教育×破壊的イノベーション 教育現場を抜本的に変革する
著者: クレイトン・クリステンセン,マイケル・ホーン,カーティス・ジョンソン
価格: ¥2310(税込)
出版社: 翔泳社 (2008/11/20)
ISBN-10: 4798117730
ISBN-13: 978-4798117737
数ヶ月の積ん読から解放され,しかも読み終わるまで更に数ヶ月.やっと完読したのでレビューしたいと思います.大雑把にいえば,教育に関する立場にある人は必読というところでしょうか.でも,モンスターペアレントには読んで欲しくない,と思っている正直なオレがいる.
この本の主張は教育現場においても破壊的イノベーションが必要であるということ.学校の苦境は教師や学校管理者が改善意欲に欠けているからだという一般的な理解に対して,第2章では歴史を紐解くとともに,学校はその時々に応じた破壊と要求を,実に驚くほど健闘してきたと説明している.しかしながら,「生徒中心の学習方式」に移行するには,コンピュータベースの学習を導入することが必要であり,破壊的イノベーションが慣用であると述べている.と,主な要約はid:next49さんをご覧になった方が良いかと.
さて,今回もいつも通りにドッグイヤーから引用して述べていくわけですが,相も変わらずすごい量のドッグイヤーなので,多少はしょりながらいきたいと思います.
動機づけには外発的なものと自発的なものがある.外発的動機づけは,課題の外側から与えられる.(中略)これに対して自発的動機づけとは,課題そのものが本質的に興味深く,楽しめるために,課題から刺激を受け,最後までやり通したくなるような場合をいう.(中略)
生徒が何かを学びたいという強い外発的動機づけを持っているとき,学校の仕事は楽になる.自発的動機づけを持たせるようなやり方で教材を教えなくても,ただ教材を提供するだけで十分だ.(中略)
しかし日本が繁栄を遂げると興味深いことが起こった.理工系の学位を取得する学生の割合が低下したのだ.(中略)原因は繁栄にあったのだ.(中略)経済的繁栄とともに外発的動機づけが失われるため,理系離れが進むのだ.
教育×破壊的イノベーション pp.8-9
これは戦後日本の急速な台頭によって,アメリカ企業が追い抜かれていった歴史を説明しつつ,現状との対比によって,それが起こった背景を説明している.つまりは,戦後日本における理工系は外発的動機づけに十分であったが,豊かになった今では理工系を学ぼうとする外発的動機づけにはなり得ないということらしい.だとすると,現在において理系離れを食い止めるには,他の外発的動機づけに頼るか,自発的動機づけを持たせるかが必要になる.さて,理工系大学はこれについて,不断の努力を行っているだろうか.難しい.そもそも論でいけば,大学入学時点で理工系か文系かは分かれるので,せいぜい高2くらいまでに分岐点があるように思える.とすると,大学教員が不断の努力をしても手遅れかもしれない.高大連携,もしくは中高大連携が必要かもしれない.理工系大学は中高大一貫教育への道を考えるところに来ているのかもしれない.もちろん,総合大学も視野に入れた上で.
破壊的イノベーションを成功させるには,公立学校が自ら教えたいと望んでいる課程を狙わないことが肝心だ.むしろ,公立学校が教える必要性を感じているが,教えずにすんでよかったと安堵するような課程に焦点を当てるべきなのだ.
(中略)やがて学校は,オンラインでは提供することができない,教授活動以外の仕事にほとんどの資源を投入するようになり,伝統的な一枚岩型の教授方式で教えられる課程はますます減っていくだろう.
教育×破壊的イノベーション pp.106-107
強調部分は本書そのままです.こうなっていくんだろうなぁ.教えずにすんでよかったっていうのは,数学的な基礎とか,物理学的な基礎とか,今風に言えば,大学入学前に修得しているべき高校で習うはずの範囲といった辺りだろうか.工学系においては英語も同じ感じだろうか.そうすると人間の教師が役立つ場面は,実験やら実習やら体験型学習やら課外授業だろうか.昔話ばかりする先生ってのも面白い役割かも.
