって,その存在を思い起こし,やっと読み切った.読み切って振り返ると,何故途中で読むのを辞めて放置していたのかがわかった.どうにもこの本には感情移入しづらかったからだと思う.オレは本を読む際は,ブログを書くときのために,ドッグイヤーを付けながら読むわけだが,この本のドッグイヤーはものすごく少ない.つまり,オレはあまり興味を持たなかったようだ.だからといって,内容が悪いわけではないので,興味を惹かれた部分を引用しつつ,書評.

むろん現在のネット空間には,そんな理想的な話ばかりでなく「負のエネルギー」が撒き散らされていることも事実である.知や情報の空間が巨大だからといっても中身は玉石混淆で,リアル世界の選りすぐりの知に関しては,まだほんのわずかしかネット上には載っていない.たとえば日本の研究者や大学教授で,ブログを書き,自分の論文や著作の背景にある発想や思考過程をネット上で公開し,リアルな授業を録画・録音して不特定多数に向けて発信しようとしている人はほとんどいない.ウェブ進化などまだ始まってもいない段階なのだとも言える.

ウェブ時代をゆく pp.18-19

正にその通りで,膨大だといわれるネット上の情報はまだまだ足りない.それは図書館という優れた知識の宝庫に対し,圧倒的に情報量が少ない.だから我々は,ネットの可能性を少しでも広げるために,玉石混淆であっても,多くの情報をネットに向けて発信していくことには意味があると思っている.価値があるか無いかは,情報がそこにあってこそのことであって,無いものに関する評価はできないのである.

そして,研究者はもっとブログを書いたらいいと思う.もちろん,企業の研究者は利益があるだろうし,守秘義務とかがあるだろうから,なかなか難しいかもしれない.でも,みんなの研究目的って同じではないのだろうか.何かを良くしようという目的を持っているのではないのだろうか.そのためならば,みんなで情報を共有して,交換して,議論して,高めればいいはず.例えば,誰かがものすごく良い発想をしたとしても,それを実現する手段を持っていなかったとする.実現する手段がないので,発表がされないとすれば,その発想は日の目を見ることなく,お蔵入りしてしまう.そうならないように,色々な意見や発想や思いつきは言っておくもんだと思う.それを見た誰かが触発されて,脳みそがぐるぐる回り始めて,シナジーが発生するかもしれない.そして,それは実現されるかもしれない.オレは思うんです.必ずしも自分が成し遂げなくても,全体としてそれが達成されるならば,それは貢献したと言えると思う.評価がどうこうとか,主論文数がどうのこうのとか,そういう問題は山積ですが,社会に貢献することに関してはそうあるのが正しいと思う.だから,ブログだよ.情報配信だよ.可能性は開く方向で,お願いします.

しかしあるとき,同じように高速道路を走っている自分の周囲の人たちを見渡してみて,「対象」への愛情という面で,私は決定的に何かを欠いていることに気づいた.「没頭の度合い」がどうにも中途半端なのである.関心がさまざまな分野へと分散し,一つの専門に集中し没頭することができない自分を発見し,このままこの高速道路を走り続けても,どこにもたどりつけないのではないかと確信した瞬間があった.

ウェブ時代をゆく p.102 ll.1-5

オレも似たような感じで,ちょっとかじってはまたよそに行って,ちょっとやってはそっぽを向いてしまう.オレの場合はただ単に熱しやすく冷めやすいだけって話だけど・・・.高速道路を走り抜けられる人なんて,本当に数少ないわけで,オレみたいな凡人が先端の世界でなんとかやっていこうと思ったら,それはそれは「けものみち」を見つけ出して,自分で開拓していく道しか残されていないのではないかとさえ思ってしまう.でも,それはそれで大事なことだと思うけど.

当時は今のようにイントラネット内に情報共有の仕組みなどなかったし,ブログもない時代だから外に向けて情報発信していたわけではない.しかしちょっといいアイデアが浮かんだり,大型プロジェクトが顧客に売れそうになったりすると,すぐに先輩や同僚たちに話した.「もうその話は聞いた」と言われるほどしつこく,いつも自分の考え,やりたいことを周囲の人たちに話そうとしていた.一人・情報公開,一人・情報共有みたいなことを,勝手にやっていたのである.(中略)すべては情報共有の成果だったように思う.

ウェブ時代をゆく p.193 ll.6-15

今はブログがあるし,ミニブログやメッセンジャーなどがあって,いつでもどこでも知識のコラボレーションができる時代になっている.なのに,情報公開をしなければ,情報共有もしないなんて,ツールの持ち腐れだよ.自分でできることなんて,高がしれている.でも,それがみんなだったらどうなるだろうか.色々な意見や知識に支えられたアイディアって,一見して凄そうでしょう.

最後に,この言葉を引用して終わりたい.孫引用なのが心苦しいが,原著を持っていないもので・・・.

中学校の授業で教えられる知識やら技術やらが,現実生活でなにかの役にたつとはあまり思えないよ,たしかに.(中略)でもいいかい,君は家出をするんだ.そうなれば,これから先学校に行く機会といってもたぶんないだろうし,教室で教わることは好きも嫌いもなくひとつ残らず,しっかりと頭の中に吸収しておいたほうがいいぜ.君はただの吸い取り紙になるんだ.なにを残してなにを捨てるかは,あとになってきめればいいんだからさ.

村上春樹 「海辺のカフカ 上巻」 新潮文庫 p.19-20

ウェブ時代をゆく p.234 ll.1-6

情報を得る前から,その価値を判断して,取捨選択をするのは間違っています.まずはなんでもかんでも吸収して,それから考えよう.知識や経験の拒絶は思考停止と同じなんじゃないのかな.

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