第6章は「幼年期が生徒の成功に与える影響」について書かれていて,十数ページの短い章なのだが,ドッグイヤーだらけで,ワロスです.ということで,これは本書を手にとって読んでいただきたいわけです.ここでは,幼児期の知的能力開発はどうしたらいいのか,そしてそれが生涯にわたる学習の動機づけと知的好奇心を触発するのだと述べられています.最近,エチカの鏡でやっている脳科学おばあちゃんとほぼ同じ内容です.
すでに手遅れかもしれなくても,今から何かが起きて脳みそが突然グルングルン回り始めるかもしれないから,学生に接するときも同じようにしたいです.はい.
昔から「単純で基本的な基礎知識を教えてからでないと,複雑な概念や問題は教えられない」という考え方がある.たとえば技術工学を学ぶには,まず微積分を学習する必要があるとほとんどの人が考えている.だが一部の研究によれば,複雑な概念と枠組の中で基本的な基礎知識を学ぶことができる人もいる.(中略)この方式を取り入れるには,カリキュラムにアーキテクチャレベルの変更が必要になる.
教育×破壊的イノベーション p.209 ll.9-13
これは個人的に実感があるんだけど,「できる人もいる」っていうレベルなんですね.そうだったのか・・・.敢えて推奨するのは危険なメソッドなんですね.やはりじっくり基礎を学ぶのが良いのなぁ・・・.
と,ここら辺で引用を終えたいのですが,残念なことに最終章である第9章がよく分かりませんでした.どうにも納得できないのです.ここまで読み進めてきて,改めて振り返ると,コンピュータベースの学習を取り入れて生徒中心の教室を作り上げたとしても,教育が劇的に改善されるようには思えないのです.となれば,破壊的イノベーションにはなり得ないのではないだろうか.何故そう思うかといえば,最初の話に逆戻りなのだが,外発的動機づけに乏しく,自発的動機づけを持たないような学生・生徒・児童に対して,コンピュータベースの学習は破壊的イノベーションをもたらすだろうか.ある特定の科目や特定の分野においては,生徒適応型の学習方法を提示できれば自発的動機づけを与えられるかもしれない.だが,そうではない部分において,どうやって動機づけを与えるのだろうか.具体例を挙げれば,私は歴史が苦手だし,好きでもない.歴史を学ぶ必然性がないので,外発的動機づけは乏しく,歴史に興味がないので,自発的動機づけも乏しい.そんな私に,コンピュータベースの学習を提示したとして,果たして効果が得られるのだろうか?コンピュータベースの学習によって,生徒適応型の学習を提供できるようになれば,生徒それぞれの興味を広げたり,最大限に可能性を追求したり,通常の教授方式では理解できない学生にも理解できる教育が提供できるだろう.でも,それは自発的動機づけを与えるものではないと思う.教育において,やはり重要なのは自発的動機づけだろうし,もしくはそれに変わる強い外発的動機づけだろう.興味がない人,無気力な人に,何かを教えるのは難しいです.破壊的イノベーションはそれを可能とするのでしょうか.
まとめ:
教育関係者は必読.e-learning推進派もしくは研究者も必読.序盤では意気揚々と読んでいたけど,終盤になるにつれて,懐疑的に読んでしまいました.これは破壊的イノベーションなのでしょうか.
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クレイトン・クリステンセンが語る 教育の破壊的イノベーションのすすめ | World Voiceプレミアム | ダイヤモンド・オンライン
>教育×破壊的イノベーション
以前、薦めてもらいましたね。この本。
他にやりたいこともあったので優先度が低かったのですがこの記事のおかげで、すぐにでも読みたくなりました^^;
「先端から~」「コンピュータベース~」
この二語ですね。
2年。全てがうまく運べば1年くらいで。上記の二語に深く関わる、面白いことが起こると思っています^^
菊池さま
コメントありがとうございます.
期待しております.ご活躍をお祈り致しております.